渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

レーシングスタンド

2023年06月28日 | open



レーシングスタンドを見ていて、
「これ、鉄パイプをベンダーで
曲げて溶接して塗装すれば、自分
で作れるんじゃないかなあ」と
思ったところで、ふと気づいた。
「なんで自分で作る必要がある
のよ」
結果、その時に自分用に三つ
買った(笑

あると便利なレーシングスタンド。
1980年代は整備マニアかレーサー
用にしか使う事が無かったが、今
の時代は一般化している。
二輪持ちの人たちは一基程度
持つのはおすすめ。
整備が楽だし、普段の自宅での
駐車保管も安定します。


映像・画像の視覚的幻惑と誤認、そして脳内妄想による犯罪拡散

2023年06月28日 | open



あぶデカ3のオープニングから。

左の柴田恭兵は公称身長176cm。
右の舘ひろしは公称身長181cm。
だがこの映像はどうか。
柴田恭兵の半歩先を歩むカメラ
に近い舘ひろしよりも、後ろの
低い線路面を歩く柴田恭兵の
ほうが明らかに背が高く見える。
謎。


これは映像による視覚的幻惑
だろう。

ネラーが私をどうあっても身長
160cmちょいの人間に仕立て
上げたくて執拗に異様な粘着
しているのとは別で。
実際の私の身長は173超えで
ある。股下は身長とは直接
関係ないが、ゼファーに跨っ
て、両足の踵が地面にベタリ
させて尻がシートから浮く。
足は両膝を曲げて足底を路面
につけてシートに座る感じ。
新型カタナだと両足踵がやや
浮く。
私は中2の初めで身長の伸び

は止まった。小学生の頃から
背は高いほうだったし、中学
1-2年では1970年代初期では
身長173.8cmは全体的には高い
ほうだった。
なのでバスケの部活でもポジ
ションは2年時からレギュラー
でパワーフォワード(旧名零度)
だった。
だが、身長173cm超あたりは
今の
現代社会では日本人男子
平均
よりもやや高い程度だ。
父の身長を超えられなかったと
いう現代人(古いが)では珍し
いパターンだ。
私の父方の家系は高身長で、
180超えの男が揃っていた。
父は175cmで兄弟の中では低い
ほうだった。

ネラーが執拗に粘着して捏造
するように、どうして私の身長
が163cmなの
か意味不明だが、
粘着異常者のネラーは、
よほど
身長にこだわって殊更に
人を
低身長と決めつけたがる
何か
自分の身長について心に
わだ
かまりを持つ人間なのだろう。
「他人を脳内で身長160cm前半
にする事で
優越感を感じる」と
いう質性を
持っている事が看取
できる。
サイコパスの精神異常
者の特殊感性の
質性として。
背の高さなんてどうだっていい
じゃんとは思うが、嘘を真実の
ように執拗に粘着して嘲笑して
広めるそのクズぶりが度し難い。
いくら精神異常者であろうとも。

私自身は自分より身長が高い人
を見ても、低い人を見ても、そ
れは現実がそうであるだけで
何も感じない。あ、そう、位な
ものだ。

だが、そうではない連中もいる
らしい。
嘘を捏造してまでもウサを晴ら
したいコンプレックスに囚われ
ている心の自由を消失している
人間たちが。

私の身長を示す証拠はいくらで
もあるが、真実をここで列挙
しても栓無き事だ。
捏造者は心の底から体質が嘘
まみれだから。
心に致命的な闇を抱えているの
だろう。
そして、脳内で妄想するだけで
なく、現実に犯罪を続けている。

性格悪かろうが良かろうが関係
ない。犯罪は犯罪であり、犯罪
者は犯罪者だ。
犯罪者の温床は潰すべきである。
社会悪でしかない。必要悪など
ではない。そこで犯罪が行なわ
れているのだから。
特定個人の攻撃などは、それ自体
が既遂の犯罪を構成している。
刑事事件、民事事件ともに。
骨の髄から心が汚い人間がその
犯罪者としてコソコソ犯罪を
犯しているが、事態はただ書い
ただけ、では済まない。





小学校のナイター

2023年06月28日 | open
 


夜8時10分。
向かいの三原小学校の校庭で
ナイター設備を使い、地元の
スポーツサークルが練習をし
ている。きょうはソフトボール
か。にぎやかで活気がある。
人の喚声が和気藹々としている。
私の父や父のきょうだいたちの
母校だ。
広島大学附属よりも歴史が古い。
明治初頭に創立された。
隣りの国大附属の校庭はこうし
た事には開放していない。


この住まいは、学校の子どもたち
の朝昼夕の喧騒と、すり鉢状に
なった小さ町の人々の物音が
多く聴こえるから良い。
それ、かなりいいのよね。
人が生きている、という感じが
して。
明け方には部屋から港の船の音
が聴こえる。
景色も市街地が一望できる眺望
は格別だ。
人の息遣いを感じる住まい。
それがとても良い。
 
