川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

新里金福さん

2010-05-15 03:41:10 | 政治・社会
  5月15日(土)

 ○5・15事件 1932年(昭和7年)海軍青年将校らが犬養毅首相らを暗殺。

 ○沖縄返還  1972年(昭和47年)5月15日沖縄返還協定が発効し沖縄が日本に復帰した。

  沖縄返還協定 http://machidaheiwa.fc2web.com/tokushyuu/2law/okinawa.html

 5月15日といえば思い出す出来事です。

 ぼくは社会科の教師だったのに5・15事件の方は中学・高校で習った程度のことしか知りません。世界恐慌(1929~)のただ中でこの事件をきっかけに政党政治が終結させられ、軍部の政治支配が露骨となっていく…。

 沖縄返還のことは昨日のことのように思い起こすことが出来ます。この年、池袋商業高校で新里金福という方を招いて全校講演会を行いました。

 このときの様子が『沖縄解放闘争の未来像 』(新里金福/新泉社/1973発行/1,800)という本に記されています。お話に飽きた?生徒がざわつき講師の新里さんが一喝を入れたのではなかったかと思います。

 司会進行のぼくははらはらしながらもこれはこれでイイかと思った記憶があります。これが現実であることを認め、ここから出発するしかないのです。聞いてくれるところでしか話したことがなかった新里さんには忘れられない体験だったようです。

 あれから38年が経ち、今普天間基地の撤去問題が焦点になっています。
沖縄では基地撤去を要求する集会やデモが昨日から行われています。

 沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-14_6480/

 あの時、新里さんに一喝された人たちも50代の半ばです。どんな考えを持って居るのでしょう。どこかで聞いてみたいものです。

 ぼくが編集した「72年返還と沖縄」(池袋商業高校・生徒部発行)という感想文集が手元に残っている人が居るのでしょうか。ぼくもこの機会に探し出して読んでみようと思います。
 「沖縄問題」は様々な角度からとらえなければなりませんが「本土」の人間が自分たちが直面している課題と認識して居るかどうかが大事です。

 ぼくも偉そうなことは言えません。少しは本気で考える事だけはしていきたいと改めて思います。

 今日はこれから「きいちご移動教室」に出発です。

第10回きいちご移動教室

2010-05-14 05:08:44 | 中国残留日本人孤児
 明日からいよいよ「きいちご移動教室」です。ぼくにとっては今年前半最大のイベントです。

 1985年から「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」が在日コリアンの多住する荒川区三河島で始めた「木苺舎」に淵源する活動です。

 木苺舎を閉鎖したあと、その精神を継承するつもりで「きいちご基金」が年二回の移動教室を行ってきました。

 今回の参加者は49名で大半は「中国残留日本人孤児」とその家族です。城戸久枝さん夫妻が夜の交流会に参加してくれます。

 幸いにも天気も良さそうです。そこで、昨日、最終的にコースを定めて関係者と打ち合わせを完了しました。


  <第10回きいちご移動教室>カラマツ芽吹き、風薫る嬬恋高原

     『遙かなる絆』原著者・城戸久枝さんとともに

○1日目・5月15日(土)

 JR日暮里駅前~(首都高・関越・上信越道)~軽井沢I・C~鬼押出し園(昼食)~群馬・

満蒙拓魂之塔~愛妻の丘~バラギ湖~嬬恋自然休養村 夜・交流会(城戸久枝さん)


○2日目・16日(日)

 嬬恋自然休養村~嬬恋牧場~(志賀草津高原道路)~善光寺(昼食)~(高速)~日暮里

 二日目に雪の壁の残る志賀高原に行けそうです。

  志賀草津高原ルート 雪の回廊http://vwdrive.web.fc2.com/siga.html

 順調であれば信州大学の自然教育園に寄り、長池の周囲を散歩して冬から春へと向かう自然の営みを観察します。北の国で育った人ばかりです。どういう思いをもたれるのでしょう。

 旅の最後は善光寺です。戒壇巡りをしたあと、雲上殿に登ります。ここには満蒙開拓団犠牲者の慰霊碑があります。

 善光寺・雲上殿http://zenkozi.com/highlight/palace02.html

 今回の移動教室では最初と最後に満蒙開拓団犠牲者の慰霊碑を訪ねることになります。群馬県(上州)と長野県(信州)です。

 長野県は特に犠牲者の多かったところです。

 参考 川越だより 「善光寺参り 上」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/f218177f23129782803d746917005f67

