渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

多摩川 〜東京〜

2023年06月08日 | open





東京なのにいっなかぁ〜(笑


東京の多摩川沿いは実は住宅が
びっしりだ。
でも眼前はこれ。


河口付近ではなく、23区を外れ
都下の市部の流域でこれ。
多摩川でけえ。
山梨から東京・神奈川を貫いて
東京湾に注ぐ。
多摩川沿いは、二子玉川や田園
調布界隈は高級住宅地だが、
少し上流の府中競馬場や競艇場
のあたりもとても環境が良い。

多摩川沿いの都内の住宅街の道。
いいね〜。
敷石は無くとも、どこもこんな
感じ。
いい感じの街並みがずーっと
続いています。


新聞紙による紙薪

2023年06月08日 | open


これね、かなり役に立ちますよ。
1980年代ごく初期。新潟県の
柏崎の浜辺キャンプ
した。かなりの大集団でバス何
台もで出かけて、浜辺で泊まり
がけのブッシュクラフトをやっ
た。

その時、この紙薪作って使った。
かなり、というか、まじもんで
凄く使えた。
焚き付けにも新聞紙。
捻りこよりの新聞紙。
包装の包みにも使える新聞紙。
真剣での試し切りにも新聞紙(笑
バイクで寒けりゃ胸とお腹に
新聞紙(笑
新聞紙は便利です。

【費用は0円】ただの新聞紙でつくれる「紙薪」がまさに神アイテムだった

【費用は0円】ただの新聞紙でつくれる「紙薪」がまさに神アイテムだった

【警視庁警備部災害対策課】ツイッターの指南ワザ第3弾は、新聞紙で作る「紙薪」!紙なのに火持ちバツグン、高火力、しかもタダ!粘土細工感覚でカンタンに作れます。もう高...

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ライディング

2023年06月08日 | open
 


先日、雨続きのところ間隙を
縫うように晴れた。
オフと重なったので、整備して
久しぶりにライドした。
全て快調。
マイアイアンホース。
マイベストバディ。
 
そして、俺はまた旅を続ける。
いつか故郷に出会う日を
きっと信じてドアを出る。

 
 

ハイスピード鋼

2023年06月08日 | open

ハイスピード鋼は何故廃れちゃ
ったんでしょうね。
他にもっとナイフに適切な鋼材
が開発されたからかな。
結構好きなんだけどな、ハイス
鋼。

工作野営=ブッシュクラフト

2023年06月08日 | open



地面付き住宅に住んでいるなら、
庭先でも工作野営の楽しみが味
わえる。


だが、本格的な工作野営=
ブッシュクラフトとなると、
やはり本当の野外フィールド
でないと得られないものがあ
る。
ただ、庭先ブッシュクラフト
でも、道具のテストなどは十
分にできる。

(山間部野営による焚火)




私が信頼を置く野外活動ナイフ。


軽装備としてはモーラが便利だ。


私は、ガスバーナー等を使って
火を熾し、豪華なブランドキャ
ンプ用品を並べて機器で音楽を
かけたりして過ごす道具自慢の
ようなバーベキューやその系統
の「キャンプ」やグランピング
のようなものは、好きではない。
それは、喫茶店の屋外オープン
テラスと変わらないと感じるから
だ。
キャンプにしても、私の中では
ザックを背負い、山を登り、沢
を渡り、薪を割ってテントを設
営し、そして水を確保して火を
熾すのが私の中での「キャンプ」
という概念がある。
子どもの頃から父に連れられて
行ったキャンプとはそのような
ものであった。

1972年小6の8月。埼玉県の武甲
山という山に初めて行った時。
東京文京区生まれ育ちのイトコ
兄と幼馴染と私。
赤いシャツが私だ。青い帽子の
1学年上のイトコの兄キは4年前
の5月に病気で亡くなった。
スズキサンパチと500Eをこよ
なく愛していた。限定解除だが
サンパチ好き。
GTサンパチは仮面ライダー1号
本郷猛が普段乗っていた(笑)。
みんなよく日焼けしている。

渓流の岩からここがライムスト
ーンリバーであることが判る。
棲息魚の摂餌に特性がある。
当時はフライマンではなかった
ので、それは知らなかった。

鉄道の駅を降りてからは、ひた
すら徒歩だ。虫捕まえるの図。

小さな頃からザックを背負って
来た私と、あまり野外活動の
経験がない子のザックの背負
い方の違いがよく判る。
私の場合は、重たい物を上に
隙間なく納めて、背中とザック
を密着させている。だらんと下
側にはショルダーストラップを
垂らさない。
キャンパーのザックの背負い
方は、歩兵の行軍背のうの背負
い方と共通している。
この写真の年、まだベトナム
戦争は真っ只中だった。

この時、初めて国鉄の熊谷駅
という駅に行った。
遠かった。埼玉県のそんな奥
まで足を進めたのは生まれて
初めてだった。
そこから少し歩いて秩父鉄道
の熊谷駅から武甲山方面に秩
父鉄道に乗って向かった。
イトコは中1にしては幼く見
える。
私はこの1年後の中1の時には
身長は170を超え、中2で173
超となり背の伸びが止まった。
そして、ヤン坊のロッカーズ
になっていた(笑)。


