渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

海ぜよ

2021年02月06日 | open





この頃の広末最高!



部活自粛の嘘八百

2021年02月06日 | open


そら離党勧告だろうなあ。
お店に19時までと言ってた本人が23時まで
クラブ活動で飲酒してるんだし。
最初の会見では全否定してたのに、実は
クラブの人と同伴出勤して複数で部活やっ
てるんだし。

公明党の議員も辞職。
キャバクラ代まで公費で賄ってた。

議員の先生方。
夜の部活は、この時期ではなく、世の中
の人々が安全で平穏な時期にやってくだ
さいな。

しかし、与党。
すげえなー。日本て国は。
自分らは特別、一般の日本人ではない特別
枠だとか思ってるのかねえ。
国民が生き死にの狭間で苦しんでる時に
よくやるわ。

でも、投票したのは国民。
自業自得ってやつなのかもね。

日本人像

2021年02月06日 | open


元総理大臣。
これが典型的な日本人の姿。
発想、素地、素養、態度、言葉遣い。
全てに於いて、典型的な日本人である。

慮外哉。

刀好きの共通項

2021年02月06日 | open

(私の差料。天正八年-1580年-作)

うちのMCでも刀剣会でも刀好きの上に
馬鹿が付く程の人たちが何人かいる。
その中に私も入るのだが、全員に共通する
点がある。
それは、特定の地域や作者のみが好きと
いう事はなく、どんな地方のどんな刀鍛冶
の作であっても、日本刀は全部好きなの
だ。
備前伝以外は認めない、五箇伝以外は刀
ではない、というよく刀剣界に見られる
ような風潮とは全く異なる。
刀をおしなべて全て平らに見る。
それが共通している。

私の場合、刀を観ていて、刀の向こうに
作者の姿が浮かんで来るような刀が好き
だ。地方や流派や個人によりけりではな
く、刀は作による。
得てして、「真面目な作」にそういう空気
が漂う。
時を超えた一つの目に見えない繋がりを
感じさせるような。

日本刀の謎 〜藤原の名乗り〜

2021年02月06日 | open


日本刀の歴史の中で、明らかにされて
いない謎は多いが、その中に刀工の名乗
りがある。
自身の姓を「藤原」とする刀工が圧倒的
に多いのだ。
中世までは刀鍛冶が姓を銘に切るのは、
無いことはないが多くはなく、一般的
ではなかった。
しかし、新刀期(慶長以降)に刀にハクを
付けようと工人であるのに朝廷から書類
上の官位を受領(ずろう)する事が流行っ
た。取り仕切ったのは伊賀守金道だ。
初代金道は文禄三年(1594)に伊賀守を
受領して禁裡御用を拝命し、その後、
徳川家康から太刀一千口の製造を命じら
れたことをこなした。彼一人では作れない
ので、人脈を駆使して関係鍛冶職を引き
込んで量産した。慶長十九年の事だ。
そのため、家康の斡旋により、のちに
朝廷より「日本鍛冶宗匠」に任じられる。
以降、日本国内の刀鍛冶は、ハク付けの
為に形式上の官位を取得しようとしたら、
絶対に伊賀守金道を通さなければならなく
なった。

刀工という一介の鍛冶が国々を治める訳
でもないし国司でもないのに守(かみ)や
大掾(だいじょう)などの官位を名乗りだ
したが、これは実体を伴わない名目上の
官位だった。
刀鍛冶はただの鍛冶屋の職人である。
しかし、権勢と結びつく事によって刀工
に権威付けをさせることを時の武将は好ん
でやった。朝廷の権威を利用して。
実は金で買える官位だ。
ただし高い。超高額だ。今の金額で、申請
一件で6,000万円程かかる。
だが、大名や商人たちがスポンサーとな
り、多くの刀工がハク付け官位を求めた。
苗字なども持っていない、持っていても
公式には名乗れない階級であったのに、
源平藤橘の姓を名乗った。下手したら、
苗字の前に姓を決めたのではという勢い
で。
姓名の姓は血筋と家の来歴を体現するもの
であったが、武士とてコロコロ変える始末
だった。徳川将軍家でさえ、元は藤原を
名乗っていたのが、トクガワを剽窃して
からのちには源にしてしまった。
柳生家も平を名乗ったり菅原を名乗ったり
していた。
日本全国、公家以外は大出鱈目を武士たち
はやっていた。
その大親分は島津家で、始祖を秦の始皇帝
としている。
よくぞ、「わが先祖は卑弥呼なり」とする
武将がいなかったものよ、という位に武家
の血筋来歴などは出鱈目ねつ造大流行だった。
そして、そのねつ造を補完するために系図
を専門家に新規製作させたのだった。
それがいわゆる「系図買い」という現象で
あった。

