永ちゃんが住んでる街。
私が小学生の頃、横浜市内
には市電の路面電車と電気
自動車であるトロリーバス
が走っていた。
私は小学3年の3学期にできた
ばかりのバスケ部に入ったが、
その監督教師の引率でチーム
のみんなでサッカーを観戦し
に行ったことがある。
横浜市内三ツ沢の丘の上にあ
る三ツ沢スタジアムだ。1964
年の東京オリンピックのサッ
カー競技場でも使用された国
内最古級の本格球技場だ。
実業団の試合を観た。
新日鉄と読売だった。
先生は「動きを観察しろ」と
生徒たちに言っていたが、バス
ケと似た部分もあるが似ていな
い部分も多く、識別力不足で、
あまり収穫は無かったという
50数年前の記憶がある(笑)。
三ツ沢まではトロリーバスで
行った。
電気バスは池袋でも走ってい
たが、現代ワンマンバスのは
しりだろう。横浜市内でも、
まだ神奈川県中央交通(通称
カナチュウ)の路線バスなどは、
車掌さんが車内で切符を切っ
ている路線もあったくらいだ。
戸塚の原宿あたりのバスは車掌
さんがいた。
トロリーバスはとても快適だ。
排気ガスも出さない。唯一の
欠点は、1台あたりの単価が通
常のバスの3倍(らしい)であ
ることと、発電所と空中架線の
敷設という大工事が必要なこと
であっただろう。
それでも、トロリーバスは
横浜市民と東京都民には愛
されていた。都内では池袋
を走っていた。
発進音はチンチン電車=
路面電車と同じウィーンと
いう音がする。
ガシャガシャしたガサツさ
がなくて快適だ。
その後、大学時代、横浜三ツ沢
のあたりはよくバイクで走った。
あのあたりはとても雰囲気が良く
て好きだったからだ。
山のような小高い丘陵地を大S字
ロードで下る。
かつてトロリーバスが通っていた
ところだ。
高台である新横浜の方面から港の
海抜ゼロまで下る景観がよかった。
港側から登る時には、ちょっと
した峠のワインディング風でも
ある。
ただし、調子に乗って開ける
とブラインドの先が大渋滞で、
ドカーンになりかねない。
ヨコハマよいとこ。
ヨコハマに住んでいて気持ち
が良いのは、空気が淀んでい
ないことだ。
夏でも冬でも、常に明るい
イメージがある。
これは起伏に富んだ丘陵地帯
だからだろう。
自転車乗りには大変な場所で
はあるが、景色景観、流れ行
く風が様々な表情を見せる横
浜は、「遊びに行く街」では
なく、「住む街」だ。
そして、とても住みやすい。
横浜に住む人々は開明的で、
田舎特有の因習めいたいやら
しさもエゲツなさも無い。
無いものは無いので、存在し
ないのである。
ただ一つヨコハマにも欠点が
ある。
それは、ハマっ子がよその地
方の田舎の因習とエグさ全開
の土地に転住した場合、耐性
を持つ育ち方になっているか
というと、それはとても乏し
いということだ。
総じて神奈川県の人間は人が
良すぎるきらいがあるが、因
習著しいえげつない地方など
に転住したら、耐えられない
のではなかろうかという感じ
がする。
「住めば都」それは嘘。
都は都のことであり、地方の
底意地の悪いのが大量棲息し
ているのが「それが普通」と
いうようなところが都ではない。
ヨコハマがいいね。
さらっとしていて。土地の空気
と人柄が。
「いつか君と僕は同じ一線で
結ばれた優しい放浪者だった」
ドラマ『高校教師』(1993年。
全11話)。
私の中で、この作品がここ30年
で一番のドラマだ。
作品の作りと撮影が物凄く丁寧
ということを言うと陳腐になる。
原作者野島伸司はこのドラマを
「ギリシャ神話のようにしたい」
とのことで脚本を書いた。
多くの俳優に出演を断られた。
それはあまりにもタブーとそれ
を超える愛をテーマにした作品
だったからだ。
ようやく決まった主人公の女子
高生の一人二宮繭(まゆ)は
桜井幸子が演じた。
また、多くの女優が断った繭
(まゆ)の親友相沢直子役は
持田真樹が演じたが、鬼気迫る
教師藤村(京本政樹)の演技に
よって、本当に京本を持田は嫌
いになってしまったそうだ。
(20数年後に和解)
主人公の教師羽村は真田広之
が演じきっている。
