渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

Pr Cue ペンレイ・キュー 〜アメリカン・キュー〜

2022年05月15日 | open

Penn Ray Pool Cue

ペンシルバニア州のベンセー
ラム
のペンレイ・インターナ
ショナル
社で80年代に発売さ
れたPrキュー。
日本でいうならば、日勝亭や
淡路
亭、日本玉台等のビリヤ
ード用品
取り扱いメーカーが
販売したキュー
にあたる。
 
何の変哲もないハギ四剣の
キュ
なのだが、これが
使うと、
あらなんと。
る調子が良い。

オールドタイプの四剣本ハギ。

音が格別に良い。
キン!に近い高音がする。
これは撞いていてテンション
上がる。気持ちが引き締ま
る。


とうに会社は売却され消滅。
現在は、キュー製作当時
会社が
あった場所には別
会社が入って
いる。


そこも何だか臨時休業。
コロナの影響かも知れない。






アメリカのここでこのPrキュー
30数年前に生まれた。
 
コンディションはミント。
18山。
見た目は味も素っ気もないが、
性能は申し分ない。
入手してからもうかなり経つ。
もしかするとだが、未使用の
まま
の輸入在庫品だったのか
も知れな
い。ラッカーは黄化
しているが、
キュー自体は
新品のような状態だ
った。
いろんな大技小技含めて、プ
レー
存分に使える良いキ
ューだ。
後ろバランスというのが私好
みだ。
後ろバランスのキューはいろ
んな
事ができる。これは物理
的に。
そんでもって、実際にやる。
やれる。
それはバランスポイントが昔
の標準、
後ろバランスだから。
そして、音が最高!

 
実はこれとそっくりなキュー
1980年代に持っていた。
ハウストーナメントで優勝し
時に貰った賞品だった。
それは都内のある店に置きキ
ュー
して預けていたが、
店が人手に
渡った時に行方
不明になった。
プライベートキューラックの
置き
場には名前表示がなかっ
たので、
誰のキューか分からなかった
だろう。そのキューはほと
んど
使わずにケースに入れて
持って
行ってたキューを使っ
てたので。
他に別な店に預けていた別な
キュ
ーは、その店舗では名
前表示管理
をしていたの
で、店を閉じる時に
マスタ
ーが連絡をくれた。
あれは
良い店だった。中野の
パチンコ屋さんの二階。一度
店は閉じたが、その
、再び改
装開店したようだ。その時回
収したアダムの87-9Sのキュー
は、フォアアームのみ使用し
たコンバージョンを製作して
Luke No.6となった。これは
2006年から暫く私のメインキ
ューだった。


80年代当時、ハウストーナメ
ント
賞品キューはかなり
獲った。
自分で使う物以外はすべて手
放し
た。
このPenn-Ray Cueは、かつて
行方不明になった私のキュー
にとても似ている。
国内では使用している人をあ
まり今は見ないので、普及品
ラインのキューだったが、あ
る意味レア物。


四剣物はどうしても似て来る。




 

バラブシュカ・オリジナル

2022年05月15日 | open
 
アダムの日本製低価格コピー品では
なく本物のジョージ・バラブシュカ
の実物。
日本刀の古刀と同じで、コンディシ
ョンが良くレアな個体の金額は天井
知らずだ。
といっても2000万円位。日本刀の
ほうが高い。先頃転売された古刀の
山鳥毛などは5億円だった。
 
オリジナルのバラブシュカは実に
良い。やはり、本物は本物だ。
 
アダムのコピー品なら持っている(笑
だが、笑えないのが性能。
最初から標準で虎目シャフトが
付属していて、そして撞球性能は
とてもいい。良いキュー。
アダムは同一モデルでも当たり外れ
がかなりあるのだが、私の個体は
アタリだった。ラッキー。

シルエット

2022年05月15日 | open






広島のおいしい牛乳

2022年05月15日 | open




これはクセなくて実においしい。
東京で学生の時に友人からすすめ
られて食べたヨーグルトが格別に
うまかった。
なんだこれ?とか思ったら、それ
が広島のチチヤスヨーグルトだっ
た。
広島は工業立国かと思っていた。
東京生まれのハマ育ちなので
広島の事はよく知らなかった。
国産ヤスリはほぼ広島県産だし、
全国の学校の給食の金属お盆も
すべて広島産だし、他にも多数。
なので工業国かと。
広島県が実は岡山と並ぶ酪農王国
である事は、ずっと後年になって
から知った。