物心ついた時から、シーズン
にはキャンプに行っていた。
主として父や父が不在の時に
は父の同僚たちに連れて行っ
てもらった。完璧な野営だ。
今でいうブッシュクラフトを
やっていた。
現在は本格登山にガスバーナー
は欠かせないが、軽登山での
野営はもろに誰もがブッシュ
クラフトだった。
ただし、テントは持参する。
コットンの重たい黄色の家型
テントだった。
最近、三角テントは再人気の
ようだ。

武甲山は埼玉県でも親しみや
すい1,300m級の山だ。


里に下りても武甲山の見える
景色は良い。
ちょっと日本ぽくない風景が
私は好きだった。
ちょうど1972年は、うちの小
学校では西部劇とコルトピース
メーカー大流行だったので、
どんぴしゃ(笑)


私にとってのキャンプとは工作
野営=ブッシュクラフトそのも
のだった。
その概念は今でも変わらない。
家族で車に機材を積んで出かけ
て、テーブルを並べてキャンプ
道具を広げて、というのは今で
も違和感がある。キャンプとは
思えないのだ。
まして、グランピングというもの
に至っては、私個人は全否定だ。
なぜキャンプにラグジュアリー
感を求めるのか意味不明。
人はそれぞれだが、私は野外で
の金任せの上げ膳据え膳の屋外
ホテルに泊まる気は無い。


時代変化

2023年06月08日 | open
 


坊主頭の連中だらけの中で坊主
してもちっとも目立たない、
とい
う現実ありの時の図(笑)。
ただ、スキンヘッドというのは
毎日の手入れが大変だと
思うよ。
昔の侍の月代みたいに。
 
バイクについては、昔は先達から
頭部保護のために短髪にはす
るな
と指導されていた。
だから、昔のレーシングライダー
の写真は誰もが髪が長いでしょ?
あれは時代的流行りのヘアスタイ
ルだからではない。
21世紀に入って、坊主頭のライダ
ーが出て来たのには驚いた。
まあ、バレンティーノあたりが始
めたのだろうけど。
ヨーロッパでは坊主やスキンヘッド
ネオナチのシンボルで忌避さ
るという傾向もあるらしいが、
相に変化があったのかな。
 
そういえば、『彼のオートバイ、
彼女島』の原作では、主人公
コオはリーゼントなんだよな。
ミーヨにヘルメット被るならリー
ゼントはやめれば?とか言われ
シーンがある。
リーゼントの音大生?
なんか無理あるなあ。
大林宣彦監督の映画の演出のほうが、
リアルだと思うよ。
高校の時にリーゼントだった奴も、
大学では髪を下げる。
大学でリーゼントにしてたらアホか
言われる時代もあった。
大学でのツッパリ方は、別表現
だ(笑)。
まあ、それも根性入れてないと
死ぬんだけどね。シャレになら
ない業界が普通だったんで。
イツ語で「権力」という名
の情
景が日常的なのだから。
とにかく暴力。暴力学生とい
うレッテルは当たってる。
だからレーテはみんな筋金入り
の気合もんだった。エセでなく
モノホンはね。
横浜国大なんて学食でカレー
食ってた奴が対立セクトに
バールで脳天かち割られて
脳症が飛び散っていた。





この頃の作品以降、竹内力は
安岡力也になっちゃったけ
どな(笑)。


この場所の特定は、向こうに見
える小学校が決め手。小学校
場所が判れば、位置が誰で
も特
定できる。


以前探訪したロケ地巡りでは、
崖崩れ通行止めで行けません
でした。
元々は上に寺があったのだが、
今は廃寺になったのか、裏寂
れた荒れ果てた山道になって
ます。
映画では、坂の上にミーヨの
実家の寺があった設定。
ミーヨの父親は小学校の校長
という設定でもあった。
演じたのは名優田村高廣だ。


2018年までの登り口。


2019年11月の登り口。


こちらの岩子島隧道の上の
旧道から行くルートのほう
がよいかも知れない。
ただし、未踏なので道路状況
は不明。
こちらは第八番熊谷寺の登り
口となる。


東側のの第七番十楽寺の登
口が
復旧したら、またいつか
行ってみようと思っている。
 
人だけでなく、道路も時代に
より様子が一変していたりす
るから、ロケ地探しは難しい
けど面白い。
時空を超えてのオリエンテー
リング。
機動性のあるフットワークの
良い二輪車でそのロケ地を探
して訪ね行く。
オートバイにはこんな楽しみ方
ある。

「このスピードをいかす」
(by 飛葉 on 「緑の墓」

研げば減るのは刃物なり

2023年06月08日 | open


やや研ぎ減りのナイフ(上)と
激減りの常用ナイフ(下)

どちらも初期ロットで実銃と
同じパーカーライジング仕上
げのボディを持つ。
経年変化の風合いは実銃の軍
用銃そっくりだ。

こちらセカンドロット以降の
製品。
こちらもやや研ぎ減っている。
ボディはただの黒色塗装。
ファーストジェネレーション
の製品とは表面処理が異なる。
センターボルトの向きも逆。


刃物は使えば研ぎ減る。
これは避けられないので致し方
ない。
1回の研ぎで身が減るのは僅か
百分のコンマミリ単位の減りな
のだが、それが年月が過ぎると
ミリ、センチの単位で減る。
料理包丁が長年使うと身減りす
るのがよく判る。
どんどん痩せて行く。

「この刀もかなり痩せました」
(『壬生義士伝』吉村貫一郎)