渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

埼玉の雲

2020年07月06日 | open
 




埼玉県北西部の本日の雲。
何か嫌な予感。

避難勧告 〜三原市〜

2020年07月06日 | open





避難準備発令

2020年07月06日 | open
 
 
ああ、やはり。
従業員を早めに帰らせた。
豪雨の中、備蓄缶詰の買い足しに出た。
帰宅後、水を溜める。
緊急時の役割分担を家内と確認し、各自
準備、備えをする。
 

鉛筆をナイフで削る

2020年07月06日 | open


鉛筆って、ナイフで削るとこんな感じ。




大雨洪水警報 広島県三原市

2020年07月06日 | open
 


2年前と同じ降雨量なら、同じ事が起きる
と思う。
インフラ的には何の対策も為されていない
のだから。国交省も県も市も。
長は裏金賄賂はもらっても、やるべき事は
やらない。
今の雰囲気、2年前の洪水前夜に似ている。
 

ラーメン

2020年07月06日 | open



日本には明治維新後、日本固有の食べ物
のラーメンがある。
全国各地で味や具は異なるが、日本人全般
に今でも愛されている。
私はこれまで、「ラーメンは大嫌いで見る
のも嫌だ」という人を知らない。

ただ、結構なカルチャーショックを経験し
た事はあった。
「良家」育ちで、ラーメンを40才過ぎま
一度も生まれてこの方食べた事がない
がいた。「ラーメン?存在は知っており
ますが」てなもんで。
あれは結構驚いた。はあ、そうすかと。
ラーメン店などには無論足を向けないが、
インスタント食品さえ食べた事がない。
勿論、ペットボトルなどでは行儀悪くて
飲み物を飲めない。器から麺を直にすする
など、そんな下品な事はできないのだか
ら、ボトルのラッパ飲みなど論外なのだ。

ラーメンはどうやら「庶民」の食べ物の
ようだ。
卵掛けご飯とかもねえんだろうなあ。まる
で八百善で毎日食事してるような暮ら
だから。
ま、こんなとこから目黒のサンマの噺は
出来たんだろうなあ、とか感じただよな。
嘘みてえな事がホントにあるもんだ、と。

焙煎器具

2020年07月06日 | open


「こんなのあるよ」とコーヒー好きが
教えてくれた。
うーむ。
なんだか、商店街の歳末福引くじ引き
みたいだ。赤玉コロンの。



半端ない雨

2020年07月06日 | open
 



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コロナ災禍と併せて、踏んだり蹴ったりだ。
スポーツラフティング協会の人たちも
救援活動に参加しているようだ。
こんな時こそ、力を合わせないと。
みんな同じ国に住む人たちだ。

豪雨

2020年07月06日 | open
 
 
2年前のきょう、西日本は未曾有の豪雨
災害に遭った。
広島県三原市の西部は水没した。
上水道の施設が泥水に水没したので、三原
市全域と尾道市の一部で長期断水となった。
交通網も遮断され、食料や医療物資が枯渇
した。
テレビ報道では岡山県真備町がクローズ
アップされたが、三原市西部も全く同じ
状態だった。
非被災地の多くの人々が被災地に手を差し
伸べてくれた。私も個人的に多くの方々に
支援物資を頂いた。本当に多くて驚くと同
時に人々の心に深く感謝した。涙が出た。
市民たちも協力し合って貴重な水の確保
等で譲り合っていたが、中には稀に自分
だけのことしか考えずに他者を足で蹴落
とすような言動を為していた者も地元に
はいた。
また、個別に来た支援物資ついて感謝
の辞を個人サイトで表すと、そんなのは
嘘だ作り事だホラだ、誰もあいつには支援
するわけない、あいつは嘘つきだ、等々の
人々の善意を踏みにじる心無い事を匿名
ネットで書いて拡散させて喜んでいるネッ
トストーカーもいた。
人が不幸にみまわれるとき、他者はどんな
人間性なのかが如実に顕れる。
その者たちは消した別件の過去ログさえも
執拗に貼りつけて粘着して卑劣な言動を
今も為している。当事者間では完全解決し
案件であるのに。
当事者たちはそれにはノータッチだ。
信義は守るだろう。少なくとも私は守る。
匿名裏ネット住人やTwitterハマり人たち
は、身バレしないことをいいことに、
卑劣
極まりない事をする。
特に、人が不幸にみまわれた時に、その
人間の本性が出てくる。関係ない家族の
おんな子どもや幼子や共に暮らす生き物
たちにさえも心無い攻撃をネットで加え
る。
 
