昨日(7日)は狭山の「石橋農園収穫祭」に行きました。石橋さんは「東京教育大学新聞会」の先輩です。狭山に住むようになって家庭菜園で里芋や大根などを丹誠込めて育てておられます。農学部の出身で農業関係の仕事をされてきたせいか百姓仕事が身に付いています。毎年のように収穫祭を開催し、新聞会で同時期に活動された方々が集まります。
農園は西武新宿線の電車が轟音をあげて通過する線路際にあります。今年の参加者は教亢さん、渡辺さん、青柳さん、明子さん、武彦さん、それに若輩のぼく。ぼくをのぞく方々は皆70代ですが群馬県や神奈川県など遠くからもきておられます。50年代末から60年代にかけて青春時代をともにされた方々です。
ぼくは2度目の参加ですが、先輩たちは「仲がいいなあ」という印象です。今はもう口角泡を飛ばすということはありません。それぞれの今をそれとなく交流されています。
ぼくだけはちょっと遅れた世代です。それぞれの方に世話になった思い出がありますが「先輩」です。お一人お一人の人生について聞かせて貰いました。
ぼくが高知の出身だというと四国や高知と関わる体験を話してくれます。
教亢さんは四国遍路を2回もされたとのことで室戸あたりの事情にも通じておられます。若い時代は週刊誌の記者でした。ジョン万次郎から始まって土佐の人物にも造詣が深いようです。
明子さんは地理学、地質学のフィールドワークで縁がありました。四国は二つのプレートがぶつかってできたらしく、大歩危小歩危の地峡地帯のほか室戸岬も若いときに歩いたそうです。
渡辺さんは香川大学で働いていた時代があり、四国の事情に通じておられます。
武彦さんは出版社の社員として若いときに全国の書店を回りました。中村や高知などを巡った体験がリアルです。室戸は奥さんとの旅で行かれ、津呂の湊で泳いだとか。
青柳さんは新婚旅行で牟岐線の日和佐に行って泊まったそうです。いま、NHKの朝のドラマの舞台です。
お一人お一人の70年余の歩みの中に我が故郷が印されていて何となくうれしくなりました。できることなら、一緒に土佐の旅をしてみたい、なあ。
はじめから終わりまで料理作りに明け暮れた農園主のお話はお宅に引き上げてから少し伺うことができました。
九州・大牟田の出身です。干潮時には何KMも遠浅になる海岸にでて大量の貝を採ったそうです。満ち潮になるときに逃げ遅れて潮に飲み込まれる人もいたとか。
有明海を訪ねたとき、干上がった湊に船が横たわっていた風景を思い出しました。昔の遺跡にきたのかと思ったものです。
おみやげにたくさんの野菜たちを持たせてくれました。
これがきっかけになって先輩たちのそれぞれと交流ができるかもしれません。
昔、新聞の企画で渡辺さんに頼まれて「オノヨーコ」さんの自宅を訪ねたことがあります。今度は群馬の渡辺さんのお宅を訪ねて利根川のサイクリングをしてみたいと思っています。
農園は西武新宿線の電車が轟音をあげて通過する線路際にあります。今年の参加者は教亢さん、渡辺さん、青柳さん、明子さん、武彦さん、それに若輩のぼく。ぼくをのぞく方々は皆70代ですが群馬県や神奈川県など遠くからもきておられます。50年代末から60年代にかけて青春時代をともにされた方々です。
ぼくは2度目の参加ですが、先輩たちは「仲がいいなあ」という印象です。今はもう口角泡を飛ばすということはありません。それぞれの今をそれとなく交流されています。
ぼくだけはちょっと遅れた世代です。それぞれの方に世話になった思い出がありますが「先輩」です。お一人お一人の人生について聞かせて貰いました。
ぼくが高知の出身だというと四国や高知と関わる体験を話してくれます。
教亢さんは四国遍路を2回もされたとのことで室戸あたりの事情にも通じておられます。若い時代は週刊誌の記者でした。ジョン万次郎から始まって土佐の人物にも造詣が深いようです。
明子さんは地理学、地質学のフィールドワークで縁がありました。四国は二つのプレートがぶつかってできたらしく、大歩危小歩危の地峡地帯のほか室戸岬も若いときに歩いたそうです。
渡辺さんは香川大学で働いていた時代があり、四国の事情に通じておられます。
武彦さんは出版社の社員として若いときに全国の書店を回りました。中村や高知などを巡った体験がリアルです。室戸は奥さんとの旅で行かれ、津呂の湊で泳いだとか。
青柳さんは新婚旅行で牟岐線の日和佐に行って泊まったそうです。いま、NHKの朝のドラマの舞台です。
お一人お一人の70年余の歩みの中に我が故郷が印されていて何となくうれしくなりました。できることなら、一緒に土佐の旅をしてみたい、なあ。
はじめから終わりまで料理作りに明け暮れた農園主のお話はお宅に引き上げてから少し伺うことができました。
九州・大牟田の出身です。干潮時には何KMも遠浅になる海岸にでて大量の貝を採ったそうです。満ち潮になるときに逃げ遅れて潮に飲み込まれる人もいたとか。
有明海を訪ねたとき、干上がった湊に船が横たわっていた風景を思い出しました。昔の遺跡にきたのかと思ったものです。
おみやげにたくさんの野菜たちを持たせてくれました。
これがきっかけになって先輩たちのそれぞれと交流ができるかもしれません。
昔、新聞の企画で渡辺さんに頼まれて「オノヨーコ」さんの自宅を訪ねたことがあります。今度は群馬の渡辺さんのお宅を訪ねて利根川のサイクリングをしてみたいと思っています。