日本の歴史は、多くの社会的な局面で大嘘
だらけだ。
日本刀の鍛冶工人=刀鍛冶に「藤原」姓が
多いのは、たとえ受領していようがいまい
が、朝廷と密接した関係にあった藤原氏を
僭称する事によって、大衆と権威筋に対し
て、ハク付けして自分はレッキとした貴種
である、としたかったからだろう。
僭称であり、盗用であり、権力に阿るせこ
い根性ともいえるが、往時の日本人全体が
そんな調子なので、何も刀鍛冶たちの町人
が特別なのではない。お上でさえ僭称盗用
の総大将であり、武力で権力を掌握した
だけの野蛮人でしかない。

公武のうち武門はそうだが、公家とて同
様。
古代にあっては、朝廷皇室内で殿中で対立
者を斬首とか平気でやっていた。皇子だろ
うが関係なく首切断。
そして、自分が権力を握る。それを改新と
称する。
日本というのはそんなもの。

江戸期の刀鍛冶が圧倒的多数で「藤原」を
名乗るのは、公家の藤原氏とは関係ない。
僭称なのである。
しかし、なぜ藤原が多いのか。
それだけ、日本人の精神的質性のバロメー
ターと見れば、刀鍛冶が藤原を名乗りたが
る精神的土壌が見えて来る。

しかし、そうしたことに全く興味のない
刀鍛冶もいた。長曽祢虎徹や幕末の清麿
(すがまろ)がそうだ。
清麿は源を名乗ったが、これは信州での
郷士の家系の伝系ではなかろうか。
元々姓を持っていたのだろう。
虎徹に至っては、刀工銘以外、通称の名前
さえ判ってはいない。
通称とは武士が持つ実名=諱ではない何と
か太郎みたいな日常の呼び名の事。
現代の日本の戸籍では、氏と名の登録しか
なく、名は諱だろうが通称だろうが認可
された漢字ならば登録できる。
江戸期は武家の男子は姓名苗字通称を持っ
ていた。清水甚之進藤原信高、というよう
な。
そして、名前の変更は任意に可能であっ
た。現代より自由が存在した。
なお、実名を呼ぶ事は「名指し」と呼ばれ
て、日本にあっては、武家政権時代は禁忌
であった。絶対に「家光殿が」などとは
武士は口が避けても呼ばない。家光と呼ぶ
のは家光より上の位の者だけだし、将軍
宣下の折に源家光(花押)と自称するのみ
だ。時代劇はすべて大嘘。
水戸の光圀公がぁ、などという表現も絶対
にしない。
それはもう、現代人が天皇を二字名で本名
を呼ばないのよりもずっと厳格に守られて
いた。
現代人は気安く「家光公が」とか口にする
が、武士はそれをしないのである。

