渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

サケマス・イワナ専門書

2020年07月28日 | open



北海道のオショロコマンがサケマス・
イワナ専門書を送ってくれるとのこと。
ラッキー!!
ええどー、ホッカイドー!
サンクス。

オショロコマ生息エリア。



イワナと醤油とワサビ

2020年07月28日 | open




今の時期、イワナが最高に美味い季節だ。
先日、自称アウトドアの達人という人と
会話していたら、イワナの刺身の存在を
知らなかった。
嘘だろ、とは思ったが、イワナは塩焼き
にして店で出された物を食うものと固定
的に決めつけていたようだ。

イワナだけでなく、淡水魚全般にいえる
ことだが、天然魚には寄生虫がいる。
イワナは口と内臓に別種の寄生虫がいる
が、気をつけるべきは内臓にいる寄生虫
だ。こちらの寄生虫はヒトに対してちと
やばい。刃物でさばく時には充分に注意
を要する。
身には海洋魚のような寄生虫は認められ
ないので、海魚のような切り包丁の技を
使わなくとも身を削げばイワナは刺身に
できる。
海洋魚ではヤマにして置いたほうが味が
上がる魚種もあるが、川魚は鮮度が勝負
だ。

イワナの刺身はベラボーに美味い。
ヤマメ・アマゴの比ではない。
刺身の本式な食し方は身にワサビを乗せ
てムラサキをつける。ムラチョコの中で
溶きワサビ醤油などにはしない。やって
いるとしたら、それはそれで好みとして
はありなのだろうが、正式な会食の席で
は無作法過ぎてまず周囲の失笑を買う。
日本は食事作法には厳しい。
中国朝鮮のようにテーブルに立肘などは
決してしないし、迷い箸、引き寄せ箸、
刺し箸などは絶対にしないし、手で受け
手をして手皿で食べ物を口に運ぶ行儀が
悪いことも日本人はしない。
人様の家に入る時に尻を向けて靴を脱いで
尻向けのまま家に上がるなどという失礼な
ことは日本人はしないように、日本人の
食事には作法がある。

しかし、イワナの刺身等を野外の釣り現場
などで食す時には、作法だてたエチケット
などは無い。好き勝手にどうぞだ。
(ただ、非常に汚い食し方のクチャラーの
動画がアウトドアキャンプ動画にかなり
多いのにはさすがに閉口する。即見るのを
中止するが、あれはやはりどう見ても汚
い。汚いのを全世界に配信している)

釣り場や野外でのイワナ刺身などは、
ムラチョコに溶いたワサビ醤油でも充分
ウマい。
ただし、やはり、刺身の本当の美味さを
味わいたいならば、サビは身に乗せてから
醤油に少しつける本式の食べ方のほうが
ウマいことは間違いない。これは太鼓判
だ。
ワサビ溶き醤油は、ちらし寿司などにかけ
るとイケるが、これとて、会席などでは
憚られる。
船の上などで釣った海魚を捌いて即食べる
方法では、皿の醤油にマヨネーズを和える
方法もある。漁師たちがよくやる方法だ。
これまたウマい。ウマいのだが、これも
結婚式などでやったら主役の新郎新婦に
失礼になる。厳粛な式典は一般的な日常
ではないからだ。弁え大切。

醤油にもいろいろあって、江戸前握りは
ネタに全て加工=仕事がしてあるので醤油
が無くとも食べられる。なので醤油はサラ
リとしていて薄い。塩分も薄口醤油より
かなり薄い。アメリカンだな(笑)。
刺身単体もその江戸前醤油でサラッと食べ
るのが東京風だ。
しかし、たまりの手前のような刺身醤油と
いうものが関西では好まれる(私は苦手)。
渓流魚の刺身につける醤油の種類は完全に
好みだろう。
私はキッコーマンの丸大豆濃い口が好き
だ。濃い口なのに本当は濃くないの。
コクはある。コク口と言ったほうがよく
ない?てな程に。