今、南九州での集中豪雨災害が発生して
いる。犠牲者も増えている。
まだまだ雨量は増しそうなので案じてい
る。
 

コーヒー

2020年07月06日 | open


うちはミルもあるのだが、今は殆ど本物
コーヒーを淹れない。
かみさんが本物コーヒーが飲めないので
いつの間にか粉コーヒーになっている。
凝る人は豆からやるそうで、焼き煎り加減
までこだわっているようだ。

そんなコーヒー好きさんから、けさ方こん
な記事を紹介してもらった。
これは面白い。
 ↓



ケラム ペルトネン・プーッコ・レンジャー

2020年07月06日 | open


友人宅にプーッコ・レンジャー
が届いたという。
うちと全く同じテーブル!(笑)

ブッシュクラフトやらないので、
何に使うか思案中とのことなの
で、気晴らしに庭先で飯盒やメ
スティンでご飯炊いて食べるの
なんてどうでしょう、とすすめ
てみたす。
薪割り小割りをナイフバトニン
グでやってみて。
斧や鉈では薪割り経験はあるら
しいが、ナイフバトニング薪割
りは未経験なので楽しそうと言
っていた。

ナイフバトニングは、力任せで
はない、パンチングショットと
いうか、竹を日本刀で切る時の
ようなパッとした瞬間的な打撃
の使い方をする。日本刀での畳
表切りでも使うことはあるが、
基本的に刀での竹切りと畳表切
りでは、細かい用法が異なる。
竹切りや牛乳パック切りや新聞
紙の硬く丸めた筒切りでは、瞬
間的にエッヂが利くような、ゴ
ルフでいうパンチングショット
のような使い方をするとパッと
切れる。
畳表の場合は、切り代と身体と
腕の関節を使って技で切る感じ
だが、竹などは、刀の利刃を利
用した一点集中的な切り方を
するのだ。例えるならば、水銀
式体温計の目盛りを下げる時の
ような使い方。
どちらも簡単ではないが、どち
らかに偏った考え方も使い方も
いけない。宜しくない。「それ
は悪しゅうござる」と疋田文五
郎に足を打たれてしまう。固定
観念は武術ではダメ。天敵だ。

ナイフバトニングは、日本刀の
試し切りのようにとても為にな
る要素が多く含まれている。
フェザーはフェザーで技が要
のだが、バトニングは力任せで
はないという点で、とても日本
刀での物切りに通じるものが
る。武術稽古にもなる。
それを楽しみながら行なえる。
ナイフバトニングは面白い。

本来は斧ですけどね。薪割り
には。
あと、ナイフバトニングでは
保持の仕方で一考しないと、
ナイフが壊れてしまいます。
くそ握りのガッチガチの手の内
はダメなのもこれまた剣術、刀
術と全く同じ。
ナイフは激しい使い方をすると
傷みますが、使い手によって傷
みの度合いが異なる
のも、これまた日本刀と同じ。
日本刀では達者は刀を曲げたり
はしませんし、勿論、手も切り
ません。
簡単なんです。
考えるんです。いろいろと。
どうすれば?と。物理的な事を。
そして、導き出した回答を行動
で具現させ
てやるのです。
すると、あら不思議。できちゃう。

風呂敷

2020年07月06日 | open
 
 
レジ袋有料化で風呂敷の需要が高まって
いるという。
私は風呂敷は1980年代から多用していた。
理由は、弁護士たちが重い書面ファイルを
包むのに風呂敷を使うのがスタンダードで
あることを見て、自分でも使ってみたから
だ。
使ってみると、なんと便利な日本の知恵!
と強く感じた。
爾来、物を包むのには風呂敷を多く使って
いる。武道着一式などでは風呂敷で稽古着
と袴・帯を包むのがデフォルトとなった。
上の画像の中には刀術稽古着一式が入って
いる。
ファンシーな物だけでなく、きちんと織ら
れた生地の風呂敷はかなり丈夫だ。
私はお弁当も小さめの風呂敷で包む。
 
こちらは何年か前に武術家の町井勲先生
から頂いた進物を包んであった風呂敷。
今は主として真剣日本刀8口の刀掛けに
掛けた日本刀の上に掛けている。
刀の手入れの時はサッと取る。
軽いのに適度な重量もあり、丈夫で便利。
畳むと非常にコンパクトになる。


