1984年晩夏。
相方と朝の箱根を走っていた。
レストハウスを抜け、右に山伏峠をかわし
杓子峠の右ヘアピン手前の直線のような
緩やかなS字で軽く左に振った時だ。
後ろから白赤のRZが抜いて行った。
レストハウス前の直線で後ろに着けている
ことは分かっていたが、抜かないだろう
と思っていたら、S字でじんわり抜いた。
またかよ、と思った。クローズドサーキッ
トではないのだから、ヘアピンの手前の
高速セクションで抜くと、公道ではろくな
ことにならないのになあ、と思った。
筑波ではガン計測すると1ヘアの手前S字
は大体170近く出ていてそこからフルブ
レーキングしながら切り返す。
公道はそんなに出さないが、その日のその
ポイント手前は結構出ている。
「あー。その速度で突っ込むと、多分
右曲がれないよ」と思った。
で、出口が緩いとはいえ、最初のRはかな
りきつい。当時、路面は良く、ゼブラは
無い。
案の定、コースアウトして、砂利敷きの
展望退避エリアでRZはモトクロスのよう
に大ジャンプした。ロデオみたいに。1980年代のスカイラインは、パーキング やレストランのあるエリアは舗装だが、
展望退避エリアは砂利だった。砂利と
いうより、剥き出しの山肌のまま。
そして、そこらにボコボコと大小の火山弾
のような岩が露出していた。
これはスカイラインを御殿場寄りまで
行った三国峠の展望エリアだが、現在で
は舗装がなされ、往時の面影は石碑の周り
だけに見られる。
今でこそ、このように区切りが見られる
のだが・・・
ちょい前はこんな感じ。さらに80年代は
全面土と砂利と大小の岩だらけの山肌の
ままだった。
またかよ、と思った。 前にも別場所でロデオやってる人がいた
なあ、と。
我々2台は右コーナーを抜けてからUターン
して展望エリアまで戻った。
RZの人は大丈夫そうだったので、無言で
見守るだけにした。手を挙げて問題無し
の合図を送って来たのでその場を離れた。
前に無理抜きしたのも別なRZだったなあ。
この時と同じく社外チャンバー着けてた。
パスはご自由にだが、曲がれない速度で
抜いてコースアウトしてたらダメじゃん。
谷に落ちたら、あそこは真っ逆さまだよ。
芦ノ湖スカイラインから箱根スカイライン
を抜け、県道401を通って乙女道路に行く
のがいつものルートだった。
しかしこのP401長尾峠は深夜に走るのは
危険だ。
理由はこれ。 路面のマーク見れば、誰が何でどんな走り
をしているか判るでしょう?
昔からこの一般道区間はドリフターズの
根城だった。センターラインはまるで無視
して四輪を横向きにさせてコーナーを抜け
てくる。
しかも、御殿場方面にかけては箱根スカ
イラインのエンドからは下るのだが、道
がかなり狭くなる。そこで四輪のドリマン
たちは車線無視のドリフトをさせてくる。
ここ、危険。朝でも昼でも危険。
芦ノ湖・箱根スカイラインのレストエリア ではヤギさんがいます。
今ではリードで繋がれてますが、昔は 何頭も放し飼いでした。広島宮島の鹿
みたいに。
ある日の霧が強い朝、相方はバイクのス
テッカー食われてた(笑)。ライディング
ハイ連絡会のステッカー(笑)。
ムシャムシャ食ってるの。
「あ、こら」と言って相方がヤギさんを
どかそうとしたら、切ったあとの角で
ドン!と突いて来た。ケツ突っつかれて
た(笑)。
「もう、いいや」とか食わすに任せてい
たけど、ステッカーの樹脂フィルムまで
食ってたから、あれヤギさん身体によく
ないだろうなあ。でも、俺のメシ邪魔す
るなとばかりに突っつくから止められな
かった。
芦ノ湖・箱根スカイライン。 最高のシチュエーションです。
景色も良いけど、コースレイアウトが
最高なのです。
但し、飛ぶと救急車来るまで何時間も
かかるので、死にます。
安心運転で気をつけて。
二輪では自分の限界値の6割を超えない
ようにするのがよいかと。
私はある時期から公道は自分のリミット
の6割を超えないようなマージンで走る
ことにしています。幸い、今のところは
ロデオやホームベース滑り込みはやって
いません。
それと、箱根の場合、飛んで向こうに
落ちたら、命が万一助かってもヘリ救助
とかでないと引き上げられないかも。
くれぐれもお気をつけてください。
バイクで峠なんかで死んじゃダメです。