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上信の旅③ 高橋まゆみ人形館

2010-05-13 06:13:10 | 出会いの旅
 5月10日(月)曇

 下見の旅の最終日は木島平の野菜直売所「たかやしろ」から。前日、高山のおばあちゃんの指揮のもと沢山のコゴミを採ったり、先年も世話になった宿の支配人から立派な山ウドをもらったにもかかわらず、菜穂子ちゃんと妻は山菜の購入に目の色を変えています。富山から年に3回は来るという老夫婦はナスなどの苗を紅葉マークの車に積み込んでいました。

 近くの「みゆき野アート村 岩上隆静館」に寄ってみました。この辺りの風景を描いた岩上さんの絵がぼくは好きなのです。

  岩上隆静館(いわかみりゅうじょ)http://www.ne.jp/asahi/gallery/sankodo/ehagaki.htm

 飯山の街では「高橋まゆみ人形館」を訪ねました。4月24日に開館したばかりです。今日は月曜日ですが人で一杯です。

 全国で巡回展を開いたあと、故郷飯山に落ち着いたということです。知らないのはぼくだけでどこの展覧会も長蛇の列をなしたといいます。

 高橋まゆみ創作人形http://www.1-light.com/dollart.htm

 作品を見ていると遠い遠い昔、どこかで出会ったような年寄りとその家族の風景がよみがえってきます。

 こういう風景の中で自分たちも育てられたのです。

 ぼくは嫁にいびられたといって鍋釜を背負って家出するおばあちゃんの姿が気に入りました。

 誰が見てもわかりやすく、心が和む人形の世界です。あちこちで参観者の独り言が聞こえます。誰かに自分の思いを伝えたくなる美術館です。イイですね。

 まゆみの気まぐれ日記http://blog.goo.ne.jp/mayumi-dollart/

 寺を巡ったあと飯山城址に遊んで旅の締めくくりとしました。

 
 千曲川 板橋長し ふりさけて 越後(えちご)境の 山見ゆるかな


  土田耕平歌碑http://gazoo.com/g-blog/yokotyou/127264/Article.aspx



 

上信の旅②品木ダム

2010-05-12 06:48:05 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
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 5月9日(日)晴れ

 群馬県嬬恋村の千代田区・自然休養村を9時前に出て品木ダムに向かう。つまごいパノラマラインを走り、草津の街を抜け、六合村(くにむら)に入った辺りにそのダムはあった。

 品木ダムhttp://www.google.co.jp/imglanding?q=%E5%93%81%E6%9C%A8%E3%83%80%E3%83%A0&imgurl=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Shinaki_Dam_lake.jpg/300px-Shinaki_Dam_lake.jpg&imgrefurl=http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%2593%2581%25E6%259C%25A8%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A0&h=225&w=300&sz=13&tbnid=caxxYX7xUmItXM:&tbnh=87&tbnw=116&prev=/images%3Fq%3D%25E5%2593%2581%25E6%259C%25A8%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A0&hl=ja&usg=__yQdf1dY1Ars6T8F3H9F7T9iDd4M=&ei=B73pS7HAF4Hi7AOZ46C_Cg&sa=X&oi=image_result&resnum=6&ct=image&ved=0CCEQ9QEwBQ&start=0#tbnid=L0Fdxk0XV09p3M&start=8

 湖水を見て妻が「(白根山の)お釜の色と同じだね」という。そうだなと思う。40年も昔訪ねたことがあったなあ。

 白根山・お釜http://blogs.yahoo.co.jp/rnpqc271/41634539.html

 品木ダムは硫黄鉱山の廃鉱から流れ出る水や草津温泉の温排水を集めて中和事業を行うためのダムです。硫黄分が多く強酸性のためそのまま流せば吾妻川が死の川になってしまうのです。

 一日60トンもの石灰を欠かすことなく投入して中和作業が続けられています。当然のことながら化学反応の結果出来た沈殿物がダムの底にたまります。それを絶え間なく浚渫してダムの安全を維持します。