このドラマはドラマとわかって
いても、切なく悲しい。
悲しいだけでも切ないだけで
もない。切なくて悲しいのだ。
第1話の段階で主人公の教師
羽村のナレーションが過去形
で述懐する形で入る時点で、
私は初回放送を観て「これは
とんでもない不幸劇だ」と感じ
たが、実際にドラマは重く切な
く哀しい展開になっていく。
役者の演技が物凄くいい。
これは役者の力量もあるだろ
うが、監督の手腕が大きいと
思える。
特に主人公の二人、高校2年生
二宮繭の桜井幸子とひ弱な新
任教師羽村の真田広之の演技
が素晴らしくいい。
台詞まわし、そして台詞がなく
とも表情や仕草で心象風景を
十二分に表現している。
桜井さんはこの作品で「燃え
尽き症候群」になってしまっ
たらしく、クランクアップ後
に一年間女優業を休業した。
その後は静かに女優を続けた
が、ひっそりと芸能界を引退
した。
この作品が彼女の演じた作品
群の最高峰だろう。とにかく、
作品が良い。
劇中、多くの伏線と布石があり、
サスペンス要素も多いのだが、
見逃してしまっている人も大
勢いるのではなかろうか。
私はこれまで何度も何度も観た
が、やはり全編の中で一番好き
な登場人物の表情のシーンは、
繭のこの表情だ。
これは、最終話の1話前の回で、
羽村が公園で待つ繭を迎えに
行った時、繭が羽村に気付いて、
公園の砂場で立ち上がって見せ
る表情である。
実はこの表情は、羽村が全く
同じ面持ちで、似たようなシ
ーンで見せる回があった。
どの回かは、ファンの方の
お楽しみということで、全編
をご覧になってみてください。
その時の羽村の表情は、この
最終話前の繭の表情と対にな
っていたのだ。
この二宮繭のこの画像を私は
初めて自宅用に購入したパソ
コンの待ち受け画面にずっと
設定していた(笑)。
だが、最終話前の回でとんでも
ない逆転が起きる。
それはなぜ。
理由は教師羽村が、それまで
はまだ「優しい放浪者」では
なかったからだ。
漂泊者の心は、心の漂泊を持
つ者にしか理解はできない。
絶対に踏み越えられない、絶
対に向こうには到達できない
川が眼前に流れているのである。
だが、その川を超えれば、人
はあちらにいる人の世界に行
ける。
また、作品中、相沢をレイプ
した英語教師藤村(京本政樹)
を体育教師の新庄(赤井英和)
が暴力で成敗して重傷を負わ
せる。だが理由は明かさない。
すべては相沢直子を守るため
だった。
そして、新庄は免職となり女
子高を去っていく。
この去りゆく時に、生徒たち
は新庄を取り囲んで口々に罵
声を浴びせる。
これはゴルゴダの丘に向かう
救世主イェスを重ねて描いて
いる。
全編を通して、目が離せない
描写ばかりで、一つも倦怠感
は感じさせない。
作品としても見事な仕上がりで、
やはり日本ドラマの中での「不
朽の名作」の一つに数えられ
るだけはある。
ただ、このドラマは、「作り
物」ということを感じさせな
い程に、観る者の心に迫る。
劇中で役者が良い演技をして
いる=というよりも役そのも
ので演劇とは感じさせない=
という良い表情のシーンは多
くあるのだが、その中でも
私の気に入ってるカットを数
点のみ並べてみたい。
有名な悲しいラストシーンの
カットはあえて挙げない。
女優桜井幸子は表情がめぐる
ましく変化するので、静止画
像よりも、絶対に作品の動く
映像を観たほうが良い。
それにしても、この作品のス
タッフは、とんでもない大仕
事をしたものだ。
カメラさんと照明さんとかっ
て・・・凄すぎ。
図書館でのシーン。この時の
繭の人形での心の表現と、そ
れを見る教師羽村の心の変化
を表現する表情の変化が素晴
らしい。台詞は一切無しの長
回しワンカットである。
近づいてきた繭と言葉を
交わす羽村。ここのシーン
の心理描写も実に奥が深い。
屋上でのシーン。
この屋上でのやりとりは次
のほんのひと時の幸せの時
間への伏線となって心と心
がすれ違う切ないシーンと
なっている。この時の二人
の演技も凄すぎ。
繭と父の悲劇的な関係を知
った羽村は、父親の下には
繭を置いておけないと繭を
