きのうは街に出て、古本屋で元ちとせのCDを買ってきました。奄美では高くて手が出なかったのです。昼寝をしながら聞きました。枕元に奄美で買ってきた本が2冊。ときどき開いています。
『奄美、もっと知りたい』 神谷祐司著 南方新社
『奄美の債務奴隷 ヤンチュ』 名越 護 南方新社
◎奄美は山ばかり リアス式の海岸続きで村と村の間の海岸には道がありません。むかしは船で結ばれていたのでしょうか。それぞれの村の独立性が高かったに違いありません。今は結構高い山道を超えます。村は入り江に面しており立神(たちがみ)と呼ばれる形の良い岩が沖合にたっています。http://blog.goo.ne.jp/vagabond67/e/0008aca57039fbd5465980bef2b5c850
◎一字姓
村を歩いていると渡さん、隆さん、勇さん、などという表札が出ています。お墓にも龍・里・芝などの姓が見受けられました。勇さんなどは僕の感覚では姓ではなく名前です。なぜ?のままで帰ってきました。
先の本に答えがでていました。薩摩藩が奄美を支配していく際、島の支配層に苗字を許し取り込んでいったわけですが、対外的には奄美は琉球王国の支配地という形を取って薩摩の直接支配を隠したのだそうです。明、清が琉球との交易を断つのを薩摩藩が恐れたというわけです。一字姓は中華帝国圏の文化の象徴です。そういえば琉球の王様は尚さんでした。
1923年の関東大震災の時には、東京在住の奄美出身者が朝鮮人や中国人にまちがわれ、一字姓に「卑屈」を感じて、以後二字姓に改姓する希望者が出たとのこと。震災時にたくさんの朝鮮人が虐殺されたことは痛恨事ですがこれは初めて知ることです。戦後のアメリカ軍政時代(45~53)は手続きが簡単で、二字姓が増えたそうです。
◎「敬天愛人」に「?」
僕のどこかに西郷隆盛を尊敬する気持ちがあります。大久保利通よりずっと好きなことはたしかです。ですから奄美でも、到着直後に龍郷町龍郷を訪ねました。西郷が島流しにされたとき住んだという家のあとがあります。入場料を払うほどのものではないと思って外観を見ただけですが。
2冊の本をぱらぱらめくっているとこの島の人たちの西郷に寄せる思いは複雑なことが伺われます。西郷は「島妻」愛加那が生んだ二人の子を後年、愛加那から奪い、手紙の一通も書かなかったといいます。
また、西郷は明治維新後も島津藩が奄美の砂糖の専売制度を維持することを主張し、それによって奄美の人々から絞り上げた大金が西南戦争の軍資金にもなったとか。専売制度の撤廃の嘆願に来た人々を監獄にぶち込み、挙げ句の果てには若い嘆願団員を強制的に西郷軍に従軍させたとも。
幕末には島の人口の20%から30%がヤンチュといわれる債務奴隷にされたという薩摩の過酷な奄美支配についてはこれから勉強しようと思います。鹿児島でも奄美でもタブーにされてきちんと研究されてこなかったことだといいます。一体どういうことでしょう。西郷もまた、いや、西郷こそ、維新後も続く奄美の人々の黒糖地獄の元凶であったとすれば僕の西郷認識も本当にいい加減なものです。
西郷隆盛と奄美 http://amami.vqj.jp/amami/history8.html
ヤンチュ http://news.livedoor.com/article/detail/2951380/
『奄美、もっと知りたい』 神谷祐司著 南方新社
『奄美の債務奴隷 ヤンチュ』 名越 護 南方新社
◎奄美は山ばかり リアス式の海岸続きで村と村の間の海岸には道がありません。むかしは船で結ばれていたのでしょうか。それぞれの村の独立性が高かったに違いありません。今は結構高い山道を超えます。村は入り江に面しており立神(たちがみ)と呼ばれる形の良い岩が沖合にたっています。http://blog.goo.ne.jp/vagabond67/e/0008aca57039fbd5465980bef2b5c850
◎一字姓
村を歩いていると渡さん、隆さん、勇さん、などという表札が出ています。お墓にも龍・里・芝などの姓が見受けられました。勇さんなどは僕の感覚では姓ではなく名前です。なぜ?のままで帰ってきました。
先の本に答えがでていました。薩摩藩が奄美を支配していく際、島の支配層に苗字を許し取り込んでいったわけですが、対外的には奄美は琉球王国の支配地という形を取って薩摩の直接支配を隠したのだそうです。明、清が琉球との交易を断つのを薩摩藩が恐れたというわけです。一字姓は中華帝国圏の文化の象徴です。そういえば琉球の王様は尚さんでした。
1923年の関東大震災の時には、東京在住の奄美出身者が朝鮮人や中国人にまちがわれ、一字姓に「卑屈」を感じて、以後二字姓に改姓する希望者が出たとのこと。震災時にたくさんの朝鮮人が虐殺されたことは痛恨事ですがこれは初めて知ることです。戦後のアメリカ軍政時代(45~53)は手続きが簡単で、二字姓が増えたそうです。
◎「敬天愛人」に「?」
僕のどこかに西郷隆盛を尊敬する気持ちがあります。大久保利通よりずっと好きなことはたしかです。ですから奄美でも、到着直後に龍郷町龍郷を訪ねました。西郷が島流しにされたとき住んだという家のあとがあります。入場料を払うほどのものではないと思って外観を見ただけですが。
2冊の本をぱらぱらめくっているとこの島の人たちの西郷に寄せる思いは複雑なことが伺われます。西郷は「島妻」愛加那が生んだ二人の子を後年、愛加那から奪い、手紙の一通も書かなかったといいます。
また、西郷は明治維新後も島津藩が奄美の砂糖の専売制度を維持することを主張し、それによって奄美の人々から絞り上げた大金が西南戦争の軍資金にもなったとか。専売制度の撤廃の嘆願に来た人々を監獄にぶち込み、挙げ句の果てには若い嘆願団員を強制的に西郷軍に従軍させたとも。
幕末には島の人口の20%から30%がヤンチュといわれる債務奴隷にされたという薩摩の過酷な奄美支配についてはこれから勉強しようと思います。鹿児島でも奄美でもタブーにされてきちんと研究されてこなかったことだといいます。一体どういうことでしょう。西郷もまた、いや、西郷こそ、維新後も続く奄美の人々の黒糖地獄の元凶であったとすれば僕の西郷認識も本当にいい加減なものです。
西郷隆盛と奄美 http://amami.vqj.jp/amami/history8.html
ヤンチュ http://news.livedoor.com/article/detail/2951380/