





これは嬉しい。






















映画『道頓堀川』(1982年公開/
松竹/深作欣二監督/原作宮本輝)
から。故渡瀬恒彦さん演じるワタ
ナベ。関西で一番の裏世界の撞球
師という役どころだ。
渡瀬恒彦さんは1944年7月生まれ。
この作品公開は1982年で撮影時
渡瀬さんは36-37歳だ。36歳にし
てはおっさん臭いのだが、これは
映画の舞台設定である1980年代
初頭の現代劇の時代には、普通に
36-37歳といったらこのような
おっちゃんだった。今のような
小学生や中学生がそのまま年取っ
ただけのような36歳=中年など
いなかった。
30過ぎてキャップの帽子を斜めに
被ったり半ズボンはいたり、最近
のはアメリカの真似してるのか
よく知らないが、外見だけでなく
中身も子どもみたいなのがとても
多い。
まあ、渡瀬さんは当時の実年齢なり
の役どころを表現していた。
ワタナベのプレーを見守る政夫
(佐藤浩市)と邦彦(真田広之)
は、同級生の役で、この1982年
時点で19歳、邦彦は大学2年の役
だ。
この二人は私と同い歳の1960年
生まれの同学年で、1982年時点
で大学2年というのは、この作品
がほぼタイムリーに同じ年代の
人間を役の中で演技させている
という脚本になっている。深作
監督の手によるものだ。原作は
戦後の話。
この二人は、1980年代初期当時
の19歳~20代前半の若者の髪型
や服装をしている。「現代劇」と
して撮影されていることが看取
できる。
余談だが、この映画作品で出てくる
いくつかのビリヤード場はすべて
スタジオ内に造られたセットである。
私は大阪に赴いて探しまくったが、
見つからなかった。見つかる訳がな
い(笑)。すべて松竹の撮影所だ。
ウルトラリアルな造り込みで、当時
の少数台数を置く「玉屋」の雰囲気
を出している。セットとは思えない
ほどだ。
そうした映像技法の演出に観客は
やられてしまう。
主演の一人の山崎勉さんは武内鉄男
という往年の撞球師の役どころだ。
政夫(佐藤浩市)の父親役である。
山崎さんは1936年生まれ。
この映画が撮影された1982年は
45歳である。
うっそ!この時の山崎さん、どう
見ても60歳過ぎのおっちゃんに
しか見えない。
隣りを歩く真田は当時21歳であり、
私と同学年で着ている服や雰囲気
も同世代の若者をそのまま表現し
ている。
だが、山崎さんは、山崎さんが老け
ているのではなく、役どころをこな
し切っている、というところを俳優
の演技力のキモとして見ることがで
きる。
だが、24歳の時に政夫が生まれたと
すればこの役どころでも45歳設定
ともなるのであるが、この時には
たぶん50代後半の設定どころの役の
こなしなのではなかろうか。
このシーンの時点(1982年)で45歳
であるとするならば、「昭和42年
関西ポケットビリヤード選手権」の
時点では30歳という設定になってし
まう。随分と老けた30歳だ(笑)。
だが、ここで、年数的な脚本の
錯誤が露出してしまう。
玉田ソウイチの孫のユキ(加賀
まりこ)が、玉田が突然死した
15年後に恩人でもあった武内鉄男
の前に現れる。武内に会いたくて、
会って一言お礼を言いたくて、
ユキは武内のそばの道頓堀商店街
にビリヤード場を持ったのだった。
ユキは少女時代に唯一の身よりの
祖父の玉田が突然死してしまい、
浮浪者のようになって身を売り
ながらその日をやっと生きていた
のだった。
加賀まりこさんは1943年12月
生まれ。この映画作品の撮影時
は37歳である。昭和42年1967年
時点で10代後半の少女の役を
演じていて、その時から15年後
という設定がこの映画の時間軸と
しての時代設定となる。
そして、1967年の時点で仮にユキ
が16歳の少女だったら15年後は
31歳、18歳の少女だったら33歳
という設定となる。つまり実年齢
よりも加賀さんは少し若い役ま
わり。
ただし、役どころにおいては、
佐藤浩市、真田広之のタイムリー
な年齢の若者を除いて、役作り
で演技者の年齢がすぐには分か
らなくなっているのが、この
映画のミソでもある。
とにかくこの作品は、役者の演技
が光る作で、それが年齢という
一つの限界性を超える表現になっ
ている。
主役の一人の武内鉄男=山崎努
さんがこの時点での実年齢が45歳
にはとても見えないというのは、
役者の演技力のなせる技だ。
それで驚いてはいけない。
本当の「われ、役者やのう」はこの人。
関西実力ナンバー1の表のビリヤード
選手、玉田ソウイチの役を演じるのは
名優の故大滝秀治(ひでじ)さんだ。
大滝さんはいつの時代でも「じい
さん」役を演じられる個性派俳優
であるのだが、生まれは1925年6月
(大正14年)だ。この映画が撮影
された、このショットの時、大滝
さんは56歳!
