知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~
昼食はヤッキーとシャカチキ。
シャカシャカチキンは揚げ方は良いの
だが、味が薄すぎるのでレッドペッパー
がついて来る。
ヤッキーは相変わらず美味い。
ちょいピリ。
タマネギが利いていて、これはホントに
イケてるバーガーかと思う。
ただ、ヤッキーを食べた後に王道のノー
マルのハンバーガーを食べると、異様に
甘く感じてしまう。
何個かバーガーを食べるならば、ヤッキー
は最後のほうがいいかも知れない。
昼なのに、店内は私入れて3人。
しかも、各人が全員それぞれ店内の角に
座ってる。いくつもの透明ついたての向
こうで、遠い〜。
ま、ディスタンスてのはこうだよな。
俺も、混んでたら入らないもん。
さっきネットニュースでマックが持ち帰り
増大で需要増と流れた。
そうだろね。テイクアウトは定番だし。
実際に私もここ10日で、きょうで3回食べ
てる。
気をつけないと、栄養バランス崩しそう
な感じ。
家では野菜と魚中心だけどなー。
野菜はやたら多く摂取している。
ただ、このご時世ゆえ出不精でデブ症に
なりかけてるので自制必要。
マックのドリンクは野菜生活にしたが、
そんなの気休めだろう。
こんな時だからこそ気を引き締めよっと。
高校生だった薬師丸ひろ子が特設壇上に
立っただけでこれ。
もうね、革命前夜の決起集会なのかと(笑)。
映画作品以外メディアに俳優を出さず、
ちら出しイベントにより全て集客する
方法を角川は続けた。
東京競馬場と阪神競馬場で映画出演者が
同日乗馬宣伝イベントというのもやった。
移動は特別用意したヘリだ。
戦闘物では、本物そっくりな戦車や銃や
未来予想の迷彩服まで作ってしまう。
(その迷彩服のパターンと配色は数十年後
に空自が同系を都市迷彩として採用)
さらに、角川映画は東映配信の角川作品
を松竹や東宝の映画館でも予告させた。
単にノベルズとのタイアップだけではな
い。小説作品の発行権利まで他社出版社
から買い取ってまで角川戦略を実行した。
これらはすべて角川春樹氏一人の力では
なく、東映の宣伝担当者だった凄腕の人、
福永邦昭氏の存在抜きにしては語れない。
角川映画については何かと批判もあるが、
角川春樹氏は、1970年代にテレビに押さ
れて低迷する日本映画界を再興させた立役
者であり、歴史的な功績を残した人である
ことは間違いない。
角川映画なくば、日本の映画プロモーショ
ンは1970年代で終わっていたかも知れな
い。
今、角川戦略のような大仕掛けのグローバ
ル戦略で映画を作る力は日本には存在して
いない。
みんなみみっちくちっこくなってしまって
いる。
韓国映画に完全にこの30年でぶち抜かれ
た。
500人/1日まで感染者が減少したら緊急
事態宣言解除かとの動きに対し、医師会
は、それで解除すれば4月に確実に第4波
が来ると警告している。
以上、ネットニュースと地元新聞から。
その模擬刀はこちら。
前回の刀剣会とMC合同の山梨県での
日本刀鍛錬所合宿では、とにかく何が
一番嬉しかったか。
それは、参加者の中に作り手に本職プロ
とプロ同然が二名いたので、三人でちょ
ちょいと何か食べるもんを作ってくれた
事だ。
それがまた滅法うまかった。
こらがただのイモ?ただのウインナ?て
な程に。
あれはラッキーだったわあ。
やっぱ、プロって違うのね。
昨年は世の中の事情により山梨での合宿
ができなかった。
コロナ晴れの後には実現させたい。
ことしはみんなと再会出来るといいけど
なあ。関東だけでなく、全国から有志が
集まる。
岐阜県関市がアニメ「鬼滅の刃」の主題歌
を歌う歌手のLiSAさんに模擬刀を進呈。
その模擬刀がこれ。
私が手研ぎで付けたマイクロベベル。
「マイクロベベルを落としたから良く
切れる」