そうそう。
広島県ってね、ワサビが半端なく美味し
いのですよ。名産地といってもいい位に。
特にワサビの葉や茎を漬物にしたわさび
漬けはですね、絶品なんです。
それが存在しない東京の人たちに送ると
かなり喜ばれます。
東京東海の人たちは、ワサビ漬けというと
静岡のワサビの粕漬けしか知らないから。
そうではなく、白菜の漬物みたいに緑の
ワサビの葉と茎の漬物なのよー。
あれあると、あれだけで、ご飯3杯いけま
す。極限にワサビ辛いけど(笑)。
でも、なんか、血が綺麗になる気がする
んだぜ(笑)。
味は抜群に良い。スカーンと晴れた日本
晴れのような味です。
突き抜けていて、味に勢いがあるね。
食べて気持ちが元気になるのが広島県の
ワサビ漬け。
これは本気でおすすめです。




樹木

2020年07月28日 | open



買い物途中、公園の樹木が気になって
暫く観察していた。


う〜む・・・。




サケ・マス類

2020年07月28日 | open


(ニジマス)

昨夜、サケ・マス214種のうち、106種に
ついて連鎖的に6時間ほど調べた。
サケ属12種、タイヘイヨウサケ属43種、
イワナ属51種の106種である。
手書きで分類表記して頭に叩き込んで
かつての知識をおさらいしたが、新学説
等での情報更新も含めると全てをソラで
書けるほど完全把握はできていない。
全サケ・マス類に関してサケ・マスのみ
に特化した写真図解入りの学術書籍でも
あればいいのになぁ。白黒学術書では
なくカラーの図鑑のような。魚類図鑑では
なくサケ・マス図鑑みたいな。

これなんてよさげだけどさ。
全網羅かどうかはわからない。



フライフィッシャーはサケ・マス類のみに
誰もが異様な執着をみせるが、サケ・
マス類は環境指標にもなる魚群であり、
研究するとかなり面白い。
まだ解明されていないまったく分かって
いないことがかなり多い生物なのだ。
この未解明の傾向は私がフライフィッシング
にどっぷりとハマった20数年前から見られ
たことだったが、現在でもその傾向性は
あまり進展していない。
なぜだろうとは思うが、水産資源として
のみの研究が先進国の主軸で、純粋に
生物学としての研究対象とはなりにくい
要素があるからではなかろうか。
以前、ウナギがそうだった。
ウナギはどこで散乱して稚魚が戻るの
かが解明されていなかった。
それを初めて解明したのが東京大学大学院
のある先生だった。
大酒飲みだったね(笑)。
新橋あたりで環境問題の会議後につつく
中華料理が
好きだった。
ただ、学者というのは自分の専門外の
事はまるで子どものように知らない。
興味ないからかも。
その先生は、三原沖ではごく普通に
スナメリが回遊している事実を告げて
も「うっそ~?!」とまるで信じなかっ
た。
専門の学者というのは頭いいのか無知
蒙昧なのか不思議な種族だなぁとか
思っただよな。青椒肉絲をほおばり
ながら、おいらは。
広く浅くでも広く深くでもないのよね。
狭く深くなのよ。学者という象牙の塔
の住人たちは。
そういうのは、実際に実物を見ると実態
と実体がよく分かる。
ありゃ、変わった生物だな。変わった
学者という生き物の中でも特に変わって
いる生物学者という種族は。
それでもまだ生物学の学者はいい。
生き物全般を相手にしているから。
哲学の学者とかめちゃくちゃ厄介だぜ。
あれは脳内のことだけの世界に生きて
いる種族だからね。
飲んでても、クッソ真面目すぎて、
あんまし面白くはない。
で、文学の学者は軒並み助平だしよお。
まあ、文士はろくでなしという定番の
親玉みたいなのが文学の学者だね。
というか、どうして文学が学問として
国が認定単位を国民に付与したり
するのかよく分からない。わっけ分か
らんとかいうやつね。
だって、ポルノまがいなことをただ
文章表現や表現芸術として構築した
だけの創作世界の事を学問として
児童や生徒や学生が学ぶんだよ。
源氏物語なんてのは、ありゃあれこそ
本物の不倫、浮気を不倫と欺罔する
現代流行語の不倫ではない正真不倫
のポルノ小説だぜ、あれは。人間の
業がうずまく一大ロマンポルノが
源氏物語だな。これガチで。濃厚
密着以上の濃厚圧着のような。全て
が合体所望の脳内ベータエンドルフィン
小説みたいな感じでさ。
なんだかなぁ、てな風には思うよ。
文学好きだった一介の人間としては。
まあ、スケベよろしく。人類皆同じ
ということで。
義塾の諭吉先生も言ってるじゃん。
人は人の上に人を載せて人を作った、
と。下かもしれないけどさ。
知らんけど。


