巌流島見えず。
僕の名前はフクマネキン、だそうです。
かわいくない(笑)
広い!
口ふさがれてる。
でも勿論食べられる。
走りだったそうです。
1996年、18才のあんちゃん。
手が峠にはワンサカいた。
25年間は、世の中こんなもん。
一つの社会現象なのかな。
映画『ゴールデン・リバー』(2018年)
この1851年を舞台とした西部劇
を観ていると、パーカッション
式リボルバーが金属薬莢リボル
バー登場以降もかなり長く使わ
れていた理由が分かるような気
がする。
シリンダーを交換するだけで即
座にまるで自動拳銃のように次
の6発の弾倉交換が素早くできる
からだ。
実銃射撃においても、空シリン
ダーを外して次の装填済みシリ
ンダーを装着して初弾を発射す
るまでほんの数秒だ。
弾丸装填の後、発射時の銃身汚
れと延焼暴発(チェーンファイ
ア)を防ぐために、シリンダー
先端にグリス=ワックスをたっ
ぷり縫って栓をする。
こうした実用的な描写を観察し
ていると、パーカッションリボ
ルバーはペッパーボックスの発
展形なのだなぁという事が理解
できる。
サミュエル・コルトが考案した
回転式パーカッション拳銃は、
回転輪胴に薬室を設け、そこに
発射薬の黒色火薬と球状弾丸を
込めて後部に雷管を被せたもの
だ。
それはペッパーボックスに長銃
身を外部装着させたような機構
である。
厳密にいうならば、既存の単発
雷管式拳銃に1930年代初期のペッ
パーボックスの構造を合体させ
て完成させたのが、1836年のパ
ターソンモデルだったというこ
とが大雑把にはいえる。
その後、1847年にウォーカーが
登場し、さらに改良版として
1848年にドラグーンが登場する。
さらに、歴史的名銃であるM1851
ネービーが1851年に登場した。
ネービーといっても、メモリア
ル的に海軍に敬意を表しただけ
で、採用したのは陸軍であり、
愛用したのは開拓者たちだった。
M1851は.36口径ながら威力は
現代のACP.38口径弾に匹敵する。
安全性も高く、延焼暴発もしな
いので実に多くの数が作られた。
ペリー来航の際に、最新式1851
が数丁幕府に進呈され、水戸藩
でフルコピーが作られて桜田門
外の変で使用された。
私も、合法的に日本国内で所持
できる古式銃のコルトM1851ネ
ービーを観たことがあるが、実
に精悍で美しい銃だった。シル
エットはSAAよりも美しいと私
は思う。
ただ、1900年頃まで北米では愛
用されたが、ソリッドフレーム
の金属薬莢回転式拳銃がやはり
押して来て、やがてほぼ金属薬
莢の時代となった。
だが、現在と同じような無煙火
薬を使用したコルトSAAは1896
年まで待たなければならなかっ
た。
このあたり、多くの西部劇では
黒色火薬
のその時代に存在しないピース
メーカーのタイプ(2nd)使用して
いたりする。
コルトSAAは1stジェネレーショ
ンも2ndも外見はほぼ似たよう
なものだが、それは日本の時代
劇にあって、戦国時代の武将が
江戸時代初期の虎徹を愛用して
いるようなものなので、現実と
してはあり得ない。
名銃コルトM1851ネービーは、
巨大で重たかったドラグーンに
比べたら携帯性を重視して極め
てスリムかつ小さく作られた。
手の大きなアメリカ人が握ると、
小指がグリップには収まらない
ほどの細身で小型の拳銃だ。
しかし、大人気となり、SAAが
登場した後も多くの開拓民やガ
ンスリンガーたちに愛用された。
バット・マスターソンやワイル
ド・ビル・ヒコックも使用した
と伝えられる。
コルトSAAは「西部を征服した
銃」と俗に呼ばれるが、M1851
ネービーは、「歴史を支えた銃」
であるといえる。
(コルトM1851ネービー)
女優さん、めちゃくちゃいい女だったけ