とか言っている人は、全てど素人です。
刃物についての知見の浅い素人が広めた
YouTube動画によって、不見識な人が
劣化再生産され、それが増産されている
風潮が現在日本に蔓延しています。
しかし、そうした情況の中でも、大昔か
ら刃物について熟知していた人たちや、
新しい世代の人たちでも識別能力と理知
のある方々は、なぜ最初から工場出荷で
ミクロン単位のマイクロベベルがあえて
付けられているナイフが存在するのか、
理性的に考察もして所見を整理している
人も出て来ています。
マイクロベベルを落としてベタ刃にすれ
さえすれば良く切れるなどと言っている
人たちは本物の刃物のど素人。
そして、自分で適切的確正確な研ぎが一切
できないからそんなミョウチクリンな珍説
を鵜呑みにして信じ込むのです。思考と
科学的考察と検証を無視して。さらには
物理的な原理さえ否定して。
馬鹿馬鹿しくて話にならないのですが、
今の時代、回転数だけ高い動画は全てに
おいて正解を表現しているかと盲信する
「大衆」の多い事、多い事。
危険です。そうした傾向は。
自分の頭で思考しましょう。
ベタ研ぎは切れます。最初だけ。
しかし、チップ(刃こぼれ)やロール(刃まく
れ)を極度に誘発し易くなる。
そんなことは物理的に当たり前の事なんで
す。薄いのだから。
自分の頭で、冷静になってよく考察しまし
ょう。
2〜3回のみ切ったらすぐに研ぐのだ、と
いう人はベタ刃でもいいかも知れません。
しかし、刃物は最初の一刀目から確実に
切れ味は物理的に低下します。
それは、拡大鏡や顕微鏡で見ないと判ら
ない程の微細な刃こぼれやまくれが発生
しているからです。
そのうち刃先は丸まって切れ味がガクン
と低下する。
ベタ刃の場合、最悪のケースではそれが
第一刀目から発生します。
野外で使うナイフなどでは完全にアウト
ですね。
よく考えましょう。
物理的な絶対的事実は、絶対的な事実な
のです。重力がある星では物は星の真ん
中に引き寄せられる、というように。
酸素は物を燃やす働きがある、とうよう
な事は絶対事項なんです。
鉄が炭素を含むと硬くなるとか、鋼は変態
すると原子配列と立方格子が変わるから
炭素の固溶に違いが生じ、オーステナイト
から冷却でマルテンサイト変態させると
鋼は硬くなる、とか。
もう人間ではどうにもできない法則が我々
の知る宇宙には存在しているんです。
薄い物は肉厚のある物より外圧からの
耐性が低い。これこの世の中で当たり前
の事なんですよ。個人の好みなどは関係
ない。
刃物については、よくよく自分自身で
ちゃんと落ち着いて冷静に考えてみましょ
う。
刃物もよく知らない素人さんのYouTube
動画などに惑わされず。自分自身で。
地球が回っているのと同じように、見方や
好みなどは関与しない物理現象として刃物
の切れ味というものは存在するんです。
切れ味ではなく「切り味」というのは別
物。辛いか甘いかというものを切れ味と
するならば、切り味というのは好みの甘さ
や好みの辛さと同じ「嗜好」の問題に属
するものです。人により好みは異なるので
それを数値化はできない。
しかし、刃の切れ味や耐久性というものは
これは物理的な現象なので数値化できるん
です。
そして、その科学的実験による数値は、
人間の好みなどは介在しない。
刃物の切れ味(厳密には刃先の切開力のみ
に限定した切れ味)は、昭和初期に東京帝国
大学の本多先生が試験計測機を作って数値
化に成功しています。
また、どんな刃物も、刃先の切開力だけを
みるならば、刃角15度が一番切れるという
ことも100年程前に判明しているんです。
どんなに鋭利に研ごうが、刃先に微細な
鈍角刃を付けない刃物は、極端に刃持ち
の程度が低下することは物理的に当たり
前。理由は前述した物理原則による。
切れ味とも連動する切り味については、
刀身=ブレード全体の断面形状も大きく