カーペンタースタイル

2020年07月28日 | open


フィールドゲーマーの友人が、次回キャン
プの時にはこれとハンマーで薪割りする
のはどうでしょうと言う。
よいのでは。カーペンタースタイルで。
各人好きなようにやればいいと思うす。
薪割りは目的ではなく手段だから。
ナイフでバトニングすることだけがキャン
プでもブッシュクラフトでもないし。
フリースタイルでいいのではないでしょう
か。
野外ではオリジナリティ大切。




切り方

2020年07月28日 | open


「切り方」について、剣法練達者からの
相談あり。具体的技法と概念について。

私で知っている範囲のことは全て伝え
た。これは誰に対してでもではない。
同門であり、刀友会の同志であるからだ。

刀剣でもナイフでも、切り方、斬り方、
突き方、刺し方はいろいろある。
要するに刃物という武具を使うのである
から、その武器の形状や用法の技法は
多岐に亘る。一本調子の固定観念や
思い込みが介在する余地はない。

ナイフがかなり勉強になる。
「切る」ということについて。
日本刀での切りを行使する場面は、現代
では伝統武技の研鑽においてのみしか
存在しないが、ナイフの場合、実に深く
広い用法が潜んでいる。
別ジャンルと機械的に分けず、包丁でも
ナイフでも使用することで、日本刀の
用法、剣法に生かすエッセンスを見つ
けることもできる。
和太鼓のバチの動きからでさえ剣法に
繋がるヒントが隠されていることを発見
できるように。


思考回路、概念規定を固定的に石のよう
にさせてはだめだ。
特に武技においては、そうした居つきは
実体においても思考においても死を招く。

刀法はいろいろなやり方がある。

火つけ道具とアウトドア

2020年07月28日 | open
 


私はメタルファイアスターターは何種類
持っていますし、使いもしますが、
基本的には野外では燃料切れでないなら
ばライターを使います。
メタルファイアスターターは、緊急時の
ためにサイドアーム的に持っているだけ
で、メインではライターで着火します。
何故か。
それは効率性を優先させるから。
 
では何故今メタルファイアスターターが
流行っているのか。
それは、ロマンを求めているからでしょ
う。実用性よりもファンタジーを。
特に、「ブッシュクラフト=ファイアス
ターター」という短絡思考がメタルファイ
アスターターでの火花飛ばしを流行らせて
いるのだと私は分析します。
 
でも、本当のブッシュクラフト(これは
新語)というか野外活動をする人はメタル
ファイアスターターとかは使わないんで
すよね。マッチかライターを使います。
火を点ける行為が目的ではなくて、火を
熾すのが中間的目的だから。点火が到達
点ではない。
また、火を焚くのも、料理をしたり暖を
取ったりの目的のための手段でしかない。
必ずメタルファイアスターターで点火、
ナイフで薪割りバトニングが必須、ファ
ザースティック作りが火種の火口には絶
対、というような固定観念にハマり込むと
それはブッシュクラフトの本質的意義から
どんどん離れて行きます。
理由は、目的と手段を取り違えているか
ら。別な表現をするなら、本末転倒。
 
ブッシュクラフトという表現は2012年に
登場して急速に広まりました。私がその
単語を使い始めたのは2013年からです。
それまではハードキャンプとかガチキャン
とかサバイバル
と世間でも呼ばれていま
した。
つまり、南方戦線で戦後も一人で戦争を
続けていた横井さんや小野田さんのような
森での自活行動が本当のブッシュクラフト
の王道なのです。
そこには、お遊び的な要素はありません。
 