強引に父親と住む家から連
れ出した。
これは、藤村に重傷を負わ
せた新庄が、殴り続けなが
ら「教師の前に人間じゃい!」
と言ったこと、事件後の「俺
が守らんで、誰が相沢を守っ
てやるっちゅうんや」という
言葉に羽村が衝き動かされて
のことだった。
繭を守る。守り抜く。
そうして羽村は父親の暴力に
立ち向かいながらも繭を実家
から連れ出したのだった。
羽村は電車に乗ってビジネス
ホテルに泊まり、繭を部屋に
保護する日々が続く。
羽村の部屋で生活を始めた繭
だったが、ある日、羽村が部
屋に戻ると、繭は姿を消して
いた。「ごめんなさい、ウチ
に帰ります」との書置きだけ
を残して。
その2日前の夜、繭の父親二宮
耕介(峰岸徹)は深夜羽村の
部屋にやって来て繭を取り戻
そうとした。泥酔して窓ガラス
を割り侵入しようとしたところ
を二宮は警察に逮捕される。
その後、その割られたガラス
を繭が張り紙で修繕したカット
が映る。
その絵は、何日か前に私鉄駅に
羽村を送って行った繭が、電車
のドア越しに羽村にキスをねだ
り、羽村がそっとガラス越しに
キスをした時の二人の図を猫に
重ねて繭が描いたものだった。
この絵も、実は最終話の最ラス
トシーンでの悲しすぎる結末の
列車の窓の曇りガラスに描いた
絵の伏線であり、ラストカット
との対表現となっている。絵柄
が幸せそうであればあるほど、
現実との乖離に悲しい定めが
浮かび上がる。
「こんな映画やドラマのよう
なことが現実にはある訳ない
やろ、あり得へんわ」などと
軽く思ってはいけない。
現実世界でもこれとまったく
同じシチュエーションはあっ
たりする。
二人の間にあるガラスは、姿
が見えるのに直接は触れられ
ないという象徴的な存在とし
ても二人の間に立っている。
そして、電車の時にはガラス
の向こうの世界に相手がいる。
割れた窓ガラスの時には相手
は向こう側に絵として描かれ
ているが、実際に自分がいる
のは体と心はこちら側(羽村
の部屋)であるつもりなのに、
真実の「状態」は自分は外の
側にまだいたのだ。
こうした鏡に映るような相手
と自分という姿が真実の現実
であったことに、まだこの時
の二人は気づいていなかった。
良い作品は何度観ても良い。
この作品こそ、映画という
短い時間では表現しきれな
いことまでをすべて表現で
きる時間的余裕があるとい
うドラマの特性を十二分に
発揮したザ・ドラマだと思う。
なぜこのような作品が生まれ
たか。
それは、この作品は、一般
的なドラマとは異なり、撮
影開始前までに最終話まで
のシナリオ脚本が完成して
いたことが要因のひとつと
して挙げられる。通常、映画
のようなそういったドラマは
ほとんど存在しない。
それゆえ、役者は役柄の心情、
心象風景、感情の起伏を充分
に読み込んで演技をすること
ができた。
だから、この作品における役
者の演技は飛び抜けて光って
いるのであるといえる。
機会があれば、ぜひご覧くだ
さい。
15分ごとに止めて別なことす
る、というような形ではなく、
正面から作品と向き合う形で。
ああ、凄かった・・・。
結末知ってるだけに、何度観
ても、最初の出会いのシーン
から泣けてしまう。
悲しい運命・・・。命運は変
えられないが、運命って変え
られる筈なのに。
繭も羽村も悲しすぎる。
結局最後は一つになれたのだ
けど・・・。
途中のシーンでとても気になる
シーンがある。
繭が歩道橋の上でクラスメート
の相沢直子のように嘔吐するの
だ。
それを何も事情を知らない羽村
が横で介抱して抱きしめるのだ
が、繭は羽村に「死にたくない。
先生!あたし、死にたくない!」
と言うのだ。
この時、繭は妊娠していたので
はなかろうか。
その後の展開ではそれを窺わせ
る表現描写はしていないが、物
語の展開からして、私にはそう
した暗喩表現としか思えない。
繭が死にたくないと言ったのは、
自分のことだけではなく、「命」
そのものが何かによって絶たれ
ることへの恐れだったのではな
かろうか。
命という直截なことよりも、
「存在」そのものの消去を彼女
は一番恐れたのではなかったか。