今の俺より歳下!!
どう見ても80過ぎのじい様だぞ。
おそるべし!俳優という種族の
人々よ!
でも、吉永小百合さんだからと、
娘役とか若妻役をやらせるのは
どうかやめてください。『北の
零年』は、かな~~~り、苦し
いものがありました。
樹木希林さんは20代の頃からおばあ
ちゃん演技が巧みな人だったが、
それの逆バージョンで、いくら
吉永小百合さんが大昔美人だった
とはいえ、1945年3月の戦時中生
まれの吉永さんが2004年の60歳
のときに20代のシーンを演じると
いうのは、いくらなんでも無理が
ある。
メイクにより老け顔や演技を演じ
ることはできるだろうが、若返る
というのは、FXやCGでない限り
かなり難しいのではなかろうか。
薬師丸ひろ子さんが『バブルへ
GO!!』で「やはり広末涼子さん
のお母さん役というのは出来ない。
私は下ろしてくれ」と悩んで監督
に申し入れたらしいが、この『道
頓堀川』の撮影中には、主演の
松坂慶子さんが、撮影途中でウツ
になり、撮影が中断してしまった。
プロデューサーの織田明氏がなん
とか松坂さんと対話して、どうに
か撮影が続けられることになった
のだが、織田氏は言う。
「男の生理、女の生理があるよう
に、役者には役者の生理というも
のがある。どうにもできないとき
にはどうにもできないのだ」と。
本物たちが一堂に会して己の力を
出す表現芸術の世界は、やはり
世間の一般的な世界とは別世界なの
だろう。
プライベートオフタイムにおいて
も、一切「役者」の立場を崩さな
い田村正和さんは、最後の「役者」
だったようにも思える。
この『道頓堀川』では、「未完」
なり「障がい」なりを持つ者たち
が登場人物のすべてを占める。
この作品ではそうした人々こそが
「普通」であり、そのままの素の
人間として描かれている。
この映画はそうした一般世間では
「未完」や「未達」とされて、
「不完全」な存在として社会から
押しのけられてしまう人々が主人公
たちとなっている。
足が一本動かない犬(原作では
三本足)、狭い芸妓と夜の世界しか
知らない大企業の妾の女性、麻薬
中毒の撞球師、撞球を取ったら
何も残らない若者、絵描きを志すも
己の才能の限界に悩む美大生、
同性愛者たち、売春でしか生きら
れなかった浮浪児、裏世界に生き
る幇間、麻薬中毒者の愛人となって
いる踊り子・・・。
武内鉄男は、そういう「不完全な
人たち」を指して、「皆この道
頓堀に住んでる者は心に寒い風が
吹いている」と邦彦に言う。
そうした、「何一つ不自由のない
人々」の対極にいる人々の息遣い
をこの映画作品は描き切っている。
むしろ戦後のドロドロの世界を
描いた原作よりもドラスティック
に深作監督は描き切っている。
私にとっては、この作は『泥の河』
と並んでの秀作だ。だから100回
近くも観ている。日常的にこと
あるごとに観ている。
劇中の関西弁はまるであきまへん
けどな(笑
出演者で主軸どこでは大阪出身者
が皆無というオハナシで。。。
方言指導をもっときっちりと入れ
たほうがよかったのではないかなぁ。
一応あったみたいだけど、この
ようにぬるいのではなく、ガチ
ガチの船場言葉や河内弁が飛び
交うようなほうがよかった。
一番大阪弁ぽかったのが雀荘で
邦彦をどつきまわすヤクザだっ
たりして(笑
意識背景の原点はこれ。
コルトガバメントのようなフル
シールドスライドではなく、銃身
露出タイプの銃を好む原点はこれ。
これが意識の刷り込みとしてある。
まあ、なんてのか鳥さんがヒナ
の時に初めて見た物を親と思い
込む刷り込みみたいなもん。
望月三起也先生の人一倍のウッズ
マン好きは赤木圭一郎の影響だと
ご自身が書かれていた。
私のウッズマン好きは望月先生の
『ワイルド7』に始まり、『秘密
探偵JA』に立ち戻ったものだが、
原点はフジアキコ隊員のこれだ。
ウッズマンがオートマティック
ピストルでは世界一造形が好み
である。
