
乗り屋の友人はオピネルを持っている。
30代の人だ。
そのオピネルは小学生の時に貰った物
を大切にしているらしい。

なぜ貰ったのか。
それは、「小学生の時に、山奥の木造
平屋廃校にバスで運ばれて『きょう
からここを拠点に1週間、今渡した
ナイフを使って生活する!』って言わ
れて『え?』ってなりました」との
ことだ。
「ナイフの持ち方・火を起こしたり、
その後の処理、2種類の砥石を用意
されてチーム内で順番を決めて毎晩
自分のナイフを研ぐようなキャンプ
でした」とのことである。
なんと素晴らしい小学校なのだろう。
広島市内の小学校だ。
まだ30代の人の時代でも、そのよう
な真の教育をしていた学校と教師が
いたとは。
う~ん。うなるしかない。
教育放棄をしていない。
完全にカスタマイズされた独自のCSの作成:
GOSスティックからGO Gutナイフ
できる!
それがし感服仕った。
チャンネル登録者225万人だって。
すげー遣い手の人の動画を教えて貰っ
ちゃったよ。本職の大工さんから。
私は別段オピネルをディスっている
のではない。
物には出来不出来、良し悪しがある。
ネガティブな部分もあれば良い部分も
ある。
そして自分がこれまで4本オピネルを
使ってみての自分の私見を書いている
のだが、それを一面的にあげつらって
ネット上でまたネット民くんが書き
連ねている。ディスっている、と。
なんでネット民という現代人は自分の
好みに全面同意以外はすべて「ディス
り」とかの判断しか及ばないのかねえ(笑)。
なんだか思考方法がナチスみたいだ
なぁ。
自分の好きなプロ野球チーム以外の選手
は認めない、別チームを褒めたり弱点を
指摘したら即自分の好みに対してディス
りと感じたりするパターンの思考ね。
その短絡的二元思考はあまり良い物
生まないと思うよ。人間社会では。
最近ネット社会では、ちょっとでも自分
の意に沿わないことがあると全否定の
ように思考する短絡思考が蔓延している。
だがこれはかなり昔から若者(現在の30
代~40代)の中で広がっていたようだ。
それは『釣りバカ日誌』の中でも出て
来ている。上司に注意されたら即会社を
辞めてしまう新卒だらけなのだ。これは
現実社会で社会問題化していた。ニート
などが出る10年程以前の90年代前半だ。
その頃から現代の人たちの思考回路の
パターンは変わっていないようだ。
仕事どうやっているのかな、とか思う。
「厳格な検証、良否の細やかな判断、
ネガ部分の洗い出しとそれの改善、さら
なる良質部分の発展の道の方針策定」と
いうことをコツコツとやらないと仕事
などはまったく出来ないまま歳ばかり
食って行くことになるからだ。
これは自動車関連にもいえていて、製品
に関する批判等は全面的に受け入れて
精査するのはモノヅクリをする人間の
ごく当たり前の常識だ。
モノヅクリはナァナァでヨイショしか
しない連中ばかりになるとろくなもの
は出来やしない。
オピネルにもいい所はあるよ。
普及性の簡便さや手軽さ、物量とかで。
しかし、「総体として云々」と私が書い
ているその真意も読み取らずに、すぐに
ディスりと脊髄反応する(笑)。
なんだかねえ。
二元思考と短絡的発想はやめたほうが
いいよ。モノがまったく見えなくなる
から。
しかも、オピネルのロータリー方式が
木部給水によりきつくなる(ハード
ユーザーのオピネルファンのレポート
によると「捨てたくなるほどに」らし
い。それは私も連日連夜連続使用で
何度も体験している)のは、水辺での
使用時のみならず、雨期での使用で
発生するのはオピネル使いの常識だろ
うに。
水研ぎをしていて水が付着するのだけ
でなく。
ちなみに、肥後守の個体でもどうにも
ならない熱処理のロットの時期があった。
丁度世代交代の頃だ。
あれは多分、想像するに、温度感知に
何か身体的な問題が出ていた頃の製品
群だったのではと思う。
これは取り扱い業者や刃物屋、ユーザー
も感じていたらしく、「最近の肥後守は」
という話でもちきりだった。
その後、現在の肥後守は往年の粘りを
復活させているが、一時期はアララだ
ったことは確かだ。
この真偽と現実は、きちんと研ぎが
できる者ならばすぐに判断が及ぶ。
研ぎができる者は、鋼の質性について
も先入観や思い込みなどは捨象して、
冷厳に現実を真正面から見据えるから
だ。
ちなみに私の刃物研ぎはこんな感じ
になる。これは肥後守だ。
私のオピネルのようにタンニンでの
お茶染めはしていない。
これが私の研ぎである。
見える人が見れば、何がどうで、どこが
どう違うのか、その研ぎの在り方と対処、
実力はどうであるのかは即断できる事
だろう。
私も40年前は、この研ぎはできなかった。
切れ味、切り味も含めて、鋼が鋼である
意味を引き出す研ぎはできているとは
感じる。刀身こすり削りのタッチアップ
などではなく「研ぎ」とはこういうもの
を言うのではなかろうか。
人様にお見せできる「研ぎ」というのは。
私が研ぐと、日立白紙と地鉄鍛造の
刃物はこうなる。
なお、私は食材をも切る可能性のある
ナイフで体毛などは切ったりしない。
それは、包丁で体毛を剃って切れ味を
確かめるような料理人がいないことに
通じる。
これはあくまで個人的なポリシーの問題
として。己の思惟がどこに立つかという
刃物遣いのスタンスの問題だ。
体毛剃って切れ味確かめているような
ナイフで切った食材や果物や肉、あなた
食べたいと思いますか?

