何たって、写真集が出るくらいで(笑)。
何たって、写真集が出るくらいで(笑)。
『宮本武蔵 巌流島の決斗』(1965年)
宮本武蔵は佐々木小次郎との決斗の
ために舟島に向かう。
その小舟の中で武蔵(中村錦之助)は
脇差を抜いて櫂を削って小次郎の三尺
の太刀より長い木刀を作る。
このシーン、抜いた瞬間に真剣と判る
のだが、中村錦之助は実際に小舟の中
で真剣脇差を振って櫂を削る。
揺れる小舟の中で真剣日本刀を振って
実際に櫂を削っている。
現代時代劇ではまず撮れないシーンだ
ろう。
原作者の吉川英治の日本刀に関する
見識の低さを指摘した日本刀研究者
である岩崎航介氏に対し、吉川英治
は、1930年から新聞連載中の小説
『宮本武蔵』において岩崎氏をこうる
さい研ぎ師として登場させた。岩崎
氏が当時神奈川県の逗子に住んでいる
ことをもじって、「逗子野耕介」と
して登場させ、武蔵に説教するのだ。
そのシーンも本作では出てくる。
ただ、武蔵の刀を見て「見事な備前
物」というくだりが「見事な肥前物」
に本作では変わっているような気が
する。
原作を今確認していないのでうろ覚え
なのだが。
その研ぎ師耕介が武蔵の刀を拝見する
シーン。真剣日本刀だが、鎬幅から
すると備前物ではない。
しかも、刃取りがすごく下手な研ぎ。
研ぎ師が粒砥石でこすり描く刃の
文様がガタガタの山であり、下手
(げて)の研ぎだ。1965年時点の
誰かの研ぎ。
さらに、この金肌拭いの後の刃を
真っ白にする研ぎが宮本武蔵の時代
にあったのだろうか・・・。
焼刃の付近を真っ白に描くのは、明治
以降に写真が発達してから、図録で
見やすくさせるため普及、という刀剣商
刀剣しのぎの新藤氏の説は、当たって
いるかもしれない。
だが、明治以降のその花魁研ぎの蔓延
により、研ぎ氏が描いた白色部分を
焼刃だと勘違いする日本人が明治以降
に爆発的に増えた。
この研ぎにより、本物は何かの存在を
見られなくなった日本人が量産された。
日本全国、どこの茶が美味しいか。
紅茶もコーヒーも産地で楽しめるが、
日本茶もかなり幅広く楽しめる。
なぜなら、一つ一つ味がまるで違う
から。
お茶はこうでなくっちゃね。
信長
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
三武将の性格を表したものとしてよく
言われる後世の創作句だ。
いいものはいい、悪いものは悪いの若者の
山びこの私の場合は、君たち信長君や秀吉
君や家康君とはちょっと違う。
「鳴かぬなら羽ばたき見ようホトトギス」
(東京風味の時のキャラ)
「鳴かぬならこっちが鳴くぞホトトギス」
(関西風味の時のキャラ)
となる。あと八百くらいのキャラか。
固定的になどなってられっかっつーの。
変幻自在のゲル状の魂でないと現代社会
は乗り切れない。