人の世の中「悪魔の〇〇」という
ものが結構ある。
悪魔の釣りはフライフィッシングだ。
一度ハマると他に何もしたくなく
なる。ずっとフライのみやっていた
くなるのだ。
友人はトイレに行く時間も惜しんで
ロッドを振りながら川の流れの中で
ウエイダーから尻だけ出して「これ
がほんとの天然ウォシュレット。
ガハハ」なんて言っていた。悪魔に
魂を売り渡している。
音楽ならばJAZZとブルースだ。
これは世間でもよく知られる悪魔の
音楽。JAZZメンとブルーズメンたち
誰もが世間から隔絶してしまうロク
デナシとなるのも、悪魔と取引した
からだろう。
そして、スポーツの世界ではビリヤー
ドが悪魔のスポーツだと断言できる。
玉撞き以外一切やりたくなくなる。
寝て起きて食べて撞いて飲んで撞い
てトイレ行って撞いて、寝る時間を
削って廃人のようになるまで撞いて、
さらに撞き続けて、台の横や台の上
で眠るようにしてまで撞いていたく
なる。現に62才になろうかという
私が18時間連続で撞き続けて、まだ
撞き足りないと感じるのだから、
常人の常識などはとうに葬り去って
いるように思える。
映画『ハスラー』(1961)では
主人公エディは相棒チャーリーと
ニューヨークの老舗ビリヤード場
「エイムス」に初めて入った時、
「静かだな」
「ああ。墓場みたいだ」
「玉台はまるで死体を置く台の
ようだ」
との会話を交わす。
まさに、これは言いえて妙だ。
ビリヤードテーブルは、人間生活
をやめた人間が安置されるような
テーブルなのだ。
ビリヤードの唯一にして最大の欠点。
それは強度な中毒性が他の「悪魔の」
シリーズと同じように強烈な事だ。
フライフィッシングなどは完全に
足を洗わないと社会復帰できない
程だが、ビリヤードも玉狂いという
病症が進むと、重度の中毒患者に
なり、社会性をどんどん亡失して
行く。
その理由は分かっている。
ビリヤードは、それをする限り、
その場のテーブルの周囲の空間
のみ、時間が止まっているからだ。
かつてわが撞球会のウエブサイト
のオープニングアニメのバックに
流れるテロップは「玉を撞く時、
時間は止まる」だった。
まさにそれなのだ。
すべての社会現象や時事や世の中
のありとあらゆる事から隔離して
いる。
ビリヤードテーブルの周囲は魔法陣
のような悪魔が作った空間であり、
そしてそこで人は我を忘れる。
だが、そうした悪魔との取引では、
不思議な現象も発生する。
どんどん心が透き通って清廉になる
のである。
ただし、これは二分化しており、
人によりどんどん心根が腐って
濁っていく人間たちもいる。
一方で、ハートがどんどんクリーン
に浄化されていく人たちもいる。
そうなると、ビリヤードが織りなす
空間はますます悪魔の設えだと
分かってくる。
つまり、ビリヤードは、リンゴなの
だ。食うか食わぬか。
そして、人間は神の言いつけに背き、
リンゴを口にした。それが原罪だ。
撞球こそは人が人として試される
リンゴなのである。
即応の為に自分で交換し始め
た、というのもある。
依頼した玉屋のオヤジの仕上げ
が、天頂部のRが歪んで斜めに
なっており、それをきちんと
R出ししてくれと頼むと、
言い方がどうにも納得がいか
ず、別なタップ交換巧者の
先輩の作業を見させてもらっ
て自分で覚えた。見取り稽古
で盗んで勘所を掴むようにし、
何度もやって研究して技術を
磨いた。
交換したタップを見て師匠は感心
しながら褒めてくれた。
立ちかなと感じた。
ファローだった。その次がTADの
始めた時が交換時期だ。的玉の
スロウのような引きずられ現象が
手玉にヒネリを入れた時に発生し
始める頃。
があり、それを感知したら交換し
ている。
崩壊し始める時期が現出する時
期なのかもしれない。練って固
められて硬くなったコンクリート
が使用限界→崩壊する時のような。
タップにおける皮革のそうした
変化は科学的には私はよく理由
が分からないが、現象としては
プレーヤーとしてそれが感知、
看取できるという現実がある。
よって全て異なり、どれくらいで