世界に一丁のみの世界初の一品。
ウッズマンのガスブローバック
モデル。ワンオフ製作。
作動完璧。装弾数6ミリ弾10発。
プールキューにインレイを入れる
ならば、このデザインを入れたい
と思うが、勝手にやったら叱られ
るだろうなぁ。
ハヤタ隊員(黒部進さん。本名吉本)。
この胸のバッヂは通信装置だった。
携帯電話などは地球上に存在
しなかった時代、こうした小型
パーソナル通信機器は夢の夢の
世界の事だった。
ウルトラマン(1966年7月-1967年4月)
は私が幼稚園年長組から小学校入学
直後までTBSで放送された。
タイムリーに観ていたのは私のような
1950年代生まれの世代だろう。
ウルトラマンから変身物が開始された。
当時の円谷プロの特撮技術は世界一
で、世界中の映像制作者に大きな
影響を与えた歴史がある。
ウルトラマンという名称はハヤタ隊員
が思い付きで命名した。
ムラマツキャップから「あの宇宙人
は何なのだ」と言われて「そうで
すね。ウルトラマンとでも言って
おきましょうか」とハヤタがアド
リブで隊員たちに怪獣退治の現場で
言ったのだった。(第一話)
ウルトラマンが放送される前、
番組キャンペーンで劇場で公開
紹介企画があった。大観衆。
そこで司会者がムラマツキャップに
質問する。
「今、自衛隊とかいろいろ騒がれて
ますが」と。
ムラマツ(小林昭二さん)キャップ
は答える。
「いえいえ。私たちはそういうの
とは一切関係ありません。あくまで
怪獣退治で地球の平和を守るのが
我々の役目です」と。
自衛隊=日本帝国軍の再軍備と
社会認識があった時代を反映して
いる。まだ自衛隊の合憲判決は
出ていない。戦後に訪れた平和
日本の中にあって、朝鮮戦争、
冷戦開始、ベトナム戦争という
米国の世界覇権確立戦争に日本
が加担して軍国主義化している
事への不安を国民が募らせていた
時代が1960年代だった。
日本は新憲法が公布されて軍備
はこれを永久に放棄するとある
のに、朝鮮戦争を機に警察予備隊
から保安隊、そして自衛隊という
軍隊をなし崩し的に保有した。
これは明らかに国防の為ではなく、
米軍の後方支援と国内の武力統治
の為であったことは歴史的に明ら
かだ。災害派遣で活躍する今の
自衛隊とは違っていたのだ。
その銃口は侵略者へ向けるのでは
なく、国民に向けるために警察
予備隊は設置されたのだった。
そして、日本国民は馬鹿ではない
のでそれに気づき、再軍備に対し
て反対を唱えたのだった。
1960年の安保改定反対闘争では
「国論を二分する」と言われたが、
国民の8割以上が安保反対だった。
そして、民衆の意識は大方が「戦争
反対」であったのだ。国会における
保革の対峙体制=55年体制の確立
も大きくその背景としてあった。
現代のネットやる奴全員ネトウヨ
迎合大集合の世の中とは大きく違い、
国民は意識として民主主義と平和を
求めていたという紛れもない歴史が
日本にはあったのだった。
それは1960年代までの時代背景と
しては「平和ボケ」ではなかった。
そうした揶揄概念は一切該当しな
い。そういう観点では、戦後から
1960年代末期までの国民意識の
姿を捉えられないし説明がつかない。
ウルトラマンから始まった。
地球を守る者たちの物語が。
それは軍隊とは異なる組織、科学
特捜隊として設立されていた。
これは近未来を描いたSF物語
だった。
だが、ウルトラマンにしろウル
トラセブンにしろ、空想活劇
ながら反戦平和への箴言が多く
含まれていたのは、それは沖縄
出身の脚本家の心根と日本が
負ってきた歴史、負の歴史への
自己検証という含みを大きく持っ
ていたのがウルトラマンの作品
だった。
深いのである。
ドキューン、バキューン、ドカーン、
ギャオーでヒャッハー!アメリカ
最高!世界最強だぜ!のような
ドラマとして存在した作品では
なかったのだ。人間社会の悲哀を
描いた作品としてあった。
ジャミラ編なんてのは涙無くして