 こんなダムがあることを知ったのはつい最近のことです。八ッ場ダム問題に関わって保坂展人さんのブログで教えてもらったのです。

 自然の資源を活用した結果、際限もなく続けなければならない作業です。堆積物に大量のヒ素が含まれていると指摘されていますがこの問題はまだ隠されたままです。

 お釜を見たり、草津の湯に浸って喜んでばかりは居られません。

 中和事業の全貌をわかりやすく追跡したブログがあります。

 品木ダムhttp://yosuzume2.web.infoseek.co.jp/dam/shinaki/shinaki_01.htm

 保坂さんのブログ・ヒ素http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/5a6a3d64c3b55531085fe0708d5705da?fm=rss

 品木ダムを見学したあと、志賀草津道路を経て北信濃に向かいました。

上信の旅①  北軽・嬬恋

2010-05-11 06:51:32 | 中国残留日本人孤児
 第10回「きいちご移動教室」の下見の旅から昨夕6時、無事帰着しました。

 昨年と同様、菜穂子さん(池袋商業高校 84年1~5)が同道してくれたのでいつもよりいっそう楽しい旅となりました。今回は菜穂子さんが助手席に座ってくれました。一人娘の笑ちゃんが希望の高校に入学して肩の荷が下りたようです。運転する妻との会話が弾みます。

 

 5月8日(土)晴

 川越~(高速)~渋川・伊香保~北軽井沢~嬬恋

 ○群馬満蒙拓魂之塔http://eritokyo.jp/independent/aoyama-co11033.html

 北軽井沢から慰霊碑までは立派な舗装道路が続いており55人乗りの大型バスも楽々入れることを確認。

 慰霊碑横の大屋原開拓の記念碑前で弁当を広げるのもイイかな。満州から引き揚げて来て再び開拓に挑んだ人々の苦難の地だが今は正面に浅間山が見える一等地。でも鼻のいい人には家畜のにおいが気になる?


 参考・川越だより「拓魂の塔」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/c8a6846d79776653470fe767979bd66b

 
 ○北軽井沢駅http://www.ma.ccnw.ne.jp/hiro-h/Kitakaru-monogatari/09wa/09wa.htm

 北軽井沢の食堂で昼食をしていると目の前に「北軽井沢駅」舎が見える。昔、草軽軽便鉄道というのがあって本当にここに駅舎があったという。びっくりした。ちなみにこの辺りは「北軽井沢」とは言っても群馬県長野原町の一角。駅ももとは「地蔵川駅」といった。

 近くの「大学村」は元々、法政大学の学者たちの村だったらしい。戦後、内紛で潰えたとか。いかにも「学者」らしい。

 食堂で会った地元の方の話でシャクナゲ園の開花が遅れていることを知る。

 ○法政大学村http://homepage2.nifty.com/blue_berry/00-top-15.htm
 


 ○愛妻の丘http://www.aisaika.org/mission/14kyabechu/aisainooka.html

 嬬恋パノラマラインをひた走る。どこまでも続くキャベツ畑。その一角にある。

 ○バラギ湖

 宿舎の近くに広がる。桜の花盛り。

 ○嬬恋自然休養村http://hoyou.city.chiyoda.tokyo.jp/tsumagoi/t_index.html

 浅間山の景観がすばらしい。食事が満点。廉価な宿で最高のもてなし。中国から来た人たちならずともびっくりすることだろう。千代田区立だが誰でも利用可。

 

 <移動教室一日目コース(案) 5月15日(土)>

 日暮里~(首都高・関越・上信越道)~軽井沢I・C~鬼押出し園(昼食)~満蒙拓魂之塔

~愛妻の丘~バラギ湖~自然休養村 夜・交流会(城戸久枝さん)

 今のところ天気予報は「晴れ」。シャクナゲは無理だが春の花々とカラマツの芽吹きに迎えられて楽しい交流の一日になるだろう。
 


北信濃だより

2010-05-10 05:48:57 | 出会いの旅
5月10日(月)

 長野県木島平村の「パノラマランド木島平」にいます。

 嬬恋村の下見を終えて昨日、草津志賀高原ルートを通ってやってきました。渋峠付近には高い雪の壁が残っていました。長池の周りを歩いてみました。白樺の林の風景が印象的です。葉の一枚も無い木々の白い幹や枝がX線を見るように透き通って見えます。