「弁当じゃ」と釣りバカ浜ちゃんは言う。

(『花のお江戸の釣りバカ日誌』から)

晴れて庄内藩に仕官かなった浜崎伝助は
妹のみつ(酒井法子)から渡された風呂
に包んだ弁当を手に、朝、意気揚々と
長屋のみんなに見送られて初日出仕する
ので
あった。
江戸時代、武士も庶民も風呂敷を広く使っ
ていた。ジャパニーズ・トラディショナル・
オールパーパス・パッキング・ギアが風呂
敷だった。

民間企業に転職した時、私が風呂敷に書類
着替えを包んでいるのを見た一回り年上
の戦後団塊世代の先輩は、「今時、風呂
敷!?」と、何か理解不能といった様子を
見せた。
しかし、法曹界で風呂敷は便利さゆえ
多用されていた。風呂敷は過去の遺物で
はない。
ただ、特定業種以外では風呂敷は他の
ポーチやバッグに取って代わられていた
ので、風呂敷を見たら戦前の日本のよう
にその団塊世代には見えたのだろう。
それに世代的な違いもある。
先輩の時代は、戦後高度成長期の始まり
から最後(大学時代)までの世代であり、
何でも新しい物が良い物だという固定概念
を持つイケイケドンドン後ろを振り向く
な、の猪突猛進世代だ。推進力はあったが
存外視野が狭い。かなり狭い。オラオラ
俺様大将大集合だし。団塊世代は。
私の世代は、「新人類」などと年上世代
から揶揄されていた世代で、「奇想天外
な発想をする何を考えているのか分から
ない宇宙人のような世代」と呼ばれて
いた。
ただ、思潮や発想には私の世代には逆転
の風景も見られた。
それは、それまでの日本人の価値観や
やってきた行為の流れを見直して洗い
直そう、温故知新を再考しよう、という
気風が私の世代から起こったことにも現
れている。
これは復古調ではなく、再検証だ。
1980年代の若者のこうした流れは社会
全般に広まり、「ディスカバージャパン」
という一つの潮流さえも創った。CMや
旅キャンペーンにも使われた。
私を含めた二輪乗りの一部は「バイク
ルネッサンス」と呼んで社会活動を続け、
現実的に世の中の仕組みを変革した実績
を歴史の中に刻んだ。
すべては「見直してみよう」という自分
たちの身の周りについての再検証をする
発想と行動から始まった。
結果として、現実はそれまでとは異なる
良い方向に進んだ。

風呂敷おすすめです。
私はお弁当や衣服や書類を包むのにも
使っています。
バッグの中に入れる小分けパッキング
としてもミニ風呂敷などは使えます。
ハンカチなどをミニ風呂敷代わりに
使っている方も多いのではないで
しょうか。
風呂敷は日本人が考え出した日本固有
の優れたパッキングアイテムです。
おすすめ。

30年ほど前ね。オーストラリア人に
風呂敷と高級なお重をお礼にとあげた
人がいたのね。
そしたらそのオーストラリア人の
インテリ女史は、「なにこれ?こんな
ものいらない」と言ってポイした。
見ていて「ひで~」とか思ったけど、
白人さんの外人にとっては、ただの布
切れと絵が描かれた木箱にしか見え
なかったのだろうね。なんたって、
ルイス・フロイスも日本刀の下げ緒を
見て「意味不明の役立たずの紐を下げ
ている」とか書いて報告していた程だし、
日本の文化とかなんて理解しようとは
しないのだろう。
ところが、一概に白人たちはどうのと
はいえない。
同僚のアメリカ人の男は、弁護士たち
の風呂敷を見て「こんな便利なアイテム
はないよ」と言って、自分も風呂敷を
使っていた。
見るべき機能性はきちんと見抜く。
評価すべきは評価する。
アメリカ人らしいなと感じた。
大英帝国コモンウェルス人は結構視野
狭窄で、英国圏
文化以外を認めないと
いうか、眼中に
ないようなところが骨
の髄まで染み込んで
いる。
アメリカ人もそれは言っていた。「あれ
はなんなのだろうね、これこれ」と言っ
て手を二つ鼻の前に繋げるゼスチャして。
「鼻たーかだか」とか「鼻もちならない」
とかいう表現は日米一緒なのか~とか
思って、思わずビール噴いた。
でもって、俺ら二人は、いやこりゃ便利
と風呂敷を使っていた。
私は今でも使っている。
NYに転住したあいつは、今は多分使って
いないのだろうなぁ。