虎徹の名前は、私個人は研究から「みの
すけ」だったのではなかろうかと思う。
虎徹の名前は三之丞という説もあるのだ
が、それは「みのすけ」を改字してサンノ
ジョウと読む漢字を宛てたか、もしくは
三之丞自体もミノスケなのかも知れない。
元来は「巳之助」とか「箕助」とか「三ノ
助」とかではなかったろうか。
史料で虎徹に「巳之助」は未見だが、たぶ
んそのあたりではなかろうかと踏んでい
る。
虎徹興里は、受領には興味無かった。
また、幕末の源清麿(すがまろ)本名山浦環
も同じく。
清麿の兄の山浦真雄(さねお)も然り。
彼らに共通することは、超絶物切れ、大切
れする突出した業物を作った事だ。
余計なハク付け算段してる暇あったら、
鍛治について頭一杯にしていろ、という
事だろう。
いくらハク付けしても、刀としてしょっぱ
過ぎたら話にならない。
直胤だって、もっと資金を潤沢に回して
貰っていたら、あんな折れ易い代物は作ら
なかっただろう。
あれまた特筆すべき程に天下の見かけ倒し
の刀だったが、直胤は書面にて泣きをお上
に入れている。
こんな賃金では刀などは到底まともに作れ
ません、どうにかしてください、と。
しかし、けちんぼ殿様からは無視された。
そうして、あのような刀が出来上がった。
実際に戦闘や切り結びさえしなければ
直胤の刀剣は刀も長物も見事だ。見たら
唸る。

そして、現代人の現代刀の刀鍛冶は、その
直胤のやり方と路線を墨守して模倣して
いる。
虎徹、真雄が目指した所を目指す現代刀鍛
冶は、現代刀工300名のうち、ごくわずか
しかいない。
かといって、彼らが悪い訳じゃない。
そうしないと、つまり直胤パターンでやら
ないと刀鍛冶として存在できないシステム
に日本の制度がなっているのだ。
その特殊な刀剣の事を「美術刀剣」と呼
ぶ。
戦闘には使えない、否、あえて使えなく
させ、使わせない、物理的に不能な物品
を作らせているのだ。
誰が?
お上が、である。
戦後日本は、そういう国なのだ。
そして、現代刀鍛冶は、刀鍛冶という刀の
鍛人(かぬち)である事を忘れ、陶芸作家の
ような作家であると自らを見誤って生きて
行く。
それがもう何十年も続いている。

鉄の色

2021年02月06日 | open


うちの刀剣会の人と刀の鉄の色について
話をしていた。
とても面白い。
刀とは鉄だよなあ。鉄味。

私の一口(ひとふり)。












あおく、深い。
「あお」は、どの漢字をあてればよいの
だろう。
二尺三寸一分。
流派の掟に従う体配、私の差料の一口。
「掟を守り、道に従え」
当流の道歌の一。

ナイフと革ジャンとオイル

2021年02月06日 | open

ナイフは有名ビルダーのカスタムナイフ
から肥後守、自作ナイフまでかなり数を
持っているが、一本一どれも大切に思っ
ている。
そのナイフのうち、シースナイフで一番
どれが好きかというと、どれもなのだが、
あえてとなるとこのオールドガーバーだ。
もうヨレヨレにくたびれているけどね。
製作されて40年を超えるが、とても愛着
がある。ハイス鋼のよく切れる働き者。

ナイフのレザーシースやケースは時々手入
れをする。シースやケースにミンクは塗り
過ぎ注意。ごくごく薄く塗って磨き上げ
る。

革ジャンと同じで、シースにポマードなん
て塗らないよ(笑)。
革ジャンにポマード塗るとかいうのは、
時々ネットで見るけど、全然革ジャンの
こともレザーそのもののことも、オイル
の事もポマード/グリースの事も解って
いないといえる。
革にはレザー専用のオイルを塗る。
植物性油脂と動物性油脂に大別できるが、
ホホバオイルやラノリンや蜜蝋やミンク
オイル等々(他にも沢山)ある。
大切な事は、それぞれに特性があって、
メリット・デメリットがあるし、革の種類
によって使い分ける事だ。
一番一般的に多く使われるのはミンクオイ
ルだろう。レザーには汎用性が高い。
ミンクオイルは動物性油脂と蝋と流動パラ
フィンを合成した物だ。
調べるとすぐ分かるが、パラフィンとは
300℃以上で蒸留した重油を冷却した物
で、蝋状になる物質だ。ワセリンもパラ
フィンの一種。