 午後、菜穂子さんと3人で高山すみ子おばあちゃんを誘って飯山市(旧瑞穂村)福島のお墓参りをしました。

 阿弥陀堂に行くと北林谷栄さんを追悼する飯山市民一同という文章が掲示されていました。映画『阿弥陀堂だより』でやはりおばあちゃん役をやったのですね。

 菜の花の美しい寺の近くで3人はおばあちゃんの指揮を受けながら山菜取りに精を出しました。おばあちゃんは目も耳もしっかりしていて遠くからでもソレを取れあれを取れと細かい指示を出します。一年ぶりの再会ですがとても元気です。

 今日は飯山の町を歩いた後、北アルプスを遠望して帰途につきます。




「森は海の恋人」

2010-05-08 05:07:29 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 先日「さきたま史跡の博物館」を訪ねたおり、「さいたま文学館」(桶川市)で「森は海の恋人」展をやっていることを知りました。

 8日(土)にはこの運動の中心人物・畠山重篤(しげあつ)さんの講演会もあります。これはまたなんとしたことか。ぼくはこの日、「きいちご移動教室」の下見で群馬県嬬恋村に出かける予定になっているのです。残念!

 それにしてもなぜ文学館で?と思ったものです。

 鍵はビラの表題脇に添えられている歌一首にありました。

 「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの 愛紡(つむ)ぎゆく」

 宮城県気仙沼に住む歌人・熊谷龍子さんの作品だということです。この歌にヒントを得て畠山さんが「森は海の恋人」というキャッチフレーズを考え出し、自分たちの運動の原動力としたのです。

 文学が生態系を守る運動の力になったというわけです。

 龍子さんの祖父・熊谷武雄は前田夕暮に師事し、雑木林を自然界の母になぞらえた歌を詠んだ歌人だったといいます。夕暮は神奈川県の出身ですが1919年からの数年を埼玉県秩父郡両神村・大滝村で過ごした人で牧水とともに自然主義を代表する歌人です。

 これで埼玉県とのつながりも解りました。

 牡蠣(かき)造りの漁師が川上の森造りに精を出す。最初は何のことかと思ったのではなかったか。「生態系」の不思議に気づかされてぼくも次第に「大自然教」の信徒となりました。「森は海の恋人」なのです。

 下見から帰ったら桶川の文学館に行きます。

 ○埼玉文学館http://www.saitama-bungakukan.org/

 ○カムイミンタラ 畠山重篤http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=68199505z03

北林谷栄さん 『にあんちゃん』

2010-05-07 06:52:42 | 映画  音楽 美術など
 北林谷栄(たにえ)さんが亡くなられました。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100506-00000606-yom-ent


 北林さんといえば遠い昔から何かお世話になってきたおばあちゃんという感じです。ぼくは芝居は見ないのでもっぱら映画の世界ですが…。

 『にあんちゃん』に出ていたのを思い出します。

 ○http://www.youtube.com/watch?v=b4ONPuYwQpg

 ○http://monpa2003.hp.infoseek.co.jp/nianchan.htm

 残念ながらこれらの場面には北林さんは写っていません。映画の冒頭部分で炭坑町の朝鮮人のおばあちゃんとして出てきたのではないかと思います。

 久しぶりに古いビデオを探し出して見てみたくなりました。

 『にあんちゃん』は高校生の頃、NHKのラジオドラマで聞き、日活の映画を見、そして本を読みました。

 ぼくの想像も付かない世界で生きる人達の物語ですが同じ時代を生きるぼくにも人を思う気持ちや人生の希望を育くんでくれたのではなかったかと思われます。

 映画の出演者を見ると北林さんだけでなく本当に豪華な俳優たちが出ています。こんな人達に世話になって青春の危機の時代を生きることが出来たのかとありがたい気持ちになります。殿山泰司、芦田伸介、小沢栄一…。

 にあんちゃん・キャストhttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26425/cast.html
 

 末子さん兄姉の近況にもふれたブログがありました。

 http://www.yoyokaku.com/sub7-31.htm

 北林谷栄さん、ありがとうございました。(合掌)

びっくり仰天 鳩山発言

2010-05-06 10:14:58 | 政治・社会
 5月5日(水)晴れ

 10時過ぎに家を出て「沖縄展」開催中の丸木美術館へ。カツヨシさんに久しぶりに会えた。山吹高校OBのTくんが久しぶりにボランティアとして働いていた。今春、大学に入り、民俗学を勉強するという。Aくんもやってきて二人は遅くまで交流したらしい。

