渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

古代街道を行く 〜古代山陽道〜

2021年02月19日 | open
三原市内で古い山門を発見。
左右の仁王像は室町時代の作に見える。
 
参道をかなり進むと古刹あり。

三原市内の三原城が出来る以前からの
場所で隠れキリシタンの文化があるとは
知らなかった。うーむ。
何故か、部分的に「塗抹」されています。
1976年当時と何かの扱いが変わった証左
か。

古代山陽道を北上(東上)する。


仏通寺という古刹の横を通る道。
 
仏通寺(1397)が建立された遥か以前の7
世紀、律令制の時代、この道が山陽道だ
った。645年の大化の改新により街道
整備
と駅馬、駅家の設置が指示された。
約30里(当時は1里約540m)、つまり約16
km毎に駅家(うまや)という駅が全国に
かれ、中央王権への庸調のために
利用され
た。主として調の物納品は海路
で運搬し、
庸という課役は人民に徒歩で
朝廷まで来
させた。
各駅家には馬が何疋と指定されて飼育され
ていた。大路20疋、中路10疋、小路5疋と
指定され、主として伝馬による情報伝達に
用いられた。物納品運の荷駄には使わな
い。いち早く中央への情報伝達の為だ。
強制徴用された人々は徒歩で都まで上ら
されたが、駅家などには泊まれない。野宿
を強要された。駅家の施設は朝廷の役人の
みが利用できた。現在の鉄道駅や道の駅
ような人民が寛ぐ場所などは朝廷は
作らな
い。日本の人民は全て貴族にとって
「物」
でしかないのだから。馬でさえ厩
がある。都の殿上人からすると、一般臣
民などは馬以下の扱いだった。
余談だが、徴用された防人には「砥石を
必ず持参せよ」との命令が出されている。
武器たる支給刀剣を自分で研がせる為で
あろう。
日本語の「駅」の機能概念は駅家から
る。駅伝は情報伝達の疾走命令
名残だ。今はスポーツとして成立して
いる。


すでに仏通寺境内。
クマ出没注意の貼り紙があった。
このあたりで目撃されている。




黄緑の線が古代山陽道。
江戸期の近世旧山陽道とは異なる。
三原湾上に三原城が戦国末期に出来てから
は西国海道という城脇を通る道が山陽道
の代わりに多用され、大名行列もそこ
通った。遠方は海路を利用。
古来、日本の街道は海沿いは難所だらけ
のため、山間部の川沿いを通るルートで
切り拓かれた。
 
禅寺、仏通寺。

 
さらに超古代山陽道を上る。
ここからは、上りは本物の登りとなる。
延々と昼なお暗き山間部のくねくね道を
行く。


登り切った古代山陽道最高標高地帯付近
に厳嶋神社がある。



江戸期享保年間の石鳥居あり。
 
実際に古代山陽道の駅家を通ってみた。
駅家が確認されている三原市高坂町真良
(しんら)から東の次の駅家の葦田までは
約34kmある。
約16kmごとに駅家を置くという規定に
反する。
それゆえ、その中間地点の三原市八幡町
垣内(かいち)もしくは久井(くい)あたりに
名称不明の駅家があった筈だ、とするの
が史家たちの説だ。



現実的に古代山陽道を走ってみると、
眞良から東の道は山間部の超難所であり、
そこを超えて開けた現国道486号(古代
山陽道と重なる)で広島県府中市栗柄町の
駅家葦田までの34kmの区間、何も駅家が
無いとするのは不自然過ぎると感じた。
太宰府から都まで都での労役のために人を
歩かせる為の道路が古代街道だが、この
現三原市内の「駅名不明の駅家」は、やは
り律令制度の決まりの如く、無ければ不自
然だといえる。通常の16kmの伝令区間を
超えて倍の34kmの距離を馬ないし疾走で
情報伝達するというのは、かなり物理的に
も不都合が生じるのではなかろうか。
往時の60里を行かせる事になるからだ。
これは律令制度の決まり事の通り、三原市
八幡町垣内か久井エリアに駅家が存在した
とみるのが妥当かと思う。
古代街道の駅家は、名称さえ確定していな
い駅家も沢山ある。
古文書史料によっては、葦田さえ記載され
ておらず、その東の品治から西の眞良まで
駅家が無いとする書もある。
50kmの区間に全く駅家が存在しないとい
うのはあまりにも非現実的だ。
史料はまだ未発見だが、やはり、規定の
16km毎に駅家が置かれ、葦田と眞良の
間には未発見の駅家があったと考える事
が自然だろう。
今後の学術的な研究を俟つ。