ミンクオイルはレザーには汎用性が高い
が、革を柔らかくするので、革製品によ
っては多用しないほうがいい場合もある
し、カビも誘発しやすい。また、塗って
から1時間以内に拭き取りポリッシュを
する必要がある。塗りっ放しはダメ。
私もごく薄く塗って伸ばして磨くように
している。
私は少年時代、神奈川県の少年野球リーグ
の投手だったが、馬鹿だからミンクオイル
をグラブに塗り過ぎて革を柔らかくし過ぎ
ていまい、コーチにこっぴどくどやされた
事があった。手入れとて、やたらミンク
オイルは塗り過ぎるものではない。野球
グローブがバイクグローブみたいになっ
ちゃう(笑)。そこまでは行かないけど。
まあ、コシも無くし易いので、過ぎたるは
アウト、という事を身をもって体験した。

一方、毛髪用のポマード=グリースは、
水溶性の場合、水、ヒマシ油、ステアレ
ス、グリセリン、メタルやエチル等の数
種類のパラベン、芳香剤、色素などを合
成して作られている。
そのため、厳格な成分管理ができる工場
でないとポマードは作れない。
パラベンとは防腐剤の一種でもある。

革ジャンに頭髪用ポマードを塗るなどと
いう無茶扱いで革ジャンをダメにしてし
まうようなことはやめたほうがよい。
オイルなら何でもいいというものでは
ない。
日本刀には防錆剤の添加されたヤマハ
バルブオイル(ビンテージグレード)が
最適であり、鋼を全く傷めず、比類なき
防錆力を発揮するのは嘘なき事実だが、
車のオイルにバターは使えない。
オイルならば何でもよいという事はあり
得ないのだ。
革製品には革製品用のレザーオイルを塗ら
なければならないのも同じ事。
革ジャンにポマードは❌。

うちのMCメンバーには革ジャンとレザー
ブーツにかなり凝っていて詳しい人間が
いる。
彼は革の種類ごとにオイルを替えてメンテ
しているという。
私はそこまでオイルを取り揃えてはいない
のだが、これがほんとは適切だろう。
ちなみに革ジャンだけでなく、1970年代
にファッションから雑貨まで日本の若者
アパレル界をリードした有名な50'sブラ
ンドの重鎮の人に革ジャンとポマードに
ついて直に尋ねてみた。
すると、やはり、革製品にはレザー用の
オイルを、との事だった。
常識的にごく当たり前の事のようだ。
その人も、レザーオイルでも革によって
替えたほうがいいと言っていた。

革ジャンにポマード塗りは、悪い事言わ
ないからよしたほういいと思う。
第一、革ジャンが革のあの革独特の良い
匂いでなく、ポマードの香りになっちゃう
じゃん(笑)。
そして、事実として、私を含めて1970年
代の原宿ボーイズは、少なくとも私の周囲
では全員革ジャンを着ていたがポマードを
革ジャンに塗るような人は誰一人として
かった。
バイクのオイル代用でバターは入れない、
いう事だろう。
自分の革ジャンなので何塗ろうが、自分の
バイクのタンクに角砂糖入れようが勝手だ
が、私の周囲の原宿ボーイズたちは、革
ジャンにポマードを塗る人間はいなかっ
た。
これ、事実。


リンダ 〜50'sへの憧憬〜 (一部編集、再掲)

2021年02月06日 | open
【英語カバー】 リンダ / 
Mariya Takeuchi
"LINDA" All English Cover Version 



曲のPVはフィフティーズだ。
この女の子に惚れた!(笑)
マーリー、ドストライク。
50年代って、アメリカでもこのラブ
ストーリーのように女の子はお嬢様
なんだよなぁ。
そして男は女の子以上にウブだ。
ワルを装っていても、背伸びしていて
も、50'sの高校生の男はみんな純だ。
それは『ウエストサイド物語』(1961)
でもそうだった。
このプロモの女の子に惚れたといっても、
撮影は現代だが、実際の50年代だとする
と、この女の子は俺の母親と同世代と
なってしまう(笑)。
まさにバックトゥザフューチャーの世界
になっちまう(笑)。
しかし、フィフティーズから10数年後

の70年代の私の高校生の頃、自分の彼女
との青春グラフティはまさにこの動画の
世界そのものだった。
アメリカ人のように四輪車ではなく、
二輪車だったが、まさにこの動画の世界。
もう少しグレてたかな(笑)。
俺らの青春時代は
まさに『アメリカン
グラフティ』のフィフティーズの世界、
その数年後の80年代の
『あいつとララ
バイ』の世界そのものが、俺たち

