先日、岩手県久慈市のべっぴんの湯に泊まっているとHさんから電話をもらいました。小学校の管理職をしている夫人といっしょに陸中の海岸を旅してここにたどり着いたのです。べっぴんの湯を選んだのには「川越だより」が役立ったかな?肌がすぐにすべすべする気持ちいい湯です。お連れ合いが喜んでくれたようです。
Hさんたちは僕とは逆に一関~陸前高田~釜石(泊)~宮古~久慈と北上して大震災と津波に見舞われた津々浦々を観てこられたようです。
僕は友人たちがどんどん被災地のたびを体験してくれるといいなあと思っています。被災地というとボランティアと発想し、観光旅行など不謹慎などと思われる方もいるかもしれません。
震災直後にはそうだったかもしれませんが一年半近くが経ちました。道路などのインフラの復興も進んでいます。旅人が邪魔になるとは思えません。
1000年に一度といわれる大災害です。まだ生々しい被災のあとを見学することは映像で見るとは違った感慨が湧いてきます。自分の生き方や考え方に変化が生まれるかもしれません。百聞は一見に若かず、ですね。
年寄りのたびは復興の手助けにはなりませんが賑わいにはなります。「枯れ木も山の賑わい」。
三陸海岸はもともとが有数の観光地です。優れた景観に恵まれています。「森は海の恋人」という言葉を生んだ地でもあります。自然の営みのすごさ、すばらしさに気づいて圧倒されます。
ひとりひとりの落すカネは些少でも「チリも積もれば」です。旅館やホテルは生き返るでしょう。
僕らは各地で出会った人々に喜んでもらえた上にいろいろな手土産までいただく始末でした。
「見捨てられるのはさびしい」という方もいました。そうだろうと思います。
修学旅行で訪れる学校も増えつつあるとか。
修学旅行 被災地へ 遊佐の西遊佐小
山形県遊佐町の西遊佐小学校(黒木佳昭校長・児童数72)の6年生15人が27日、修学旅行で岩手県大槌町を訪れ、被災した学校や役場などを見学した。市街地が壊滅的に被災した大槌に、修学旅行生が来たのは初めて。
西遊佐小は、例年、宮城・岩手両県の観光地を修学旅行の場所にしている。今年は、黒木校長が「直接、被災地を自分の目で見ることで新たな気づきがあるはずだ」とコースに組み込むことを提案。先生や保護者に異論はなく、例年1泊2日だった日程を1泊延ばした。
遊佐町と大槌町は、どちらも湧き水が豊富に出ることから交流が続いている。昨年10月と今年3月には、大槌町の児童らが稲刈り体験などをした。その縁から、大槌が選ばれた。
一行は、バスで6時間かけ、まず避難所にもなった吉里吉里小学校に。岩切博文副校長から津波を目の前に見て避難した体験談を聞き、児童の演奏を聞いたり一緒に写真を撮ったりした後、被災した市街地に向かった。
がれきやヘドロに負けずに生き残った希少な淡水型イトヨの生息地や、被災した小中学校や役場などを巡り、高台で廃虚となった市街地を一望した。町職員が「庁舎2階まで津波が来た」と説明すると、「あんな高くまで」と指をさしてはメモを取っていた。
参加した鈴木涼さん(12)は「大槌の小学生は思ったより明るかった。初めて被災地を見て、命は大切だなと思った。帰ったら家族や下級生に伝えたい」。三国郁也君(12)は「普通なら観光地を旅行するんだろうけど。今日のことはずっと心に残ると思う」と話していた。
ツアーを組んだトム旅行(山形県酒田市)によると、山形から修学旅行で被災地を訪れる計画をしている学校は、少しずつ増えているという。(東野真和)
出典●http://www.asahi.com/edu/news/TKY201206280350.html
そういえばHさんのお連れ合いは小学校の校長先生です。今度のたびの見聞が生かされるときがくるのかも知れません。
去年・今年と夏休みなどにボランテァで被災地を訪ねた教員も多いと思われます。教育委員会や校長はそうした教員のイニシアティブを生かして創意ある修学旅行を計画してほしいものです。
きいちご移動教室は一泊ですから宮城や岩手は無理です。北茨城やいわきの海岸地帯なら訪ねられるかな、そんなことを考えています。
今日はKさんを誘って長野県大町に行きます。