アルコールストーブと飯盒で米を炊く。
10分程で噴きこぼれだす。
28分。炊けた。僅かにややコゲあり。
米を食器に移し、飯盒を洗い、アルコール
新刀第一の名工長曾祢興里。通称虎徹。
乕徹と称する期間が長いが虎徹の表記
が通りがよい。
通称を三之丞といった。読み方はサンノ
ジョウではなく「みのすけ」だろう。
元々は別字だった事だろう。「三ノ助」
あたりではなかろうか。
名作の小説「いっしん虎徹」では、越前
の国許を出るずっと前から「興里」との
名前にしていたのは実に惜しい。日常会話
で諱(いみな)のような名を呼ぶ習慣は
日本には無い。
「名指し」が無礼であることは現代でも
残っている慣習だが、江戸期などは人を
実名=諱で呼ぶことはあり得なかった。
「家光公が」などという呼称は存在しない。
公方様もしくは三代将軍と呼ぶ。武家に
おいてはなおさら絶対に実名呼称は存在
しない。家康殿とか秀吉が、とかなどと
いう呼称はしてはいけない武家の不文律
があったからだ。
実名=諱とは別に、人は「通称」を持った。
それで普段は個人特定をし、その通称名
を呼ぶ。「小五郎」であったり「数馬」
であったり「九郎」であったり「泰之進」
であったり「新之介」であったりする。
町人たちは通称=実名であり、「千吉」
であったり「太助」であったりする。
丞は雪之丞のジョウであるが「すけ」と
読む。元々は「介」と同じく次官の意味
だ。
虎徹興里の名は「みのすけ」だろう。
中学の時に、異様に虎徹に憧れた。
逸話を調べるに長曾祢興里は豪放な性格
のようだからだ。
だが、正真虎徹の中心(なかご)仕立て
を見たら、そうした虎徹観は一変する。
実に繊細な鏨使いと精緻なヤスリ仕上げ
を施しているのである。
実子とも養子ともいわれる二代目虎徹興正
の銘などは大胆な無頼漢のような銘だが、
初代虎徹興里は案外神経質な性格の人だっ
たのではなかろうか。
江戸初期後半、明暦の大火の頃、興里の
家は上野不忍の池のほとりにあったのだが、
三代目の頃には神田に移っている。
そして、理由は不明だが処刑されている。
私が高校1年の1976年に、米国のボストン
美術館から同館所蔵の日本の名刀(国宝、
重美、重要刀剣クラス)が帰国した。
アメリカには(というか海外には)日本刀
を研げる研磨師が一人も存在しないので、
日本の本職研磨師たちが総勢で研いだのだ。
人間国宝クラスの研師たちが抜擢されて、
日米友好の国家事業として研磨した。
研ぎあげられた刀剣類は上野松坂屋での
特別展示を皮切りに全国の博物館等で
展示公開された。アメリカに帰国するまで
のわずかな期間だ。
高1の私は、学校帰りに上野に観に行った。
そこで展示されていた虎徹に心が奪われた。
地錵(じにえ)がびっしりと鱗のように
付いた一刀で、そうした激しい働きが
ある地鉄(じがね)なのに、なぜかギラ
ギラしたものを感じさせず、清涼感が
みなぎっていた。
そして、「晴れて」いたのである。
ずっと虎徹を観ていた。ずっとである。
40分ほどした時、警備員が来た。
ずっと虎徹一口の前から食いついて離れ
ない制服を着た少年がいたので不審に
思ったのだろう。その際、メモを取ろう
としたら警備員に止められた。メモも
写真撮影も禁止だったのだ。
頭の中に叩き込んだ。さらに見た。
刀を見る時にはメモを取るな、覚えよ、
という佐藤寒山先生の著書の言を思い
出した。
穴の開くほど観た。ずっと観ていた。
同じ人間なのに、どうしたらこんな刀
を作れるのだろう、と。
後年、幕末の源清磨(すがまろ)の
正真作を手に取って観る機会も増えた
のだが、名工清磨と雖も、虎徹の作には
到底及んではいなかった。
ただ、虎徹は贋物も多く、「虎徹を見た
ら偽物と思え」というのは定番だ。
世の中で一番贋作が作られたのが虎徹
であろう。興里生存中から偽物が作ら
れていた。
幕末の鍛冶平こと直光の切った銘などは
かなりの識者でも正真と見間違える程の
達者な銘を切る。
そして、虎徹に贋物が多かったのは、
虎徹の作には出来不出来が多すぎると
いう傾向があったことも起因している
と思われる。
多少出来が悪い虎徹の偽物でも「これは
虎徹の若打ちで」と言って欺罔販売が
刀屋たちによってなされていたのだろう。
幕末新選組の近藤勇氏も日陰町あたり
の刀剣商で贋物を掴まされたのでは
なかろうか。
ただし、鴻池から贈与された正真虎徹
も近藤氏は所持していたと記録にある。
私は要請されて都内のある寺に近藤勇氏
の遺品の懐剣を毎年手入れに行っていた
が、その短刀は無銘の備前物だった。
日本刀は本物の正真物を多く見ないと
刀が見えて来ない。
とにかく数を多く見るのだ。実見。
画像映像写真ではなく、実物を実際に
自分の目で見ることだ。
数多く見れば見るほど、刀が見えて来る。
刀剣専門書などで勉強するのは刀を
観た後からだ。とにかく個体の特徴を
すべて見て識別するのだ。頭に叩き入れ
て。
その刀を作った作者の声が一口(ふり)
の刀剣から聞こえてくるようになれば
しめたもの。刀との対話もできるように
なる。
刀の声を聴け。刀工の息吹を感じ取れ、
なのだ。それが「刀を見る」という事。
長曾祢虎徹の場合、とにかく鉄を見て
ほしい。刀は鉄です。地鉄のまとめ方。
それ如何で刀工の技量が見える。
刃文などよりも地鉄です、日本刀は。
刃文などは再刃すると変わってしまう。
地鉄はよほどの焼け身でない限り、刀工
が鍛えまとめたままです。
研ぎ氏の隠し技に惑わされないように、
日本刀は地鉄を見抜いてください。
刃文に目が行ってるようでは、まだ
てんで駄目。鉄です、刀は。
そして、贋物ではなく本物正真の名刀
を多く観ること。博物館でもいい。
とにかく多くの名刀を観ることです。
このように画像などでは刃文さえ見え
ません。研師が白く描いた刃文の周り
の白い研ぎ跡しか刃部には見えない。
日本刀は実見してその素顔を観ないと
刀が見えてきません。
バルブステムのナイフ
なんだか斬鉄剣小林康宏の日本刀材料
から私が作ったナイフのうちの一つに
形のイメージがそっくり(笑)。
私の場合は、二代目小林康宏が折り返し
鍛錬をした日本刀を切断した物を角棒状
に鍛えなおしてから火造(ひづくり)を
して鍛造した。斬鉄試験済み。
イメージはよく似ている。
ただ、私が作るナイフのタングはラット
テイルにはしていない。まっ平らの切り。
アイス棒の端を直角に切ったような形。
ミニ日本刀タイプのナイフのナカゴの
場合の尻は固山宗次の茎尻(なかごじり)
のような形にするのを私の定法として
いる。
この人は削りの時の徐熱用に雪を使って
いるのが何とも北国ですね。
雪深い寒い場所こそ鍛冶仕事よね。