ティーンエイジの時代だった。
それは映画やドラマや絵空事ではなく、

現実だった。


春色の花の並木の中を彼女を乗せて
この動画の男の子は走る。
1962年まで使われていたカリフォルニア

の黄色いナンバーを着けた車で。
映画『カラー・オブ・ハート』(1998年)
のひと
コマだ。
単なるファンタジーではない、深い
映画作品だ。

フィフティーズはいい。
朝鮮戦争が一時的とはいえ休戦となり
(現在も朝鮮戦争は継続中)、ベトナム
戦争本格介入までのアメリカ合衆国の
つかの間の平和。
フィフティーズはそんな時代だった。
1980年代も実はそうだった。

アメリカは1975年から1990年まで
戦争はしていない。
アメリカに連動している日本も、75年
から90年までは絢爛たる若者文化が
花開いた時代だった。
それはまるで50’sのように。
日本では1980年代こそが、内実として

アメリカの50’sの良質部分を自分らの
実体として体現することができていた。
50’sが「過去の物」ではなく現在進行形

で、フィフティーズではない感覚で発生
していた。
それは決してレトロ嗜好や回顧主義では
なかった。
そして、中身の実体は、50年代と80年代
は有機的に連動していた。
なぜか。
戦争が無い時代だからこそ、若者の文化
が開いて、若者は青春を謳歌できたの
だ。そこにはイジメもネチネチとした
他人を揶揄誹謗中傷するようなせせこま
しい性根も若者たちは持ちえなかった。
日本においては。

私は至極健全でまっとうな世の中の
時代だったと思う。
人々は明るい笑顔を持っていた。
戦争は人の心をすさませることから
計画的
に準備される。

1950年代(~1960)アメリカの若者
たちは青春を謳歌した。

フィフティーズに流行りはない。
元から50'sは50'sでしかないからだ。
1978年に公開された『グリース』は
時代設定は1978年から20年ほど前の
1959年を時代設定としていた。
ヒロインのオリビア・ニュートン・
ジョンは20代後半だったが、女子高生
役でヒロインを演じた。
『今日から俺は!!』にしても30代や
20代後半が高校生役をやっていても
違和感ないのだからよいだろう・・・
というか当時は批判もあった。
ヒーロー役のトラボルタが23才でも
若いくらいにティーンではない役者が
高校生を演じていたからだ。
『グリース』ではオリビアがとても
可愛かった。公開の翌79年にデビュー
したアメリカ帰国子女の竹内まりやが
『グリース』でのオリビアに雰囲気が
よく似ていた。

その竹内まりやはフィフティーズの
ナンバーのようなバラードを作った。
その曲を1980年時点でまだお嬢さん
路線だったアン・ルイスに提供した。
佐分利もとこさん。先祖は尾張藩の
武士だ。
ただ、アン自身はまるっきり見た目も
キャラクタもアメリカンだった。
しかし、1970年代には50’sの映画に
出てくるお嬢様のような路線だった。
弾けてロックになるのは1980年代後半
からだ。
それでも、アンちゃんはクリームソーダ
の熱烈なファンでもあった。

そのアン・ルイスが竹内まりやから
提供された曲を歌う。
ヒットした。
リンダというのはアン・ルイスの海外名

の本名だ。これはアンちゃんのために
作られた曲だ。竹内まりやもやる。
アンちゃんのコスチュームも容姿も、
フィフティーズそのもの
だ。
Linda(リンダ) アン・ルイス 

のちにアンちゃんの夫になった桑名正博
の兄貴が同曲をカバーしている。
これはレアなテイクだ。
幸せそうな二人のサムネイルも見られる。
二人の子がミュージシャンの美勇士だ。
アン・ルイスによく似ている。
生まれたばかりの頃、よくアンが美勇士
を連れて
渋谷のピンク・ドラゴンのビル
プールに遊びに来ていた。
桑名正博 - リンダ 

