渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

朝ごはん

2020年07月19日 | open


朝。
「ごはんだよ〜」と呼ぶと、ぞろぞろと
やって来る。



鮎魚女(アイナメ)

2020年07月19日 | open



不細工ながら美味いやつ、アイナメ。
アイナメ釣りは待ちではなく結構攻め
のやり取りの釣りなので私は好きだ。
以前、父と一緒にアイナメ一本狙いで
瀬戸内海の岸壁に釣りに行ったことが
ある。
私はアイナメは3尾釣った。
海水ボックスに入れて持ち帰りではなく、
釣ってすぐにシメた。
帰宅後、煮つけにした。
とてつもなく美味かった。
魚屋で売ってる魚と全然味が違う。
アイナメは大きくなる魚で、シャケのよう
な巨大な魚体を釣り上げる人もいるが、
8寸ほどの物でもかなり美味しい。

その時、シメに使ったナイフはこれだった。


杉原渓童による釣りキチ三平の矢口高雄
モデルだ。
ATS34 テーパードフルタングで丈夫な
造り込みだが、刃先が異様に薄くて、
本来は渓流魚の腹割き用だろう。
1990年代初期に上野アメ横で購入した。
購入してすぐに父に贈ったナイフだが、
今は遺品になってしまった。

ストラップは、何とかかんとかノットに
私がしている。すんません、結び方の
名前知りません。ビヨ~ンと伸びるやつ。


あ。また来た。


こら。噛むなってば。
こいつ昨夜PCイヤホン齧ってオシャカに
した。よりによって、おいらのとかみさん
のをダブルで破壊。
ま、パソコンやスマホに着けっぱなしの
ほうが悪いんだけどね。


でも、見てるところでは「いけない」と
言うとだんだん最近覚えてきた。
最近のこいつブームはテレビを見ること
らしくて、よく見ている。
カミカミといえば、このナイフのシースは
新宿の家にて、初代のポチ1号が子犬の時
にカミカミして歯形だらけになっているの
よ(笑)。
普段、シースとナイフ本体は別々に保管
しているのだけど、あれ?シースが無い
なぁとか思ってたら、子犬がしっかりと
持って行って自分のオモチャにしてた。
ま、いいけどさ。鍛造刃物のスケール用の
木型まで歯形ついてたのには参ったけど。



瀬戸内海三原沖

2020年07月19日 | open
 


三原沖ってさあ。


なんでこんなに鯛がウハウハと釣れるの?
引越してきてそれを実体験して、あたしゃ
ぶったまげたよ。
どーしてこんなに魚影が濃いの?





ちょっきり30分のみの竿出しでこれ。
他に石鯛3尾。
三原じゃ石鯛なんて食うやつぁいねえと
同行者は石鯛はリリースしてたぜ、ベイベー。
おら、おったまげたど。
どうしてこんなに釣れるの瀬戸内海。
教えてちょうだいセバスチャン。(白石冬美)



 

カゲロウ

2020年07月19日 | open
けさ北海道で撮影されたカゲロウの成虫。
 
7月なのにマーチブラウン。


これは私が巻いたマーチブラウンにヒット
した広島県内某水系のアマゴ。


広島県の良いところ。
それは、分水嶺を跨いで、瀬戸内海水系
ではアマゴ、日本海水系ではヤマメが釣
れることだ。両方広島県では楽しめる。
こういう県はめったにない。
 
マーチブラウンだけに限らず、あまり精巧
に虫を模したフライは釣れない。
摂餌がそれのみの時しかヒットしないから
だ。
なんだかよく判らないようなフライが釣れ
るフライだ。
マーチブラウンにしても、このようにアダ
ムスみたいにナンジャラモンジャラにした
ほうが釣れる。
 
(マーチブラウン・スピナー)


私のオリジナルフライ。
ハマるとド爆釣フライだった。
 フック:TMC902バーブレス
 ウイング:エルクヘア、グースクイル
 ボディ:グースクイル、フェザントテイル
ジェルで尻のみ沈ませて、グースクイルを
エルクヘアの下に仕込んだダブルウイング
は、更に浮力を増すためにジェルフロータ
ントを塗って完全にフロートさせて、ナ
チュラルドリフトで流す。ドラグさせない
ように自然に流すだけで、もがくような
カゲロウの動きになる。爆釣。
 
マウンテンストリームの良い季節がやってくる。


プロ野球と呼称

2020年07月19日 | open


阪神がじわりじわりと最下位から順位上昇。
このまま快勝連続よろぴこ。

しかし、何だな。
「セントラルリーグ」てのは、俺様中心
主義全開の名称だな(笑)。
今はセ・パ両方人気があるけど、1980年代
まではパリーグはほぼ全く人気がなくて、
観客動員数が果てしなく少なかった。
コアな南海ファンや阪急ファン、ロッテ
ファンはいたが、他は球団名さえ「はて」
みたいな感じがあった。
川崎球場でのロッテ阪急戦でさえ、観客
1000人位?という試合も多かった。
しかし、80年代初期に西部ライオンズが
出来てからパリーグにも人気が出てきた。
これは、「巨人ー阪神戦」以外はプロ野球
ではないとするそれまでの国内の風潮の
流れが変わったことも示していた。
ロッテが大映毎日オリオンズだった1960年
代はコアな野球ファンしかパリーグには目
向けなかったのは確かだ。野球少年たち
でさえ、オリオンズの本拠地が後楽園で
あることも知らないことが多かったのでは
なかろうか。ヤクルトなんて無くて、産経
アトムズの頃ね。
ロッテはその後東京の本拠地を失い、あち
こち移転した後、横浜球場建設に着目して
大洋との共同本拠地に乗り出すが挫折、
ローカルな川崎球場を本拠地とした。

実はその川崎球場での数々の試合が面白
かった。私も川崎球場でのパリーグの試合
はよく行った。ビールの紙のでかカップ
の底を抜いてメガホンにする。
プロ野球選手と観客の密着度が感じられた
のが川崎球場で、あれは他の球場とは全く
異なる空気だった。後楽園や神宮や横浜で
の試合と全く違っていた。

首都圏は野球場が多く、後楽園、神宮、
西部は交通利便性から観客動員数が多か
った。神宮などは「仕事帰りにプロ野球
観戦」というパターンも多かったし、あれ
だけ観客がいたのに、何故か不思議とチ
ケットは売り場ですぐ買えた。
そして、首都圏であるので、対戦する両軍
のファンが入り乱れていたのが面白かっ
た。色が一色に染まる球場という図式は
首都圏の球場にはあまりない。それがまた
かった。

後楽園で閉口するのは帰りの電車ね。
最寄り駅に5万人が一気に押し寄せるのだ
から、電車なんて乗れやしない(笑)。
明治神宮の初詣状態ね。
国電の最低料金が30円の頃などひどかっ
た。

その国電料金30円の時代は長く、私が
小学生から高1までは1区間30円だった。
1976年秋に一気に倍の60円になった。
通称の国電呼称は1987年に国鉄が分割
民営化されて消滅した。
おかしいのが、分割民営化直後に「E電」
という正式呼称を新生JRは使用しようと
して駅のプレートも差し替えた。
しかし、全く根付かずにいつの間にか消滅
した。あれはなんだったのだろう。

いくら民営となっても、公共物の無理やり
の上からのネーミングというのは、どうや
らあまり定着しないようだ。
やたら横文字使えばよいという感覚が、
すでにいかしたホットでゴキゲンなナウい
ヤングではないのよ。
東京都知事などは、「夜の街」をナイト
タウンと言わなかっただけよしとしとこう
however(笑)。

(現都知事)