そして、繭と羽村は、いつか
同じ一線で結ばれた優しい放
浪者となるのだった。
「永遠」を手に入れるための
あまりにも悲しすぎる結末に
よって。
だが、人は人を本気で真剣に
好きになることから始めない
と、人と人は決して理解でき
ない。
そして、真実の愛とは、求め
るものではなくすべての外皮
を取りはらって身を挺するも
のだと、この作品は私たちに
教えてくれる。
というと言わずもがなだが、
人には人それぞれの愛がある。
人を愛する愛なき「愛」もあ
る。それも本作品ではしっか
りと描かれている。
ご堪能ください。
(最終回「永遠の眠りの中で」
視聴率33.0%)
新横浜方面から大倉山へ向かう
大S字は、コーナーの途中に信号
があるので、規制速度は50km/h
だが、とても危険。注意。
晴れである。
大学キャンパスも見える。
ここは市内が一望できるのが
40数年程前、ここは最高速
試験場だった(笑)
ない。
160km/h巡行TOB-UPが普通だ
った時代。それとて110km/h
オーバーだ。
したのは1978年からで、それ
まではマル走の集会に出て
路上封鎖の一斉検問で全員
検挙されても、信号無視と
停止指示違反の4点プラス
らば免停にさえならなかった。
だけで2輪が300台、4輪400台
とかが集会をして都内を走り回
っていた。実は4輪のほうが多い。
複数乗る。
号を旗持ちが止めて、環七、
環八、R20甲州街道、山手
通り、R246青山通り、R1
ニコク、R15イチコク、下町
全域の幹線道路を走り回る。
まさにメトロポリタン・サタディ
ナイトの事だった。
うにして完全に止める。
まで。
した時などは、八王子から大井
埠頭まで全コースがノンストップ
だ。
事が都内どこでも繰り返された。
同士で大乱闘だ。
ホンの機動隊がよく出て来ていた。
バイクのタンクをベコベコにし
たり4輪のボンネットや屋根や
ミラーを叩き割って破壊する。
人体に対しては走行運転者目掛
けて警棒を野球バッティングの
ように振り当てて来る。車両も
人体も完全に破壊を狙って来る。
警察が。記録映画にあるような
のは嘘まみれの綺麗事のシーン
ばかりだ。暴力装置はまっとう
に暴力そのものを徹底的に使う。
まさに暴力というものを行使し
て来る。
障」の紙シールを貼って「整
備不良」とする。
に蛇行運転と騒音のみで、別
に商店街に火炎瓶を投げ
りシンナーやりながら走っ
ているのでもない。
恐喝も暴行もやってない。
対立チームと遭遇しなければ、
暴走行為はあっても暴力行為
は一切無い。
轟音が街道でするのだから、
かなり迷惑ではあろう。
しかし、2分もしないで通過
する。ジェット機のように。
は警察だった。
で、検問封鎖付近の住民たちは、
こぞって集団で、「この先、
検問やってるよ!」と道まで
中の後続の少年たちに教えて
くれた。新聞やテレビに書
かれている事と現実は全く
異なり、多くの東京市民たち
は、かつて機動隊にやられて
いる全学連たちを応援した
ように、マル走の少年少女
たちに好意的だった。これ
本当の話。
封鎖して全員一斉検挙の時
もそうだった。近隣住民た
ちは、警察にではなく、む
しろ暴走少年たちにこそ好
の?お腹すいてない?何か
食べる?遠慮なく言えよ、
無理はするなよ、とおっ
ちゃんやおばちゃんたちが
話しかけてくれてた。東京
のジモチーの人たちはそれだ
った。
た。深夜2時は回ってるの
に。
には出て来ない。生の歴史の
裏側の本当の真実だ。
夏の花火合戦はかなり面白い。
かなりの人手になる。
東京都新宿区牛込天神町の
早稲田通りの交差点は、神
楽坂の坂を下って来て、急
激に右に曲がってからすぐ
左に切り返す。
まるでラグナセカのコーク
スクリューの逆のようなレ
イアウトになっている。
二輪車で快速走行で切り返す
と、前後輪のトラクションが
無くなるので、最大に注意す
る。
江戸時代からある道で、穴八
幡宮の参道になる。
今は早稲田通りとなっており、
地下には地下鉄東西線が走っ
ている。
幕末の試衛館道場跡地のそば
である。