岡山県の河川敷

2021年02月19日 | open






10年ほど前まで、どれほど美しかった事
か。
貴重な野生動物も多く、猟場にもなって
いた。
馬鹿馬鹿しくも、全部行政により刈り取ら
れた。つるっぱげ。
河川敷の森林地帯にあった縄文時代の環状
列石の遺跡はどうなったのだろう。



サクラ咲く

2021年02月19日 | open


きょう、東京池上本門寺にて。


リフレクター 〜反射板〜

2021年02月19日 | open

ごく一般的な灯油ストーブだ。

しかし、燃焼部の背面にはリフレクター
が設置されている。
しかも、その反射板はただの板ではなく
凹レンズのような断面の物をいくつも並べ
るような構造になっている。
熱反射の効率性について実に研究されて
いる。

焚火を嗜む焚火派の方たちは知悉してい
るだろうから今更なのだが、このリフレ
クターの効果と良し悪しは、燃焼におけ
る炉内温度の上昇と「炉内雰囲気」を
管理する上にあってとても重要な要素と
なる。
薪ストーブやロケットストーブの場合に
は、さらに二次燃焼と対流効果について
の実績の知見が一基ごとの設計に導入さ
れている。
薪ストーブもロケットストーブもただの
鉄の箱ではない。内部構造はカラクリ箱
のような多様な工夫が施されているのだ。
燃焼についての知見が動員されていない
ストーブは存在しない。

沸かし専用の日本刀の鍛冶炉(康宏炉)。


私が作る野外カマド。
ストーンサークルのような丸型オープン
にはしない。


この鍛冶炉型にするのはいろいろ理由が
あるが、私が長年焚火をやって来た経験
に基づいている。


炎の管理もしやすく、炉内熱効率も良く、
極めて火を調節含めて効率的に運用できる。


市販グリル。リフレクター効果を得ている
設計の物。薪を使っても調理がしやすい。
いわゆるカマド系原理の形状。


別場所での私の野外カマド。
さらに緻密に設えれば、松炭を使っての
刃物鍛造も可能だ。


炎の熱が逃げ、効率の悪いタイプの市販
焚火台。


このタイプでの調理は、結構難しい。


リフレクター効果をも考えている形状の
市販焚火台。スピットを上に置けば調理
もやりやすい。


現在、直火が禁止されているキャンプ場が
増えているので、石を組んでカマドを作る
シーンは減って来ている。
1960年代、70年代は全て石組みカマドを
作っていた。焚火台そのものが世の中には
存在しなかった。
石組みをやらなくなってから、キャンプを
する人たちにも、反射効果についてあまり
考察しない人たちが増えたように思える。
ただのストーンサークル的な円形焚火場と
炉型石組みカマドは目的が異なるのだ。
今は数えきれない程の各種の焚火台が販売
されているが、購入者も、あまり、反射効
果についてはアンテナを張らない傾向が
見られる。
一方、古くからブッシュクラフトなどで
焚火をやっている人たちのカマドを見る
と、しっかりと丸木や石でリフレクター
を設置している。
市販の焚火台でも、設置の時にひと工夫
すれば、かなり良い焚火環境を作れる。
マニュアル通りの事をやるのではなく、
いろいろやって体験が経験として血肉化
されて行くのがアウトドア活動の醍醐味
だ。
野外活動は、人間力を向上させる。
知恵を絞らないと前に進まないからだ。
大自然は人を育てる。

謎のナイフALTEMA

2021年02月19日 | open


古式馬術をなさる知人の方がこれを入手
したとご連絡を頂いた。
おお!謎のナイフALTEMA!
今の時期、よく手に入りましたね。
バイク仲間の友人は国内販売網をすべて
リサーチしたけど、どこも売っていなか
ったので、仕方なく似た別なナイフを買っ
ていた。
それはそれで面白いナイフだったが、それ
はALTEMAという個体ではない。やはり、
別なナイフだ。

このナイフ、刺突性においてUFブッシュ
クラフトナイフには劣るが、アウトドア
ナイフとしては全方位的に突き抜けた優秀
さをみせる。
使ってみて判る。
使えば使う程に味がでる。愛着も湧く。
アウトドア、キャンプ場で持っているだけ
で何だか顔がほぐれる。
ALTEMAは人に穏やかな気持ちをもたらす
「良いナイフ」だ。

