坂中英徳さんの「帰国者問題入門講座」が14日で終結しました。最終回の冒頭部分を紹介します。
「あの日を忘れない」新潟港追悼集会
1959年12月14日は975人の在日コリアン及び日本人妻らが乗った最初の帰国船が新潟港から北朝鮮に向けて出港した日である。2009年12月14日はその50年の節目の日にあたる。
私たちは、戦後最大の悲劇である北朝鮮帰国者問題を歴史の闇に葬らせるわけにはいかないと考えている。悲劇の幕が上がった日をいつまでも語り継いでいく。
あの日、新潟港から希望に燃えて北朝鮮に移住した帰国者たち。しかし、行った先は人間の住める国ではなかった。北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、官憲から監視され、想像を絶する迫害を受けた。強制収容所で亡くなった人や処刑された人は優に1万人を超えると言われている。
日本人でありながら北朝鮮公民とされ、日本に帰国することが許されなかった日本人妻のほとんどは、祖国に帰る願いがかなわず無念の死に追いやられた。日本人妻の遺言は「頭を日本海のほうに向けて埋葬してほしい」というものであった。
日本に残ったコリアンも帰国運動の犠牲者である。肉親が本国に囚われの身となり、この上ない残酷な仕打ちを受けたからだ。北朝鮮への怨念を抱えたまま「憤死」した在日コリアンは多数にのぼる。
痛恨に堪えないことだが、これらの膨大な数の死者たちの霊はいまだとむらわれていない。ここに私たちは、北朝鮮帰還事業開始から50年目の日を迎えて、新潟港において帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈る追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放をめざして全力を尽くすことを霊前に誓うため「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を挙行する。
「帰国者問題入門講座27」
http://blog.livedoor.jp/jipi/
「川越だより」をのぞいてくださる皆さん、一緒に受講していただけましたか。
できなかった方はこの際、まとめて挑戦してみてください。
コリアン帰国者、日本人妻の方々やそのこどもや孫に注ぐ坂中さんの暖かいまなざしと、これらの人々の解放への熱い思いに気づいて心を揺さぶられます。
坂中さんが所長を務める移民政策研究所人道移民支援センターが主催して12月14日に新潟港で追悼集会が行われます。また13日には東京でシンポジウムが予定されています。
詳細が発表されれば「川越だより」でもお知らせします。関心がある方は両日をあけておいてください。
「あの日を忘れない」新潟港追悼集会
1959年12月14日は975人の在日コリアン及び日本人妻らが乗った最初の帰国船が新潟港から北朝鮮に向けて出港した日である。2009年12月14日はその50年の節目の日にあたる。
私たちは、戦後最大の悲劇である北朝鮮帰国者問題を歴史の闇に葬らせるわけにはいかないと考えている。悲劇の幕が上がった日をいつまでも語り継いでいく。
あの日、新潟港から希望に燃えて北朝鮮に移住した帰国者たち。しかし、行った先は人間の住める国ではなかった。北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、官憲から監視され、想像を絶する迫害を受けた。強制収容所で亡くなった人や処刑された人は優に1万人を超えると言われている。
日本人でありながら北朝鮮公民とされ、日本に帰国することが許されなかった日本人妻のほとんどは、祖国に帰る願いがかなわず無念の死に追いやられた。日本人妻の遺言は「頭を日本海のほうに向けて埋葬してほしい」というものであった。
日本に残ったコリアンも帰国運動の犠牲者である。肉親が本国に囚われの身となり、この上ない残酷な仕打ちを受けたからだ。北朝鮮への怨念を抱えたまま「憤死」した在日コリアンは多数にのぼる。
痛恨に堪えないことだが、これらの膨大な数の死者たちの霊はいまだとむらわれていない。ここに私たちは、北朝鮮帰還事業開始から50年目の日を迎えて、新潟港において帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈る追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放をめざして全力を尽くすことを霊前に誓うため「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を挙行する。
「帰国者問題入門講座27」
http://blog.livedoor.jp/jipi/
「川越だより」をのぞいてくださる皆さん、一緒に受講していただけましたか。
できなかった方はこの際、まとめて挑戦してみてください。
コリアン帰国者、日本人妻の方々やそのこどもや孫に注ぐ坂中さんの暖かいまなざしと、これらの人々の解放への熱い思いに気づいて心を揺さぶられます。
坂中さんが所長を務める移民政策研究所人道移民支援センターが主催して12月14日に新潟港で追悼集会が行われます。また13日には東京でシンポジウムが予定されています。
詳細が発表されれば「川越だより」でもお知らせします。関心がある方は両日をあけておいてください。