見られない。
私よりもずっと後の世代たちにも
ウルトラマンは大人気だった。
個人的には大人のドラマである
ウルトラセブンが最高に好きだ
が、モノノハジメはウルトラマン
だ。ウルトラQシリーズの中に
ある一編として造られたウルトラ
マン。
後代の人たちにも人気がある。
甘い。甘いぞ爆笑問題。
揃えたのは衣装さん、着付けは
メイクさんだろうが、その彼ら
もまるで甘い。
これは科特隊の衣装でも着付け
でもない。ネクタイ太すぎだし。
タイの色がまるで違うのもトホホ
だが、爆笑のはネクタイの結び方
がまるでなってない。
ウインザーノットには結ばないん
だってば。
ハーフウインザーだ。
ムラマツキャップなどは明らかに
フォアインハンドで結んでいる。
これが1966年時のスタイルだ。
この後、1960年代最後の年の1970年
大阪万博のあたりになると、ウイン
ザーノットが大流行となり、さらに
70年代に入るとそれが主流になった。
だが、私はドデカ結びはクソださい
と思っていたので、70年代の高校
時代の学校の制服のネクタイはフォア
インハンドで回し締めするだけで
結び部分が細く締まったスタイルに
していた。
そのスタイルは70年代当時としては
「古臭いスタイル」とされていたが、
流行に流されてコロコロ変えるほう
がダサいと私は思っていた。
やがて80年代に入ると、カッコマン
たちによって復活し、舘ひろしさん
などはそういう結び方しかしない
スタイルを映像で見せていた。
これは、あえて世間の流れに対抗
するサブカル的レジスタンスの
スタイル、スタンスであり、それだ
からこそ彼らはカッコよく見えた。
流行にホイホイ乗るのはクソださ
なのだ。
ベレーのかぶり方ひとつにしても
そうなのだが、「ただ同じような
衣装を着ればよい」というもの
ではない。
再現とはそうした事とは別次元に
ある。
これは換言すると、それをやる者
が表現者であるか否かに関わる。
意識の問題。コスプレともまた異
なる次元の問題。
なんであれ、被服を着こなせないの
はくそダサい。
これは何もファッションとしての
服装だけでなく、本物を真似して
演じる演技でもそうだ。
剣の達人の役なのに刀の扱い方が
てんでドシロートの役者の演技など
は、もろにこのクソダサに該当する。
漫画でもそう。
銃器を描いているのに、シングル
アクションリボルバーのシリンダ
がスイングアウトしたり(ドーベル
マン刑事)、右にスイングアウト
したり(ワイルド7トリビュート)、
バイクのハンドルがスイングアーム
から伸びた筒がハンドルだったり、
そういうのはやってる奴(描いて
いる人間)のやり方や姿勢がクソ
ダサなのだ。
田舎のおっちゃんが普段の野暮っ
たい野良着でいてもダサくはない。
それが本物だから。
だが、どうだ、本物ぽいだろ、と
いう姿勢を見せる連中が大滑り
の的外しであるのがクソダサで
あるのだ。漫画の「ちょろいもん
だぜ」が典型。ど真ん中直球の
クソダサ。
世間で一番判りやすい例がベレー
帽のかぶり方ね。
シンメトリーを崩すというベレー
の基本、根幹について無頓着で
大抵はキノコ形にしてしまう。
ミリタリーベレーは着装規定が
あるので、特にミリべレを被る
物を知らない、よく観察しない、
どうでもいいと思ってる連中が
ベレーをまともにかぶれない。
ミリべレではないファッション
ベレーでも、ベレーについて
よく知らない無知のままかぶる
とトンデモになる。
結局は、本質に迫る努力を全く
放棄しているのに「どうだ」と
いうあたりでいい気になる。
「僕たちの自由じゃないか」と
いうこれまたクソださ僕ちゃん
の自己中振りまいて。
そういうのが「ダサい」という
概念のズバリそのものなので
ある。
そして、生き方もクソダサという
のがある。
有体に言えば、「ビッと」して
ない奴なのだが、説明のしよう
がない。
説明しても理解できない人間は
絶対に一生理解できないからだ。