声質

2021年02月19日 | open


私が声で一番好きな声は歌声ではない時の
普段の話し声の時の松田聖子さんだ。
潤いのあるハスキーな声。
しかし、声質のみならば、福原愛さんだ。
絶対に1/fゆらぎの声だよ、あの人の声。
普通に話している時の声の質が、まるで
本田路津子さんの歌声を聴いているような
気持ちになる。

人は声色大切。
平坦な電子音声ほどつまらないものはな
い。
「うた」もそうだ。
カラオケ100点などは、音程を外さず、
技巧を使えば機械的な点数は出る。
しかし、人が聴いて心が揺さぶられるか
は全くの別問題なのだ。
高度な電子技術を駆使して、美空ひばり
さんを蘇らせたとする企画があった。
機械的な完成度は高かった。
だが、多くの人は、これは違うと指摘した。
人は聴き分ける。
科学万能主義は、実は人が万能になれる
かと思い違いをしている。
神に造られた人は、神の采配により、機械
とは異なる能力を与えられた。
そもそも、機械は人間が作った物だ。
人間を超えられる道理はない。
その一番分かりやすいジャンルは音だ。
声だ。
人の声をいくら機械的に精巧に作っても、
人が人である限り、人はそれに感動はしな
い。
ウィスパーを機械はノイズとしてしか感知
しない。
人の耳元での囁きにビクンとするのは、人
だけだ。
しかも、それは人の声質による。
私などは、電子音声は、ゲームのピープー
音の複合音階にしか聴こえない。

ジッポーの音の違い

2021年02月19日 | open
 
手持ちのジッポーのごく一部。
全てオープン時の音階と音質が異なる。
左からオクターブ高いピッチで、
F-A-A#(B♭)-C#(D♭)-D
の音階になる。
こんなことは、実際に聴いてみた者でなけ
れば判らない。
いくら悪意ある悪なる人間が文字上の拓本
を採っ
て悪所に貼り付けて誹謗中傷の道具
にしよ
うとしても、全く無駄なのである。
現実を知る者のみが事実として存在する
真実を知る事が
できる。
これは万理の真理だ。
 

ジッポーの音の違い

2021年02月19日 | open
 
普段常用しているこの1980年製のジッポー
は、蓋を開ける時にチーンというまる
で空
薬莢がアスファルトの地面に落ち
たような
高く澄んだ音がする。
わがMCのオフィイシャルマークを彫って
ある。
ジッポーは弦楽器と同じで、すべて一つ
一つで音に個体差がある。
それも、かなりの差異として現れる。
同じ年の物でも全て音質が異なる。
見た目は似ているのに個性が頑として
ある。
そこがジッポーの面白さ。

ジッポーの音の違い

2021年02月19日 | open
 
普段常用している1980年製のジッポーは、
蓋を開ける時にチーンというまるで空薬莢
がアスファルトの地面に落ちたような高く
澄んだ音がする。
この1968年製のベトナムジッポーは、残響
音を漂わせる悲しい高い音がする。
「最後の一発」の空薬莢が市街の路面に
落ちて響くような音。
ジッポーは弦楽器と同じで、すべて一つ
一つで音に個体差がある。
それも、かなりの差異として現れる。
同じ年の物でも全て音質が異なる。
見た目は似ているのに個性が頑として
ある。
そこがジッポーの面白さ。

ジッポーの音の違い

2021年02月19日 | open
 
普段常用している1980年製のジッポーは、
蓋を開ける時にチーンというまるで空薬莢
がアスファルトの地面に落ちたような高く
澄んだ音がする。
この1991年製のDOMONジッポーは、高い
音質なのに曇った音がする。
古い喫茶店にある砂糖壺を開けたような
音。
ジッポーは弦楽器と同じで、すべて一つ
一つで音に個体差がある。
それも、かなりの差異として現れる。
同じ年の物でも全て音質が異なる。
見た目は似ているのに個性が頑として
ある。
そこがジッポーの面白さ。

ジッポーの音の違い

2021年02月19日 | open
 
普段常用している1980年製のジッポーは、
蓋を開ける時にチーンというまるで空薬莢
がアスファルトの地面に落ちたような高く
澄んだ音がする。
この1992年製のソリッドブラスジッポー
は、空薬莢が角ではなく腹でアスファルト
落ちたような高めの音がする。
サスティーンがあまりないような。
ジッポーは弦楽器と同じで、すべて一つ
一つで音に個体差がある。
それも、かなりの差異として現れる。
同じ年の物でも全て音質が異なる。
見た目は似ているのに個性が頑として
ある。
そこがジッポーの面白さ。