作用します。
被切物に対して、切開するのか切断するの
かで、この刀身の断面形状が物理的に大き
く関わってきます。
刃物というのは刃先は切開力しか持ちませ
ん。
例えば、バナナのような柔らかい物を切断
するとしても、刃物の断面形状が切れ味と
切り味に大きく作用してきます。
本多式切れ味試験機の弱点はそれで、刃先
で紙を何枚切れたかだけを検査する刃先
計測機だったことです。刀身全体で切断し
ていく裁断力は試験できない。構造的に。
刃物については、いろいろ考察してみて
ください。
なんで刃物は切れるのだろう?あたりか
ら。
科学的に答えを導き出せる人は、マイクロ
ベベルを落としさえすれば切れ味向上で
良い事、などという的を外した見識は持た
ない筈です。
さて、これらのボトルのキャップの色は
それぞれ鋼の何℃の温度であり、どれが
焼き入れに適したものでしょうか。
全部温度が違います。
炭素鋼は炭素量に関係なく摂氏※※※度の
A1変態点以上に加熱させないと焼きは入
らない。
また、加熱上昇時と下降時ではr変態点に
ズレが生じる。
さらに、焼き入れの冷却水は、水の場合に
は※※℃以上だと焼きは入らない。マルテ
ンサイト変態せず、残留オーステナイトだ
らけになる。
そのため真水では※※℃前後のぬるま湯に
するが、そこに促進剤を添加すると、適切
な温度領域を変える事ができる。
炭素鋼の焼き入れでは、最初に速く、後に
徐々にじんわりと冷却する事が冶金学的に
は最適なのだが、真水ではその扱いに苦労
する。湯温の管理だけではなく、その湯が
どんな湯であるのかが極めて重要になる。
なお、油で焼き入れする場合には、※※℃
以下の油温では焼きが入らない。
刃物に適切な硬度と靱性を得ようとする
ならば、冶金の理に適った事を実行しない
と刃物は出来て来ない。
そして、科学が発達する前は、それらの
科学的合理性を鍛冶職は経験と技法の
伝承により完全把握していた。
これは刀鍛冶だけでなく、どんな鍛冶職で
あっても、刃物鍛冶ならば硬く粘る鋼に
仕上げる作り方をしていた。硬いばかりで
折れ欠けしたり、柔らか過ぎて刃が立たな
い物では刃物とはいえないからだった。
折れず欠けず鉄が粘って良く切れる。
それが日本の刃物だった。
今、そうした日本の鍛冶職の実体を伴う
技術は、日本刀作家以外の刃物鍛冶たち
に受け継がれている。
日本刀製作者の中でも、刀鍛冶はそれら
刃物鍛冶と同様に本来の日本刀の質性を
持つ刀が製作できる。
だが、「日本刀作家」たちは切れ味や堅牢
性などは二の次、外見コンクールでの上位
入賞のみが目指すところなので、日本刀の
本来の存在的姿などは斟酌しない。関係
ないと根っこでは考えている。
これは事実だ。
何故ならば、作り出した物が全てだから
だ。
見かけだけの美人コンクールのようなもの
にのみ興味がある。
性格不美人だろうが、整形しまくろうが
関係ない。
そんな所に目線の先がある。
本物の日本刀など作れる要素が無い。
阿波の海部(かいふ)てとこはここだよ。
仕事で四国を一周廻る時、土佐高知から
海岸線を徳島市内まで抜けるルートは、
かなり「時間かかる」という印象がある。
なーんもないので、道を延々と行くだけ、
という雰囲気なのだ。陸地であるのに何か
どこかの絶海の孤島のような。
一度、訪問先のお客さんに教えられて、
打ち上げられた死んだ鯨を見に行った事
がある。室戸岬だ。
あの大きな鯨をどうやって除去するのだろ
うかと思ったら、そのままもう何週間も
放置のままだという。かなり強烈な腐臭
だった。
ただ、戦国末期、三好氏も海部刀を所持し
て愛用したと伝わるが、三好は領した地の
うち瀬戸内海側と土佐との国境の山間部に
重点を置いた。
阿波を制したとはいえ、何故太平洋側の
刀工の作を?
備中や三原(尾道)の刀のほうが入手し易い
のでは?