早稲田大学からも近い。
サーキットだと、「楽しい」
などという心境とは別物の世界
だが、モーターサイクルの一般
公道乗りは楽しい。楽しむ走り
が公道では可能となる。サー
キットは戦いの場なので、「楽
しさ」はない。「面白さ」はあ
っても。
あくまでもサーキットは真剣勝
負の場だ。
真剣勝負はニヒルな面白さはあっ
ても、楽しさはない。
公道は勝負の場ではない。
だが、それゆえにこそ、そこに
楽しさをもたらす要素も多くある。
楽しさと面白さが合体する。
モーターサイクルで公道を走る
時の「走り」ではツイスティな
ロードが私は一番面白い。
直線は、たとえ速度リミッター
が作動する領域でも、クルージン
グしたら眠くなる。
ライダーの走りが覚醒するのは
ツイスティなワインディングロ
ードにおいてだ。
それは、例え街中であっても。
よくモーターサイクルのことを
知らない人たちは、このような
道がバイク乗りにとって楽しい
のかと勘違いしていることが多
い。
こういうレイアウトの道は
ひとつも面白くない。
超低速定常円旋回でただ回る
道だからだ。
ループロードなどもそう。
スパルタンで軽快な切り返し
ができるロードこそが二輪
ライディングの醍醐味だと
個人的には感じる。
例えるならこんなレイアウト(笑)。
8年程前、バイク仲間の250を
二人乗り運転で走らせた。
彼は3台持っているが、その
うちの1台だ。
奴は元レーシングライダーだ。
ただ、彼は二人乗りの後ろに
乗ったことが一度もないと言
う。まじか。
私は高校時代は2ケツ多用だっ
た。
しかし、やはり、考えたら、
19才以降は人の後ろに乗った
ことが殆ど無かった。二人乗り
してスタンドやステップをすり
ながらも旋回していたのは全て
私が前だった。
そのうちレプリカマシンが出て、
擦った時には転んでいる時とい
う深いバンク角の車になったが。
奴を後ろに乗せる時、私は言っ
た。
「後ろでハングオフしないでよ。
曲がれなくなるから」と。
一度、学生時代に後輩を乗せて
走った時、どうもジャイロみた
いにマシンが変な挙動をするな
と後ろを見たら、タンデムの奴
も一緒にハングオフしていた事
がある。
やめれ。マシン曲がりませんが
な(笑)。
タンデムの時は、後ろの人間は
「物体」になる必要がある。
後ろの人間が旋回でバランスを
取ってはならないのだ。
ただ、加速と減速の時には後ろ
の人間も、ステップを思い切り
踏ん張って下半身で身体を「自
分で」支える必要がある。
でないと、上体を運転者に体重
乗せのようになり、ヘルメット
が運転者にガツンと当たったり、
仰け反ったりすることになる。
タンデムでは、後ろの人間も背
中を丸めてGを処理する乗り方
が必要となってくる。
オートバイに乗るのにはステップ
に踏ん張ったり足裏で掴むような
感覚で操作するのは運転者も後部
座席の者も同じだ。
オートバイはステップで乗る。
どてっと足を載せているだけと
いうのは無い。
で、その250の時、初めて後ろ
に乗るというバイク仲間を乗せ
て走った際にS字に差し掛かった。
ペタンペタンと寝かして切り返
して抜ける時、最初の右コーナー
で彼は「ウホッ!」と叫び、
次の左で「ウホホー!!」と叫
んだ。
自分で運転するのとは異なる初
めての新感覚を体験したのかも
しれない。
恐怖からの叫びではなく、ヒャッ
ハー!状態での雄叫びだったから
だ。
S字を快速で抜ける際にはアクセル
コントロールとクイクックリー
な体重移動のみで走る。
しかし、切り返しの際には前輪の
トラクションが抜け易いので、か
なり神経質に接地感とサスの動き
に注意する必要がある。
基本的にはサスは十分に沈ませて
しっかりと仕事をさせてやる。
また、基本はドリフトもさせない。
パーシャルでダラーッと走るよう
な定常円旋回もしない。
パーシャルは非常に重要な区間
だが、ピューッと走る感じ。
ダラダラさせない。
パーシャル区間をどこに取るか
がとても重要になる。
前輪と後輪を交互に路面に食い
つかせて、トラクションの前後
変化をバランスさせてライン
をトレースして旋回するのだ。