 今日は佐喜真さんのお話を聞くのが目的だったが会場が満杯で場外に設置されたスピーカーに耳を傾けた。周辺がうるさく、聞き取れなかったせいもあるがぼくには参考にならなかった。残念な気持ちを残したまま、遅くならないうちに自転車に乗った。

 4日、沖縄での鳩山首相の発言には仰天した。

 「(最低でも県外と言った)当時、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならない理由はないと思っていた。学べば学ぶにつけて(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持しているという思いに至った。浅かったと言われれば、その通りかもしれない」

 出典http://mainichi.jp/select/world/news/20100505ddm001010003000c.html

 ぼくのような一市民ならともかく、こんな発言が一国の最高権力者に許されるはずはない。

 鳩山さんは人の話に耳を傾けることが出来る珍しい総理大臣だ。この問題についても総理になっていよいよ真剣に学んできたのだろう。そして考えが変わったのだという。

 事柄は国の安全保障の根幹に関わる事だ。「浅かった」ですむはずがない。どうするつもりだろう。

 民主党というのも困ったものである。国の命運に関わる問題についてどこかで真剣に議論をして方針を決めているのだろうか。今回のことでも鳩山さんが一人で学び一人で行動しているように見える。

 鳩山さんは辞任するほかに道はないが、こんな事では責任ある政党とは言えない。

 韓国の軍艦の爆沈事件など朝鮮半島をはじめとする東アジアの緊張が高まっている。こうした事態の中で日本はどうしたらいいのか。

 沖縄の人々にこれ以上の負担を求めることは出来ない。これだけは国民的合意である。

 鳩山さんがいましなければならないことはご自分が学んだ事とはどういう事か、日本はどうあらねばならないと考えているのか、心を込めて国民に説明することではないか。

 そして遅まきながら国民的議論を巻き起こす以外にない。普天間基地の機能を同じ沖縄県内に移すなどということはあってはならない。ならばどうすべきか。ぼくも学び考えていくほかはない。


行田  さきたま古墳・忍城址

2010-05-05 04:33:01 | 川越・近郊
5月2日(日)晴れ

 日々忙しく働いていてなかなか会えない北高時代の「中国残留日本人孤児二・三世」の人たちも連休の日曜日ならばつかまるかと電話してみた。

 ○進くん  電話がつながらないのでお姉さんの春江さんに聞いてみた。春江さんは相変わらずの頑張りやさんで高校生になった娘さんの学資稼ぎに懸命である。15歳の春江さんにあったのは87年のことだ。

 進くんは3人の子どもたちが大きくなったので広めの都営団地に引っ越していた。小6の娘さんが170cmにもなるとか。タクシーの運転手になって数年、今はベテラン?だ。厳しいスケジュールに変わりはなく連休は無縁。今朝、帰ったばかりだという。

 優しくまじめで高校生の時から友人たちの相談に乗ってきた。今も変わりがない。中国から来たお連れ合いも仕事に慣れ日本語も達者になってきたとか。会ってみたいなあ。久しぶりに。

 ○寛十郎くん  近頃、大阪に単身赴任中で、今朝バスで帰ったばかり。中国から来たお連れ合いと二人で頑張って子育てに懸命だ。起業を考えている。

 ○洋くん  トラックの運転手。スケジュール通りの勤務で連休とは無関係。こどもさんが高校生になった。

 ○洋介くん 体調を崩して失業していたがタクシー運転手の免許を取り、ただいま見習い訓練中。東京の地理の試験で苦戦し、進くんのアドヴァイスで何とかクリアーしたとか。

 40での再出発だ。不安は大きいが頑張る、と。無事、営業運転が出来るようになったら世話になった友人たちと一緒に食事会を計画するという。

 他の人は元気だろうか。きいちご移動教室に顔を出してくれる人もいるがしばらく会っていない人が多い。この不況下である。

 久しく途絶えている「中国クラブOBOG会」も夏辺りには出来るだろうか。

 5月3日(月)晴れ

 夏のような陽気。荒川自転車道をさかのぼって行田市の「さきたま古墳公園」へ。サイクリング道路の菜の花はまだ美しいが3時間近くかかった。

 あの稲荷山古墳を始めいくつかの墳丘に登り、「さきたま史跡の博物館」を見学した。八重桜が満開の美しい公園である。連休をこんなところで過ごす事が出来る人はまことに幸せである。