さらに大阪に渡り、三好長慶などは朝廷
を実質押さえていたのだから、いくらでも
京や備前の名刀工作を入手できたのでは。
とは思うが、そこらには何らかの事情が
あったのだろう。
海部刀はよく切れるので知られるが、脇差
が多く、太刀は案外と少ない。
海部刀の脇差には背にノコギリ刃がつい
ていたり、武骨一点張りの拵だったりし
た物も多い。
造作も変わっていて、まるで上古の刀の
ような片切り刃だったりする。あたかも
海賊か山賊が持っていそうな刀剣だ。
ランボーナイフのような。
而して、太刀は古風な大和伝調で秀作が
多い。しかし、数は極端に少ない。
刀身の区(まち)より上に銘があり、その
銘も切るのではなく彫るという奇作も多
く、それはまるで古墳出土の古代鉄刀の
ようだ。
片切刃や刀身銘など、どこか海部には
上古以前の日本の鉄刀鉄剣時代の何らか
の流れの命脈を感じる。
もしかすると、日本の歴史の中で物凄く
古い種族と集団が海部刀工群の実体なの
かも知れない。俘囚の剣との関連性を
研究すれば、何かしら東北の舞草の一族
と線で繋がるかも知れない。
大和伝とは、日本刀の各伝系の中で、最も
古い流れの一つで、古代の奈良に始まる。
多分、最初は「官製」の直刀を鍛えていた
グループだったことだろう。
やがて、他の刀工がそうであったように
時代と共に各地に転じた。
これは、各地の仏教寺院の建立とも関係
がある事だろう。
同じく国内最古級の京都の刀工群も、流の
技法が各地に転じている。
有名な肥後国菊池に住して加藤清正が重用
した同田貫(どうだぬき)の一派も元は延寿
鍛冶であり、さらに祖は京都粟田口派と
なる。
なお、劇画『子連れ狼』で主人公拝一刀が
使用する斬鉄剣は同田貫ではない。胴太貫
(ドウタヌキ)という架空の刀であり、作者
は尾張の清水甚之進藤原信高と劇中に出て
くる。肥後の同田貫(どうだぬき)は一切
関係ないのだが、数十年後のキテレツな
続編では肥後の同田貫になってしまった。
また、続編はめちゃくちゃ破茶滅茶な設定
であり、まるで五味康祐か横山光輝の忍者
活劇のような時代設定丸無視の作となっ
た。「赤影!参上!」みたいな。
やはり、『子連れ狼』は、柳生烈堂と拝
一刀が死んだ時点で終わったのだ。
大五郎も、その後、流行病で死んでしまっ
た、程度に思わないと続編などは読めな
い。これは、別人の別物語なのだ、と。
他人による改変続編ではなく、原作者本人
によるぶち壊しなのだから、救いようが
ないのが続編だ。
戦国末期柳生石舟斎の時代の若き東郷重位
が元禄時代の大五郎を助けるところから
続編が始まる。やめてくれ。
そして、続編では間宮林蔵まで出てくる。
もはやこれまで。読む価値もない。
当然、物珍しさで一部には読まれたが、
第一シーズンのような爆発的大ヒットとは
ならなかった。
理由は明白。
第一シーズン作は、社会現象になった程の
名作であるのだが、続編は史上まれに見る
原作者本人による超絶ウルトラ駄作だから
だ。しかも、金字塔たる第一シーズンの
設定をすべてぶち壊している。
あれ、あかんやつ。
戦国末期、頑丈で大切れする戦場刀は全国
各地で多く作られた。
前述の肥後同田貫だけでなく、豊後刀も
頑丈大切れ物だし、備後三原や備中、備前
も夥しい数の実戦刀を生産した。
また忘れてならないのは、現代の刀剣界で
は低い位置に見下されている美濃の刀で、
もう戦国戦場刀といえば美濃物、という程
に膨大な実用刀剣を生産したのが美濃国の
刀工で、とりわけ関は一大軍需産業地と
なっていた。備前と並ぶ国内最大級の武器
製造地帯。
そして、美濃の刀工も各地の有力大名に
招聘されて全国に散る。特に日本海側に
多く転じた。
さらに、美濃の刀工が慶長以降の日本の
刀鍛冶の基盤を作った。
海部刀は、そうした戦国末期の流れとは
一線を画し、独立した技法様式を地方で
伝えた。
しかし、作域を見る限り、古代の大和の
景色が作には見える。
類推だが、もしや、大和伝とのちに呼ばれ
た大和国の古刀期の刀工群は、いにしえの
ヤマトとのイクサに破れ東北から連行され
た刀工集団、日本刀剣の始祖たる「俘囚の
剣」を作る一族の末裔なのでは。
いわゆる大和、山城、備前、相州、美濃と
いう日本刀五箇伝の中では、大和伝が一番
古い。古墳時代の鉄剣鉄刀製造も朝廷成立
後の上古刀もその大和伝鍛冶集団の先祖だ
ろうが、湾刀との結合は俘囚の剣の存在抜
きには考えられないので、ある時から東北
の湾刀技術が革命的技術として流入させら
れた事になる。これは意図的に、お上に
より最先端技術を導入投入された。
海部の刀工の一族は、そのあたりの頃に
大和伝系が阿波の南端にたどりついたの
ではなかろうか。
古墳出土刀剣のように刀身に銘を彫った
り、古墳時代の鉄刀のように片切刃の湾刀
の日本刀は日本全国海部刀だけである。
なぜそうしたか。
何かの矜持をそこに感じる。刀剣により
訴え、伝えたいいにしえの何か。
それは「血」ではなかったろうか。
超古代の己らの血脈の息吹を刀剣によって
伝えたかったのが海部の刀ではないだろう
か。