おぼろ月も今宵は格別だ。

青い光はUFOではなく、レンズ
の反射。
本物のUFOは向かいの山の上空
によく出るが。ほんとよく出る。
それは洋上の佐木島からもよく
見えて、知り合いも撮影してい
る。

なかなか良い月だ。




なんともいえない風情。


小さな城下町三原にもよい景色
はある。
写真右手のレンガ色ぽく見える
のがJR三原駅だ。
明治26年に開通した。
地面が無い土地なので、城の
真上に鉄道を通した。
日本全国でも、そうした敷設は
この三原のみ。駅の位置が城の
ど真ん中であり、駅=城なのだ。
東京も新橋から品川までは土地
が無いので海の上に土手を作り
鉄道のレールを敷いた。品川駅
などは砂浜のほとりにあった。
だが、城の真上に鉄道という場所
は全国でここ三原だけ。
 
風光明媚で、景色は抜群に良い。
私は山の中の一軒家には住みた
くはない。
何も物音がしないような。
私は街がいい。
街に生まれた。街で育った。
それはこの地から遥かに離れた
東京横浜だったが、根っからの
街人(まちびと)だ。
街を離れては暮らせない。
そして、街人はどんなに離れた
土地にいっとき住もうとも、
いずれやがては街に戻る。
故郷が街なのだ。
人々が暮らす街なのだ。
街人は、いずれ街に帰る。

阪神タイガース

2023年06月28日 | open




首位返り咲きとは呼べない苦境。
だが、希望としては阪神vs巨人
で首位争いをしてほしい。
トラディショナルの一戦を。
龍虎という表現だと対中日にな
ってしまうが、そうした双璧と
して阪神と巨人はあってほしい。
阪神は虎徹の切れ味を見せて
ほしい。
虎だ虎だ、お前は虎になるのだ!
というような。
フェアプレーで切り抜けて、漢の
根性見せてやれ!の。


落陽

2023年06月28日 | open



高台の住まいっていいなぁ。
空が近い。
横浜の家も高台で空が近かっ
た。
でも高台でないとこもいい事
もあるし、どっちもどっちだ
よな。


キジバトくん

2023年06月28日 | open


大昔、撃ったキジバトかなり
捌いて食べたが、キジバトっ
て可愛いの。
庭先をポッポと二羽で歩いて
てさあ。
もう食えねえ(笑


カベチョロ

2023年06月28日 | open


マンションでカベチョロ発見。
かわいいぞ。

餌はすぐ横にあるぞ、の図。


古い食器

2023年06月28日 | open


古い小さなフォークだ。
大切に使っている。

ハンドルはマグロ黒檀。

先日、実家に行った時、私が
幼稚園時代のスプーンをまだ
現役で使っているのを見て、
ぶったまげた(笑

古い物も大切に使うのが本当
のエコだと思う。
そして遺し伝えはとても大切
だ。
何から何まで目新しい物に飛
びついて飽きたらポイ、とい
う文化はうちの家系には無い。
だから江戸時代初期から遺し
伝えられた刀も何口(ふり)か
残っているし、殿から下賜さ
れた盃も残されている。
物は物でしかないが、物だから
とポイポイ捨てて次から次に
と新物を買い続ける事には
私自身も全く興味は無い。
かといって、普段和服で暮ら
そうとは思わない。
理由は、オートバイに乗れない
から(笑

仁 最終回 MISIA

2023年06月28日 | open

仁 最終回 MISIA

ここ数十年のテレビドラマ作品で
私は本作品が最高傑作だと思う。
原作を超える映像作品は少ない。
本作は結末で原作をかなり改変
しているが、それが見事な作と
して結実した。
名作だと感じる。
何がよいか。
役者たち一人ひとりの演技が最高
であり、また、CGを駆使した江戸
の街と時代考証とカメラワーク。
すべてが完璧だった。
本当の良作、名作だと思う。
生きている間にこの作品をタイ
ムリー
に観る事ができたのは
幸せだった。

愛する人が突然いなくなって
しまう。
こんな悲しい事は無い・・・。
もう二度と会えない。
このドラマ作品は、原作よりも
人の
心のその調べを中心に描い
ていた。







テレビドラマを観る猫と八重の桜

2023年06月28日 | open



よそ様のお宅の猫もテレビを
観るようです。
うちのと違って、かなり集中
力がある模様(笑

大河ドラマ『八重の桜』をなぜか真剣に見る猫


『八重の桜』は幕末騒乱の予兆
の頃と会津戦争のあたりまでが

面白かった。
明治に入ってからはメロドラマ
みたいになって今一つだった。


八重役の綾瀬さんには、スペン
サーライフルの射撃では是非とも
「反動」を再現してほしかったが、
無反動演技で、それは残念だった。
綾瀬はるかさんはレーザーガンの
無反動銃みたいに撃っていた。