入れて身につけておくか、もしくは
フォールダーならば折りたたんで、
ケースに入れておくのが安全だ。
抜身の場合、そこらに置いておくのは
危険だ。
のように丸太などに切先を真下に
向けて刺しておく保管方法は、かなり
安全なのだ。
確認できるし、引き抜かない限りは
刃物が転げ落ちる事も無い。
ではなかろうか。斧の一時置きの場合。

刃を横にして置いておくのはとても
危険なのだ。
もしくは縦置きにする。
する気遣いは結構大切だ。
への手渡し方に刃物の刀身を持つ
ケースがあるが、ナイフや包丁は絶対
に刃を持って人に渡してはならない。
閉じたハサミのようには渡さない。
したまま動かさずに渡すのだ。
刀身を立てて右手で持ち、左手は柄頭
に添えて人に渡す。抜身の場合は。
にも作法があるが、それらはすべて
相手に危険が及ばないように配慮され
たものだ。
一見粗野なように見えるが、それは
誤認であり、実は抜身ナイフの一時
置きとしては極めて安全な方法なの
である。
刃物は抜き身の場合、「どこにある
のか判らない」という状況がとにかく
一番危ない。
な人造池がある山のキャンプ場で結婚
式があった。
友人の結婚式でもあったので、妻子と
参加した。
うとした。
安全でセオリーだよと横の丸太に真下
に突き立てた。肉を切る時には清拭する
専用のウェットティッシュも横に置い
て。
肉を好きなだけ切り取って自分の皿に
盛って食べる方式だった。

に並んだ参加者は、私の佐冶剣鉈の前
にばかり長蛇の列となった。
のナイフのほうが断然切れるので」と
の事だった。研ぎ上げた日立炭素鋼の
切れ味の良さは、皆さん何度か並ぶうち
に口コミになっていたようだ。
私も頃合いを見てスタッフと共にその
巨大回転ロースターの牛を切って食べ
たが、この上なく美味しい。野趣あふ
れる豪快な焼き方だが、なるほどこれは
アメリカ人が自慢するだけあるなと思っ
た。

参加者の新郎新婦の職場仲間の上場
企業の社員たちは大騒ぎで大いに盛り
上がった。
厳粛な式で祝辞を述べたりもしたが、
あの毛鉤釣り同人の結婚式が今までで
一番印象に残っている。
シャーだが、なかなか味な結婚式で、
とても良かったし、感動した。
同僚たちはそのキャンプ場でキャンプ
泊ね(笑)。
続いたよい結婚式でした。
キャンプ場管理人のフライ師匠は
サイモン&ガーファンクルだったが、
私はギター弾いてビリー・ホリデーの
All Of Me を歌った。
ほんと良い結婚式でした。
今でもその二人は仲良し夫婦で、一緒
にワイン飲んで二人でフライロッドを
振っているようです。
夫婦仲良し、それが良し。
そして良きかな大自然。
オール・オブ・ミー【訳詞付】-
ビリー・ホリデイ