モーターサイクルの一番危険な
状態は、スロットルを開けもし
ない閉じもしないパーシャルの
状態の時で、主に定常円旋回区
間がこれにあたる。
サーキットではほんの一瞬の区
間だが、この時は後軸に駆動が
かからず、旋回Gをタイヤのグ
リップとサスの仕事任せとなり、
ライダーのコントロール制御か
ら離れる区間であるので、非常
に危険なのだ。
だが、極めて重要な旋回区間で
もある。
競技の場合、タイム縮めはパー
シャル旋回速度がどうかによる。
コーナーが速い走りが速い走り
に繋がる。結果的にタイムでは。
しかし、公道ではパーシャル
状態でコーナーをだらだらと
円旋回することが安全運転だ
とか勘違いしている人たちが
大勢いる。
モーターサイクルは、後軸に
駆動をかけている時、もしく
は、前輪にトラクションが集
中してステアが効いている時
が一番安定する。
なによりも、パーシャル状態
は、操縦者の意思を離れたと
ころにマシンが置かれる区間
なので、それこそが一番の危
険因子を構成しているのである。
全開コーナリング以外では殆
どのコーナーでパーシャル区
間があるが、サーキットでは
それをどれほどコンマ数秒以
下に抑えるかということをラ
イダーは考えて公道では実行
している。危険で遅い領域だ
からだ。つまり、パーシャル
旋回区間は速く走る。速度が
速い=短時間、短いという事
だ。距離的な点からの時間で
はない。区間タイムを速くする
という事。コースではコーナー
が速い者が全体タイムも速く、
公道でもパーシャル時間を減
らす事で危険領域滞在時間が
短くなる。
だが、一般公道では、特に峠の
ローリング族などは、加速減速
をせず、同速度でダラーッと
走って単一コーナーを「どれだ
け寝かせるか」という意味不明
で危険なことをやっていた。
そこらあたりが峠の走り屋と
ローリング族の大きな違いだっ
た。
それさえも見切れない解って
ない二輪乗りは、数十年後の今
でも峠族とローリング族の区別
もつかずに一緒くたにして毛嫌
いしているが、両者は大きく異
なる。それは何よりも、マシン
ライドの中身においてまるで別
物といえる。
サーキットとはまるで別物の限
界値が低すぎる公道だが、ロー
リング族は単一コーナーの中の
短い区間では峠族と代わり映え
しないようにも見えるが、コー
ナーが連続する場所である程度
の距離を走ると、全くローリン
グ族は峠族にはついて来れない。
こんなことは80年代中期までの
峠族はみんな知っている。
そして、そんなローリング族が
登場し始めてからは峠には行か
なくなった峠族は多い。
峠族にとっては、峠が危険走行
を続ける「走るパイロン」だら
けになったからだ。
周回遅れ以下の連中が集団で走っ
ているような状態に峠を走る層
が変質したからだろう。
鈍速寝かし込みオンリーの危険
集団が峠を占拠し始めたので、
走り屋は峠には行かなくなった。
実は「どれだけ寝かさないか」が
速さに繋がる事をローリング族
たちは知らない。
ローリング族は速く走ろうとは
していない。「どれだけ寝かせ
られるか」にしか興味はなかっ
た。それを煽る雑誌も登場した
りした。
峠では事故多発となり、通行止
めのロードも増えてしまった。
峠(やま)は軽く流していても面
白い。
そして、快速ロードは、ツイス
ティなS字と中高速コーナーが
連続するワインディングだ。
充分にモーターサイクルに本来
の仕事をさせて活き活きと活躍
させてあげることができる。
乗り屋のほうは、ずっとヒンズ
ースクワット運動をしているよ
うな感じになるけど。
しかし、マシンと一体になれて、
道を相棒と共に行ける。
これはね、もう最高だ。
「そうだよな、おまえもこう
やって走りたいよな」とマシン
のタンクを抱くようにしながら。
埼玉県蕨市、通称猫橋。
所在は川口市芝になる。
旧字名は中田、榎田である。
ここのS字は、東方面から蕨
駅方面の車線でハイプレッシ
ャーでトルクをかけて走ると、
切り返し後の先のコーナーの
立ち上がりでテールスライド
する。時に二輪ドリフトとな
る。
走行注意。