射撃のシーンは頬付けはできて
いたが、反動に関してはまるで
演技になっていなかったのが実
に惜しい。(日本の俳優陣では
銃の反動を表現していたのは
松田優作や石原軍団と草刈正雄
たちだけという寂しさ)
スペンサーライフルは口径.56-56
(0.56インチ56グレイン発射薬)
という大口径ライフルなので、
無反動である訳がないのです。


実銃スペンサーカービンの射撃
Armi Sport 1865 Spencer Carbine.mov

射撃達人のこんな巨漢が撃って
も、どうにか技術と体重で押さ
えこんで
いる感じです。カメラ
目線にしたときに排莢したチン
チンに熱いカートが顔に当たっ
ているのが可笑しいけど。

10年程前の『八重の桜』の番宣
ポスターはめちゃくちゃカッコ
いい。
衣装、装備、ポーズ、表情、どれ
をとっても最高だ。
都内の地下鉄のホームでこのでか
いポスターを初めて見た時は、
思わず「うわっ!このポスター
ほしいよ」と思ったものですよ、
と(笑


大写しのポスターだと克明に
判るのだけど、この上掛けは
生地がただの海棠色(かいどう
いろ=濃いピンク)の
無地じゃ
ないんだぜ。

沙綾(さや)模様が織ってある
生地なのよ。
これはカッコいい。
日本の着物の反物っていいね。
ただの繊維ではない。
そこには日本の美意識の技術が
投入されている。
服自体がすでに芸術的なのが
日本の服だ。
とても粋な感性を感じる。


曙景

2023年06月28日 | open
 

午前4時45分。
三原城下のきょうの朝ぼらけの
あとの曙景である。
 
朝の海。


西方。


江戸期、この坂の途中を東西に
「山之手通」という道が貫いて
いたが、今は無い。
このあたり一帯は旧武家地だ。
目の前の木立は国立広島大学
附属校。
幼稚園から中学まで
がある。
娘が通っていた。家の
目の前が
学校なので通学至便
だった。
元々は明治期は女子師範学校
だった。その以前は城前の武家
屋敷だった。


青い看板の信用金庫の場所が
江戸時代に我が家のあった
場所。西之築出(にしのつきだ
し)の酉之御門を入ってすぐ。
お台場のような海の上の要塞
のような埋め立て地に住んで
いた。
弓術指南番や槍術指南番の屋敷
もある江戸期の住宅街。うちは
砲術屋で会津の八重の桜のうち
みたい
なもん。
 
江戸期の地図等の絵図を見ると
こんな感じだった模様。

 
天正までの家族は諸人に至る
まで全て判っているが、こう
した女性がいたかどうかは
不明。山本さんの場合は特別
だったのではなかろうか。
八重さんは女性の社会進出の
魁(さきがけ)だったからだ。


実際の山本八重さん。
これは明治期の記念写真だ。
幕末動乱時代の東西内戦で
スペンサーカービンを撃ち
まくって西軍兵士を薙ぎ倒し
た時代のものではない。

女性といえども武家であるの
で、武士の刀の差し方と下緒
さばきをしている。この刀の
角度が鶺鴒差し。45度まで
傾けると落とし差しとなり、
武家ではだらしないとされた。
登城時や平時にはここまで刀
を水平にして武士は差した。
だが、敵に柄を取らせぬ実用性
から45度まで傾ける落とし差
しも九州新陰流には残っている。
ただし、「落とし差し」と明確
に伝承している。落とし差しを
鶺鴒であるなどというねつ造は
していない。江戸期から残る
本物は本物を伝える。
一方、ねつ造
新派は出鱈目を
創作する。時代考証も甘い。

上の写真よりやや若い頃の八重
さん。
もっと若い娘時代は、丸顔で
かわい
らしい女性だったのでは。
日本のアニー・オークリーの
ような銃遣いだった。
アニーより20年ほど早い時代
の人。


おばあちゃんになってから。
同志社大学を創立した新島襄
に嫁いだ。
かわいいおばあちゃんだ。
笑顔の新島八重の写真は珍しい。
というのも、昔の人は写真撮影
はかしこまっての撮影であり、
スナップ写真は非常に珍しい
からだ。これが八重さんの素顔
の表情だろう。
なお、男性も女性も武士に爪先
外向けデローンは無かった。
これは武士の所作ごとの一つだ。
爪先開きの直立などは明治期
に西洋式軍隊方式が徹底され
てからの事。武士がいた時代
には武士にそれは無い。