レーシングスタンドを見ていて、
「これ、鉄パイプをベンダーで
曲げて溶接して塗装すれば、自分
で作れるんじゃないかなあ」と
思ったところで、ふと気づいた。
「なんで自分で作る必要がある
のよ」
結果、その時に自分用に三つ
買った(笑
あると便利なレーシングスタンド。
1980年代は整備マニアかレーサー
用にしか使う事が無かったが、今
の時代は一般化している。
二輪持ちの人たちは一基程度
持つのはおすすめ。
整備が楽だし、普段の自宅での
駐車保管も安定します。
あぶデカ3のオープニングから。
左の柴田恭兵は公称身長176cm。
右の舘ひろしは公称身長181cm。
だがこの映像はどうか。
柴田恭兵の半歩先を歩むカメラ
に近い舘ひろしよりも、後ろの
低い線路面を歩く柴田恭兵の
ほうが明らかに背が高く見える。
謎。
これは映像による視覚的幻惑
だろう。
ネラーが私をどうあっても身長
160cmちょいの人間に仕立て
上げたくて執拗に異様な粘着
しているのとは別で。
実際の私の身長は173超えで
ある。股下は身長とは直接
関係ないが、ゼファーに跨っ
て、両足の踵が地面にベタリ
させて尻がシートから浮く。
足は両膝を曲げて足底を路面
につけてシートに座る感じ。
新型カタナだと両足踵がやや
浮く。
私は中2の初めで身長の伸び
は止まった。小学生の頃から
背は高いほうだったし、中学
1-2年では1970年代初期では
身長173.8cmは全体的には高い
ほうだった。
なのでバスケの部活でもポジ
ションは2年時からレギュラー
でパワーフォワード(旧名零度)
だった。
だが、身長173cm超あたりは
今の現代社会では日本人男子
平均よりもやや高い程度だ。
父の身長を超えられなかったと
いう現代人(古いが)では珍し
いパターンだ。
私の父方の家系は高身長で、
180超えの男が揃っていた。
父は175cmで兄弟の中では低い
ほうだった。
ネラーが執拗に粘着して捏造
するように、どうして私の身長
が163cmなのか意味不明だが、
粘着異常者のネラーは、よほど
身長にこだわって殊更に人を
低身長と決めつけたがる何か
自分の身長について心にわだ
かまりを持つ人間なのだろう。
「他人を脳内で身長160cm前半
にする事で優越感を感じる」と
いう質性を持っている事が看取
できる。サイコパスの精神異常
者の特殊感性の質性として。
背の高さなんてどうだっていい
じゃんとは思うが、嘘を真実の
ように執拗に粘着して嘲笑して
広めるそのクズぶりが度し難い。
いくら精神異常者であろうとも。
私自身は自分より身長が高い人
を見ても、低い人を見ても、そ
れは現実がそうであるだけで
何も感じない。あ、そう、位な
ものだ。
だが、そうではない連中もいる
らしい。
嘘を捏造してまでもウサを晴ら
したいコンプレックスに囚われ
ている心の自由を消失している
人間たちが。
私の身長を示す証拠はいくらで
もあるが、真実をここで列挙
しても栓無き事だ。
捏造者は心の底から体質が嘘
まみれだから。
心に致命的な闇を抱えているの
だろう。
そして、脳内で妄想するだけで
なく、現実に犯罪を続けている。
性格悪かろうが良かろうが関係
ない。犯罪は犯罪であり、犯罪
者は犯罪者だ。
犯罪者の温床は潰すべきである。
社会悪でしかない。必要悪など
ではない。そこで犯罪が行なわ
れているのだから。
特定個人の攻撃などは、それ自体
が既遂の犯罪を構成している。
刑事事件、民事事件ともに。
骨の髄から心が汚い人間がその
犯罪者としてコソコソ犯罪を
犯しているが、事態はただ書い
ただけ、では済まない。
夜8時10分。
向かいの三原小学校の校庭で
この住まいは、学校の子どもたち
青い光はUFOではなく、レンズ
なかなか良い月だ。
なんともいえない風情。
古い小さなフォークだ。
仁 最終回 MISIA
ここ数十年のテレビドラマ作品で
私は本作品が最高傑作だと思う。
原作を超える映像作品は少ない。
本作は結末で原作をかなり改変
しているが、それが見事な作と
して結実した。
名作だと感じる。
何がよいか。
役者たち一人ひとりの演技が最高
であり、また、CGを駆使した江戸
の街と時代考証とカメラワーク。
すべてが完璧だった。
本当の良作、名作だと思う。
生きている間にこの作品をタイ
ムリーに観る事ができたのは
幸せだった。
愛する人が突然いなくなって
しまう。
こんな悲しい事は無い・・・。
もう二度と会えない。
このドラマ作品は、原作よりも
人の心のその調べを中心に描い
ていた。
よそ様のお宅の猫もテレビを
観るようです。
うちのと違って、かなり集中
力がある模様(笑
大河ドラマ『八重の桜』をなぜか真剣に見る猫
『八重の桜』は幕末騒乱の予兆
の頃と会津戦争のあたりまでが
面白かった。
明治に入ってからはメロドラマ
みたいになって今一つだった。
八重役の綾瀬さんには、スペン
サーライフルの射撃では是非とも
「反動」を再現してほしかったが、
無反動演技で、それは残念だった。
綾瀬はるかさんはレーザーガンの
無反動銃みたいに撃っていた。
射撃のシーンは頬付けはできて
いたが、反動に関してはまるで
演技になっていなかったのが実
に惜しい。(日本の俳優陣では
銃の反動を表現していたのは
松田優作や石原軍団と草刈正雄
たちだけという寂しさ)
スペンサーライフルは口径.56-56
(0.56インチ56グレイン発射薬)
という大口径ライフルなので、
無反動である訳がないのです。
実銃スペンサーカービンの射撃
Armi Sport 1865 Spencer Carbine.mov
射撃達人のこんな巨漢が撃って
も、どうにか技術と体重で押さ
えこんでいる感じです。カメラ
目線にしたときに排莢したチン
チンに熱いカートが顔に当たっ
ているのが可笑しいけど。
10年程前の『八重の桜』の番宣
ポスターはめちゃくちゃカッコ
いい。
衣装、装備、ポーズ、表情、どれ
をとっても最高だ。
都内の地下鉄のホームでこのでか
いポスターを初めて見た時は、
思わず「うわっ!このポスター
ほしいよ」と思ったものですよ、
と(笑
大写しのポスターだと克明に
判るのだけど、この上掛けは
生地がただの海棠色(かいどう
いろ=濃いピンク)の無地じゃ
ないんだぜ。
沙綾(さや)模様が織ってある
生地なのよ。
これはカッコいい。
日本の着物の反物っていいね。
ただの繊維ではない。
そこには日本の美意識の技術が
投入されている。
服自体がすでに芸術的なのが
日本の服だ。
とても粋な感性を感じる。
午前4時45分。
三原城下のきょうの朝ぼらけの
西方。
江戸期、この坂の途中を東西に
附属校。幼稚園から中学まで
がある。娘が通っていた。家の
目の前が学校なので通学至便
だった。
青い看板の信用金庫の場所が
みたいなもん。
八重さんは女性の社会進出の
魁(さきがけ)だったからだ。
実際の山本八重さん。
女性といえども武家であるの
一方、ねつ造新派は出鱈目を
創作する。時代考証も甘い。
上の写真よりやや若い頃の八重
かわいらしい女性だったのでは。
おばあちゃんになってから。