久しぶりの川越は晩秋から初冬へと移っていくところです。昨日歩いた入間川の河川敷の森はどこを歩いても落ち葉でいっぱいです。林床に暖かい日差しが届いています。。
我が家の玄関脇のハナミズキは赤い葉をアスファルトに散らし続け、一応庭はコリンゴの落ち葉で埋まっています。
今朝は図書館に行って『二十四の瞳』のVTRを予約した後、「名作映画会」で『名もなく貧しく美しく』を鑑賞しました。我々世代を中心に会場は満杯でぼくは最前列の中央の席を確保しました。
主演は『二十四の瞳』の高峰秀子です。監督は松山善三。『二十四の瞳』の撮影期間中に助監督だった松山さんが高峰秀子に交際を申し込み、翌年(1955年)二人は結婚した、とは昨夜枕頭の書で読んだばかりです。1961年、松山善三監督の第一作だといいます。
今日の映画会の案内では「戦争末期、終戦から戦後の困窮時代、そして今日に至る十数年を聴覚障害を持った女性が、貧しいながらも美しく強い夫婦愛で生き抜いた姿を描く感動の物語」と紹介されています。
「SILENTSHEEP*NET」というブログに印象に残る映評があります。「差別と闘う」という生き方を模索してきたはずのぼくも頷きながら読みました。勝手ながら紹介させてもらいます。
『名もなく貧しく美しく』を観てhttp://silentsheep.net/silent/namonaku.html
我が家の玄関脇のハナミズキは赤い葉をアスファルトに散らし続け、一応庭はコリンゴの落ち葉で埋まっています。
今朝は図書館に行って『二十四の瞳』のVTRを予約した後、「名作映画会」で『名もなく貧しく美しく』を鑑賞しました。我々世代を中心に会場は満杯でぼくは最前列の中央の席を確保しました。
主演は『二十四の瞳』の高峰秀子です。監督は松山善三。『二十四の瞳』の撮影期間中に助監督だった松山さんが高峰秀子に交際を申し込み、翌年(1955年)二人は結婚した、とは昨夜枕頭の書で読んだばかりです。1961年、松山善三監督の第一作だといいます。
今日の映画会の案内では「戦争末期、終戦から戦後の困窮時代、そして今日に至る十数年を聴覚障害を持った女性が、貧しいながらも美しく強い夫婦愛で生き抜いた姿を描く感動の物語」と紹介されています。
「SILENTSHEEP*NET」というブログに印象に残る映評があります。「差別と闘う」という生き方を模索してきたはずのぼくも頷きながら読みました。勝手ながら紹介させてもらいます。
『名もなく貧しく美しく』を観てhttp://silentsheep.net/silent/namonaku.html