 昔来たときにはなかった博物館はとてもよくできている。国宝に指定された「金錯銘鉄剣」も実物を観察できるように工夫して展示されている。

さきたま史跡の博物館http://www.bell.jp/pancho/travel/saitama/sakitama%20siryokan.htm
 
 疲れたのでケヤキの大木の影のベンチで横になったら一眠り。夢心地。

 ここまで来たのだからと行田の忍城(おしじょう)にも行ってみる。川越城と同じく幕府の重臣の城で、維新の時徹底的に破壊された。

 しかし、ここは今、美しく整備されている。

 忍城跡http://www.city.gyoda.lg.jp/15/04/12/meisyo/osizyou/index.html

 外堀跡を利用して作った水城公園と一帯となった旧忍城址は今は市民の憩いの場だ。
 博物館に寄る時間はなかった。出直そう。

帰りは銅人形の立ち並ぶ市街を通り抜けて武蔵水路沿いの埼玉緑道を北鴻巣に向かった。こんなすばらしい自転車道があるのか。

 埼玉緑道http://www.parks.or.jp/koen_main/shicyouson/area-gyoudasi.htm

 川越の川合市長が風格ある都市作りを強調している。「風格」を言うのなら川越市民は行田市の都市作りをしっかり勉強すべきではないか。
 
 川越にあるのは目先の商魂、降ってわいたブームでにぎわってはいるが高校の文化祭に毛が生えたようなものだ。

 これはこれで現代の文化なのだが先が見えている。そんなことを痛感させられた一日でもあった。
 

 


連休は埼玉へどうぞ

2010-05-04 11:20:25 | 川越・近郊
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昨日(5月3日)は行田(ぎょうだ)まで往復することになって、「川越だより」の更新が出来ませんでした。快く疲れて9時には寝てしまったのです。

 今朝、パソコンを開いてびっくりしました。昨日のアクセス数が500を超えて通常の倍にはなっています。

 ありがとうございます。ごらんのように退職教師が日々体験したことをありのままにつづっているだけです。生徒だった人々や友人たちに読んでもらえればとどなたかの顔を思い浮かべながら書いています。

 これからもたまにはのぞいてくださいね。読んでくれる人が居ると思うと続けられます。

 古い記事に三浦さんからコメントをいただきました。心強い気持ちになりました。

 水沢の誠虎連のドラムの方も読んでくれました。うれしいです。北上川の対岸の江刺でも昨日今日と火防(ひぶせ)祭があり、皆さんの連も出て行くのですね。

 江刺甚句まつりhttp://www.city.oshu.iwate.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1206756420246&SiteID=1205400059532

 連休です。出かけるばかりではなく自分の住むところの自然や歴史を見直し、知友と交流する喜びを味わえたら最高の過ごし方でしょう。

 ぼくは明日(5日)、丸木美術館の「開館記念日」の講演を聴きに行きます。

 沖縄の佐喜眞 道夫さんが記念講演をされます。

 原爆の図・丸木美術館 開館記念日http://www.aya.or.jp/%7Emarukimsn/event/100505/100505.html

 佐喜眞 道夫さん(佐喜眞美術館館長)はかつて普天間基地の一部の土地を取り戻し、美術館を建てた方です。

 鳩山さんが今日沖縄に行かれるとか。基地問題にどんな展開が見られるのか、興味深いお話が聞けるかもしれません。

 昨日、さきたま古墳公園と行田に行ってきました。「丸木美術館」とともに<埼玉の誇り>です。今日は「さきたま火祭り」があります。

 さきたま古墳公園 http://www.go2park.net/parks/kofun.htm 

 よかったらどうぞ。
 



[ワレラヒカリノ ミチヲフム]

2010-05-02 09:46:16 | 出会いの旅
地図を頼りに羅須地人協会を訪ねたら、花巻空港脇の花巻農業高校に行き当たりました。
花巻農業の校舎の前庭とも言うべきところに羅須地人協会の建物はあります。

 賢治が花巻農学校の教員をやめ、いわば私塾として始めたのが羅須地人協会です。挫折の後、人手に渡りこの地に移設されていたところに偶然の事ながら花巻農業高校の新校舎が建設された(1969年)とのことです。

 ぼくがびっくりもし、感動もしたのは校舎の正面に「ワレラヒカリノ ミチヲフム」と大書されていることです。(次の青文字をクリックして2枚目の写真をご覧下さい)。

 宮沢賢治の里よりhttp://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/e/52536250784dd27e3343b080ec4266f1