キャンプは教育の一環として万国で教育
過程に導入されてきました。
ブッシュクラフトは、そのキャンプをもう
一歩進めて、森での自主創作活動を採り
入れて、森から何かを学ぼうとする活動
です。メタル火花やナイフ薪割りや毛羽
立ち棒作りが目的ではない。
あくまでも目的に向かう手段の一つと
して、火付けや火熾しはその目的にのため
の一行程の準備作業である、と明確に認識
しないと大きく道を踏み外します。
テント張りやタープ張りを主目的とする
というのはおかしいでしょう?それなん
です。

ただ、その目的に向かう道程さえも工夫
しながら楽しみ、そして失敗と成功を
繰り返しながら学んでいこう、という
のがブッシュクラフトの背骨なんですよ
ね。

昨日、自称キャンパーの人と多少意見が
対立しました。
私が小割薪の焚き木で飯盒炊爨している
ことを「ご苦労なこった」と言ってまし
た。そして、自分はガスが便利だから
ガスしか使わない、と。
それはそれでいいでしょう。私は否定
しません。
ただ、はは~ん、と見えたものがあり
ました。
私は相手のスタイルは否定も肯定もせず
話を拝聴するに受容していますが、相手
は全く自分の価値観以外は認めず、なぜ
かしら他者の行為を自分より下と見て
いるのです。それが見えた。

そして、私がエスビットとエスビット
ケースのポケットストーブも利用すること
を話していたら、どうも話がかみ合わな
い。
すると、「エスビットはメーカー名だ」
と言い張りました。私が戦前からナチス
ドイツ軍でも多用されていた新開発の
固形燃料がエスビットであり、ケースは
ポケットストーブにもなるあくまでもエス
ビット燃料の容器であると説明しても、
それを認知しようとしません。
あまりやりたくはなかったのだけど、
ウィキペディアを教えて、エスビット
とは固形燃料の事を指す、という歴史的
事実を知らせました。そこでようやく納得。
すると、「渓流さんもかなりスキルが上が
ったようだな」と来た(笑)。
私、その人が生まれる前の1965年から
キャンプやってるんですけどね(笑)。
しかも50年以上昔のキャンプというのは
今でいうブッシュクラフトそのものだった。
次から次に新製品ギヤを買い続けて、それ
を並べて悦に入るようなスタンスは無かっ
た。
そうした傾向が顕著になったのは、高度
経済成長終焉以降の1980年代からです。
高山の山岳以外での森で薪が補給できる
限りは薪で火を得て料理や暖を取るほう
が簡便であり火の取り扱いもやりやすい
事も説明したけど、最後までその方は
理解はできませんでした。いや、理解
しようとする精神活動は見られなかった。
これは情報処理能力の問題だから仕方
ありません。自分以外は認めないのだか
ら、そこですべてが終わります。思考の
展開も発展も無い。
世の中、いろんな人がいます。

ガスコンロが登場普及したのは1985年
頃から。
それまでは山岳系もホワイトガソリン
です。圧縮作業を経て点火させる。
デイパックの登場は79年頃で、日本では
1981年時点のビーパル創刊号2号でよう
やく「新しいザック」として解説紹介
されています。
そうした歴史性がある。人の活動や
物品のギヤアイテムというものには。
そのような歴史的流れを俯瞰できて
現代を見定める視点というものが仮に
欠落していたとしたら、今のほんの
瞬間の自分の目の前の事だけが絶対真理
であるかと人は誤認しがちです。
それはとても危険なことなのです。
自分の実体験したことでなくとも、書物
や先人たちの口伝から学ぶことは多く
あります。そうして知見は受け継がれ、
オリジナリティが加味されて人の歴史
は発展してきた。
それを全否定するような思考回路は
極めて非生産的であるといえます。

キャンプやブッシュクラフトは、自然
環境の中で、高度機械化電子化された
生活をほんの少しだけ離れて原点回帰
することで、そうした現代人が陥り易
い視野狭窄を見つめなおすことも大き
な課題として静かに含まれているので
す。
目の前の狭い自分の価値観の殻を突破
する。創意工夫しながら人間力を養う。
それがキャンプであり、ブッシュクラ
フトかと思います。