1977年、高2。
赤と白。
これは日の丸を表している。
のベースは赤。
カワサキでさえグリーンの前
のメーカーカラーは赤だった
(なので今も赤いモデルを出
し続けている)。
スキーよりもスノボの人気が
「★ヒロシ coolsの
ボス!!
★絶対的権力を握る
謎の人物、ボス。
頭が切れ団員から
の人望があつい。」
とのことです。
1974年の年末頃か。
原宿のセントラルアパート
の喫茶店にクールスは屯し
ていた。いる時は、表にオ
ートバイがずらりと並んで
いるので分かった。
原宿セントラルアパートは
その後ティーズになり、そ
れも解体されて今は東急プ
ラザになっている。
オープンカーに乗っている
のはキャロルのメンバー。
キャロルの矢沢永吉はデビュー
直前はマッシュルームカット
のモッズ系だった。
それがジョニー大倉の強力な
推しによってリーゼントスタ
イルに変身した。
一方クースルは英国ロッカー
ズ系の二輪チームだったが、
のちに段々とリーゼント一色
系になった。
1970年代中期。時代はリー
ゼントが日本の若者を中心
に復活しつつあった。
1976年、男子校だった私の
高校は、学園で男子校、女
子高、男女共学の商業高校
の3校があり、体育のプール
の時間には女子高生徒と同じ
時間帯になる事もあった。
ところが、我々がプールに入
ると頭髪のポマードが水面に
流れ出して、女子高生たちが
「わぁ~」と騒いで入るのを
嫌がった。
それ以降、学校での整髪料
使用は校則にはないが事実
上教師の指導として禁止に
なった。
が、リーゼントボーイズは
そんな事はお構いなしでヘア
スタイルを変更しなかった。
「突っ張って」いるのである。
面白い。
学力別クラス編成の高校だっ
たが、高偏差値の進学クラス
もほぼ全員がリーゼント(笑)。
特進クラス以外の一般クラス
などはほぼ全員がリーゼント。
そういう時代だった。学内で
イジメはゼロ。ツッパリ君も
真面目君も非常に仲が良かっ
た。
ただし、「暴力の時代」であ
るので、校友を裏切ったり陰
口をきいたりしている者は引
きずりだされてスボコにされ
ていた。
今の時代みたいにネラーのよ
うなクズのカスは世の中に生
存できない時代でもあった。
進学校でリーゼント少数だっ
たのは慶応等の大学附属や開
成や麻布、武蔵程度だったの
ではなかろうか。
うちの高校はむしろ長髪が学
校の規制対象になっていた。
理由は「長髪でロックをやる
のは不良」との時代錯誤の学
校側の認識からだ。時世を解
かってない(笑)。
学園祭でのエレキの使用も禁
止だった。ピエゾは可。
ツッパリ君は身だしなみをビ
シッとしていたので、取り締
まり対象外だった。カバンは
ぺったんこで誰もがロックを
聴いていたが。
聴く音楽によって人にレッテ
ルを貼って取り締まり対象と
する。内申書にも影響する。
そうしたふざけた時代が日本
にはあった。
だからこそ、ツッパリたちは
身を張って抵抗した。
東京での1970年代のティーン
エイジャーたちのツッパリ文
化はカウンターカルチャーだ
ったのである。
かつては1950年代には、日本
の男性は米国の影響でリーゼ
ントスタイルが流行していた。
これは抵抗文化とは違った世
相で。アメリカへの憧憬系統
だ。
1960年代に入り、ビートルズ
がリーゼントロッカーズスタ
イルから長髪にマネージャー
の方針でスタイルを変更して
から、アメリカのヒッピーブ
ームと反戦風潮に影響され、
全世界で男性の長髪が一般化
した。
日本も漏れなく長髪男子の時
代になっていた。
ビートルズに憧れた矢沢永吉
も当初はその路線だったが、
方向性を変えてあえてリーゼ
ントのオールドスタイルにし
た。
日本の1970年代のリーゼント
復活はキャロルとクールスが
牽引したといっても過言では
ないだろう。
そして、日本国内には空前絶
後のツッパリブームが発生し
たのが1970年代前半末期だっ
た。
ツッパリは今でいうヤンキー
とも異なる独自の文化だった。
不良少年ではあるが非行少年
ではない独特の抵抗文化。
それゆえ「突っ張る」のだ。
抵抗する事を旨としていた。
ツッパリとオールドロック好
きは似ていて共通項もあった
が、厳密にはオールディーズ
を好む層と1970年代当時のツ
ッパリは別な位相として存在
した。
ただ、実相としては、地方に
行けば行く程、ツッパリ=
非行少年という実態があった。
東京都心と違い、「勉強も
運動も何もできない落ちこ
ぼれ」が非行化していわゆる
ツッパリスタイルの服装と髪
型をしてイキっているのが田
舎の疑似ツッパリの多くの実
体だった。
都心の東京とは中身そのもの
が違っていたのだが、この歴
史の実相の真実を伝える情報
は多くはない。
そして、田舎の不良は都会の
ツッパリのようにビッとして
いなくて、なんだかだらしな
い服装のナリをしていた。
付言すると、東京でもツッパ
リカットとリーゼントは厳密
には違っていた。
本物のリーゼントはダックテ
ールに後ろをまとめる。
ツッパリカットの場合は、後
ろはストンだ。
サイドバックにするのは両者
同じ。
リーゼント文化の歴史を知ら
ない年が8才下の知人が先週
「リージェント、リージェン
ト」と言っていたが、それ、
ヨーロッパと広っぱくらい違
うと思う。
てか、物を知らなすぎ。
なぜ日本では明治まで馬車が
今でこそキックボードなどという