 「ワレラヒカリノ ミチヲフム」 なんだか力がわいてくるような言葉です。
 
 多くの学校に「校訓」なるものがあります。ぼくの母校は「報恩感謝」、文京高校は「至誠一貫」…。それらとは違う響きがあります。

 賢治が在職中に作詞した「精神歌」の最後の一節だとのことです。声に出して読んでみましょう。

   花巻農学校精神歌

日ハ君臨シ 輝キハ
白金ノ雨 ソソギタリ
我等ハ黒キ 土ニフシ
マコトノ草ノ 種マケリ

日ハ君臨シ 穹窿(きゅうりゅう)ニ
漲(みなぎ)リワタス 青ビカリ
ヒカリノアセヲ 感ズレバ
気圏ノキハミ 隈(くま)モナシ


日ハ君臨シ 玻璃(はり)ノマド
清澄(せいちょう)ニシテ 寂(しず)カナリ
サアレマコトヲ 索(もと)メテハ
白堊(はくあ)ノ霧モ アビヌベシ

日ハ君臨シ カガヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ
ワレラヒカリノ ミチヲフム

         宮沢賢治


 懇切丁寧な説明と曲を紹介したHPがあります。今もこんな風に歌われているのですね。


 花巻農学校精神歌http://www.ihatov.cc/song/seisin.html

 この歌の意味を賢治の生徒だった人はつぎのように理解しているという。

  瀬川哲男さん http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/200908060004/

 農業は「菩薩業」だと生徒たちを励ましたという。すごいですね。しかし、当時農業を取り巻く現実は厳しく賢治はやがてこの言葉に対する責任を深く感じて(?)教職を辞し、羅須地人協会の設立へと動くのです。

 花巻農業高校は賢治の精神を正面に掲げて日々の実践に取り組んでいるのでしょう。農業を取り巻く現実は昔と大きく変わりましたが、厳しいことに変わりがありません。

 花巻農業高校に学ぶこどもたちは賢治の言葉をどのように受け止めているのでしょうか。農林業の復権こそ、21世紀の希望を切り拓く道です。

 ぼくは賢治がどういう教師であったか、をほとんど何も知りません。羅須地人協会の活動もきちんと勉強したことはありません。

 この機会に勉強してみたいものだと思い始めました。


 

飯能

2010-05-01 19:49:46 | 川越・近郊
 5月1日(土)晴れ

 10時過ぎに家を出て川越狭山自転車道をどこまでも行って見ることにする。豊水橋で自転車道が終わったあとも入間川の左岸に近い道を探しながら飯能方面へ。

 笹井堰で一休み。堰の反対側から引かれた用水路が赤間川になり、川越からは新河岸川となる。

http://blog.goo.ne.jp/yoshiko_mocha/e/9e97d5ec347e93902eb25039fc7a4dcb 

 数年前、新河岸川源流探索のサイクリングをした日、我が家に振り込め詐欺らしい電話があった事を思い出す。
 
 妻の話によれば教頭を名乗る男からの電話でその内容はぼくが携帯で女子生徒のスカートの中を盗撮し、親に訴えられて警察に身柄を拘束されて居るというものだった。

 携帯の操作はもとより持ったこともない人の留守宅に調べもしないでよくもかけてきたものだ。このいきさつは妻が一文を草してぼくの職場に配布しただけでなく『木苺』にも掲載してもらった。今だに妻のお気に入りの話である。

 昼過ぎに飯能の中心街に着くと「店蔵絹甚」というところで地元の画家の個展があったので寄る。飯能祭りの絵が多い。11月最初の土日に行われるという。

 店蔵絹甚http://www.hannomusubi.net/index.php/keyword/hanno-eki/409
 
 川越に住んで41年になるが飯能の街をゆっくり歩くことも祭りを見ることもなかった。今年の秋には来られるかな。歴史を感じさせる街の雰囲気がいい。

 観音寺、能仁寺に寄ったあと天覧山に登る。くたくたになったが頂上で少し休むと帰る元気が出てきた。

 久しぶりの飯能河原は工事中で何の風情もなかった。飯能に行ってくるという新しいことに挑戦して一日を過ごした。今度は対岸の入間に行ってみよう。