チチヤスの牛乳、おいしい。
妙なコクもない。
何というか、ど真ん中のスタンダ
ード、という感じ。
これ、結構大切。
うまし!広島の牛乳。

関東ならとつぃぐぃの牛乳がうまい
すよ。
バーチはピーナッツととうもろこし
が最高にうまい。
東京は・・・練馬大根かな(笑
いや違う。目黒のサンマだ。



警官ノーヘル事件

2022年05月15日 | open









バーチ県警は警官のノーヘルだめ
なの?
神奈川県警ではOKなのに。





若いゆとりのトロいのがやらかし
ただけのような気もするが、もし
かすっとニセ警官なんじゃね?
これなんかもさぁ。本物は「ち」で
なく「つぃ」だもん。
こりゃ間違いなく偽警官すね。




ハマの今昔

2022年05月15日 | open

現在のハマ。

文明開花の明治初期の大桟橋。


今の山手から港を見る。


横浜。


明治西洋建築どこでも似てる。
これは明治14年の廣島縣御調郡
三原町。二層の櫓は解体された
が、まだ城壁は解体されていな
い頃。城前には西洋建築が並ぶ。


あなたの心に(1969)

2022年05月15日 | open

中山千夏/あなたの心に(1969年)



ちなっちゃんである。
1948年生まれ。
ロケは日比谷公園だろう。
まだ松本楼が71年沖縄デーで焼き
討ちに遭う前の日比谷。
私の時代、70年代も日比谷は主要
な集まりどこだった。
この69年頃の中山千夏はタイムリー
に見て来たが、私はどうしてもこの
頃の彼女が白いイメージに思えて
しかたない。本当の真っ白は新谷
のり子だったのだが、中山千夏の
印象は白だ。私のとこは赤から銀
になったが。元々は赤の赤、赤の
中心で60年安保を領導したのに
安保敗北で組織崩壊後に関西派と
意見が割れて、さらに68年3月に
訣別分離した。永遠の別れだ。
折角、67年にsect No.6を中心
何とか再建に漕ぎ着けたのだが、
やはりそれは同じブンぶく茶釜の
中でも呉越同舟だった。

なぜ中山千夏に白の印象があるか
というと、私の11才上の西南大の
白のよく知る女性がちなっちゃん
に印象がとても似ていたからだろ
うと思う。顔は香坂みゆきなのだ
が雰囲気と髪型と人柄の印象が69
年頃の中山千夏そのものだったのだ。
それですね。
純粋な人だった。
なので、69年時点でタイムリーに
中山千夏を白の印象で見ていた訳
ではなく、後年の印象の脳内追加。
でも、こうした「ぽい」という印象
は脳内妄想なのであまりよくない。
中島みゆきにしてもまさかのファ
シストZであったとかの真実は、
彼女の印象からは全く見えないし、
多くの一般大衆は知らない。
ただいえてるのは、白がなぜあれ
程に数が多かったかというと、白
は青に近いほど大らかで大衆的に
ウケてたというのがあったから。
52年前あたりまでのかつては。
本来は赤がトロに入って割れて白
とZが分裂して骨肉の争いになった
のだけど、白には赤の血が入った
為にゴリゴリのセクト主義ではない
大衆運動主義的な性質も強かった。
まだ60年代は。
実際には白の中心に居た人から実
態を聞くと、やはりえげつないと
こであって、それは完全大衆運動
主義の赤や青とは全く違っていた。
白はやっぱり権中核納だったのだ。
それでも、やはり60年代末期の象徴
は、無論Zでも黄でもなく、白赤青の
三派だったろうと思う。

今回、かつて業界にいた人たちに
しか解らない話題。

キャベツ

2022年05月15日 | open

昨日家で出た焼きそばが滅茶苦茶
うまかった。
これはですね、キャベツの味の違
いです。
キャベツによって大きく味が変わ
る。
キャベツというのは個体差すごく
あるよね。塩シャケみたいに。
シャケも一尾ごとに全部味が違う。
個体差ありすぎだろ、てな魚が鮭
なのだが、野菜の中でもキャベツ
の当たり外れはかなりある。
今回、とても美味しいキャベツで
した。
結果、いつもと同じ麺、同じ作り
方なのに味が格別にうまかった。




北の国から

2022年05月15日 | open


昨日の北の国から。
風の強い午後だったそうだ。
台風の後の雲みたい。
そして光が織りなす文様は、
それはまるで刀の刃文だ。

アメジャン

2022年05月15日 | open





ハマ颯

2022年05月15日 | open

横浜在住時代の20代、週末などに
店で朝まで玉を撞いたら、店の閉
店後によくママがベンツで海が見
える丘の上の家まで送ってくれた。
帰る方角が同じだったからだ。
ママさん滅法美人だった。
落ち着いているのでかなり年上か
と思っていたら、私のほんのいくつ
か年上なだけだったので驚いた。
可愛い系の美人だった。女優さん
みたいに。というか、女子アナみ
たいな雰囲気。
1980代当時、なぜかビリヤード
関係は美人や可愛い女性がやたら
と多かった。
あれは一体なんざましょ。

そのプールバーのママといて感じ
たのは、「あ、この人、ハマ颯だ」
という事。
爽やかな人だった。