こちらは、竹内まりや自身のセルフカバー
だ。歌い方はもろにまりや節なのだが、
作詞作曲が竹内まりやだけに、表現力が
秀逸。
竹内まりやの歌い方は、どこか達観した
領域を歌い上げる。
恋の破局や恋の予感についても、破滅的
な破局による絶望を歌うのではなく、
甘く切ないちょっとだけ悲しい感情と
いうまるでそよ風のような感傷を歌わせ
たら竹内まりやが天下一品だ。
竹内まりやの「SEPTEMBER」にしても、
好きな人との恋の破局は、甘酸っぱい
思い出としてサラッと歌い上げる。
借りていた辞書を明日返すわ、ですべて
自分の心を清算する。清算しきれない
からこそ、電車に飛び乗って彼氏を
追いかけるのに。
竹内まりやは失恋ソングも希望の歌も
なにかサラリと自分を客観視する他人事
のように歌い上げることで、より一層
せつなさを出している。彼女は「歌手」
だ。表現者なのである。
Mariya Takeuchi - Linda 


竹内まりやがまだデビューしたばかり
の頃の1980年代、この頃の竹内まりや
は衝撃的なほどにキュートだった。
1980年代はフィフティーズからは30年余
の時が過ぎている。
ただしフィフティーズは永遠だ。
それは、現代においても、全局面で輝き
を放っていた1980年代が永遠の光を持つ
ように。


映画『ルーザーズ』(2010)

2021年02月06日 | open






映画『ルーザーズ』(2010年)

米軍特殊部隊の5名が南米ボリビアでの
作戦中に、組織内裏切りによって消さ
れたことになってしまう。
その黒幕が秘書を射殺するシーン。
秘書の女性が日傘を風に煽られて少し
黒幕のマックスに日差しが当たって
しまう。
するとマックスは付き人の傭兵に銃を
よこせと言って、無言で秘書を射殺
する。
その時、構えた時には撃鉄は起きている。
しかし発射後に一切スライドは動かない。
排莢もしない。
それが証拠には、撃発後にハンマーが
起きていない。
これはプロップガンを空撃ちして、
あとから発射炎をCGで描き加えた
ものだ。

ものすごくチャチな作りの映画だ。
これはひどい。
日活無国籍映画の「日活コルト」の
ようにスライドが無可動なのに弾が
何発も出る拳銃のようだ。
最近ではこのような作りの映画は
少ないが、実に珍しい。
サイレンサー装着用の遊底が動かぬ
減装弾という設定は成立しない。
それは、いくらサプレッサー用の
減装弾とはいえ、スライド後部を
押さえる必要があるからだ。
『蘇る金狼』では松田優作はコルト
ウッズマンで現金輸送車の運転手を
射殺する際に、そのアクションを正確
に再現して演技していた。


モトツーリング Vol.51 2021年3月号

2021年02月06日 | open

 

モト ツーリング 2021年3月号 (発売日2021年02月01日)

MOTOツーリングは、編集部が現地まで実走しツーリングに役立つ現地のナマ情報をお届けする、いわばツーリストナビゲーションマガジンであります。...

雑誌/定期購読の予約はFujisan

 


定期購読しているモトツーリングの
最新号
が届いた。
外に出られない今の時期、読んで
情報蓄積
しかないだよな(笑)。 

斬鉄剣の刀工小林康宏の一番弟子の
娘さん
毎号連載で4ページ程
イラスト解説ページ
を担当して
います。
宜しくね♪

上掲リンク先ページには試し
読みページもありますので、
ぜひどうぞ。

図書館 〜原宿駅〜

2021年02月06日 | open

現在の原宿駅

東京生まれ育ちの東京もんの友人と原宿駅
について話していて私が言った。
「くそダサ。まるで図書館みたいだ」と。
すると「えー!それは図書館に失礼」と
友人は言ってた。
図書館とはこうだ、と。

いや、いくらなんでもこれはやり過ぎ感
満載なのでは?(笑)
ここは教会でつか?てなくらいに。
キリスト教大学の図書館でもこんな感じ
じゃねえぞ(笑)。

取り壊される前の原宿駅