交換かとは一概に特定できない。
いていた頃は長持ちするタップ
でも、持っても3週間-1ヶ月程だ
った。
うが、依頼された他者のタップ
交換含めて当然200や300では
全く収まっていない。
2005年以降だけでも50個箱買いの
タップが何箱も空箱になっている
のだから、もしかするとこれまで
の交換回数は千回以上行ってるの
かも知れない。
にできるものではないが、やらない
硬いキューには柔らかいタップが
タップのみが手玉に接触する事
がルール上許されている。
タップはとても大切。
EGO-WRAPPIN'『色彩のブルース』
初めてこの曲を聴いたのは本屋で
流れて来たBGMだった。
衝撃を受けた。
こんな曲を書く奴がいるのか、と。
と同時に、「これは1968年だ」と
感じた。
10年遅れて来た少年は18才でその
世界を「現実として」知ったが、
1968年からの10年の歳月は長すぎ
た。
世の中は変わっていた。
彩りを纏った全ての迸りの現場は、
学内ではなく、特定の場所に集中
していた。
だが、それは考えてみると、学園
から街頭へと向かった67年、68年
の趨勢と同じだったのかも知れない
事に気づいたのは、18才時点から
もっとずっと遥かに後年の事だった。
と思うよ、私は。
実際にずっと2ストに乗り続けて、
ずっとTADを使ってきたとこから
すると。
現実にやってみないとこれの掴み
は分からないかも。楽器の音と
一緒で。
実際に弾いてみないと自分では
分からない。
弾(はじ)くのは男になって
来いと言われる鉄砲玉だけど、
弾(ひ)くのは演奏者。
そして、TAD遣いは演奏者。
How McDermott Cues Are Made
このマクダーモットの工場の
おばちゃん、35年位前のこの
人だ。
↓
McDermott Cue Building
経営が少し厳しくなるとすぐに
従業員の首を切ってしまう米国
企業にあって、何十年もその
会社に勤められるというのは
非常に珍しい。米国企業に終身
雇用概念は一切ないから。
マクダーモットはブラック企業
ではないのだろう。
日本のブラック企業というのは
米国の猿真似をしたんだけどね。
マクダーモットはなんだかそう
いう殺伐した企業体質とは別な
空気を持つような印象がある。
野球でもよく言われるが「重い球」
というのがある。
ボールの重量は変わらないのに
「重い玉」「軽い玉」というの
は一体何なのだ、ということなの
だが、野球ボールの場合は回転
量によるものが大きいらしい。
だが、ビリヤードの場合、回転
数が少ないと野球のように重い
玉になるのかというと、そうで
もなかったりもする。
難しい問題。
手玉の回転数を少なくする芯撞き
をすると重い玉になるのかという
とそうでもない。
イングリッシュを十分利かせて
かつ手玉をググッとゆっくり動か
すのがビリヤードにおける「重い
玉」。しっかり撞いて、手玉を
走らせずに持って行く。
簡単そうで簡単ではない。
ストローク操作の領域に属する
撞き方。
「重い玉」は「転がし玉」の
対極にある撞き方といえる。
なぜならば、転がし玉も芯撞き
だからだ。
キューの操作が両者はまるで
別物となる。
プロやSA級の人たちは完璧に
操縦するんですけどね。その
下クラスはまだまだ甘い。
プロとA級のシュート力はさほど
違いません。違うのは、出しの
完成度。プロやSA(全国大会
優勝経験を持つアマ)の人たち
は、出しを完璧にライン外さず
出して行くんです。だから簡単
にポンポコ入れているように
外見上は見える。ところが簡単
に取れる位置に全部出してくる
のがプロ。
クラスが下がるにつれ、その出し
がどんどん甘くなってるんです。
違いはそこ。
A級でもB級でもC級でもキュー
さばきが巧みな人は大勢います。
プロ&SAとの差は、手玉の出し。
プロは「難球」を作らないんです。
重い玉の成功例。完璧な手玉の
動き方とネクストへのポジション
出し。こういうのが理想形。
重い玉
慎重に狙ったが、赤玉3番への
出しはミスの重い玉。
重い玉 出しミス