渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

長州藩奇兵隊顛末

2024年11月04日 | open



幕末動乱、戊辰戦争で活躍
した西軍長州藩の奇兵隊。
実は毛利家の処遇がひど過
ぎる。
明治に入り、奇兵隊は長州
藩によって討伐された。
理不尽な扱いに憤って脱藩
しようとした約1200名が決
起したからだ。
毛利藩は明治にはいり、戊
辰戦争での論功行賞も一切
無く、いきなり藩兵を解雇
した。無茶苦茶だ。
その後、全国の武士たちは
明治初期の秩禄処分により
いきなり解雇無職にさせら
れるのだが、長州藩は早か
った。幕府東国軍降伏の翌年
明治2年11月には戦争で勝利に
尽力した自藩の兵を放り投げ
るように切り捨てた。旧武士
階級の士族のみ厚遇し、隊の

平民出身者たち3000人を何の
論功行賞もなく放逐
したのだ。
これには隊内の士族たちの
多くも「それはあまりに非道
だ」と呼応して脱隊決起した。
身分に関係なく国事に尽力す
るするための奇兵隊はじめ長
州藩諸隊の
設立趣旨さえも踏
みにじる
ものだからだ。理不
尽非道。
結果、決起部隊と長州藩本藩

部隊との間で集団戦闘の殺し
合い
が発生した。
同胞ならず同藩の者たち同士
で殺し合いをさせる事を長州
藩は断行した。
もっとも、戊辰戦争において
も、敗軍である東北諸藩の重
臣を切腹ではなく刎首とした
新政府軍は非道の限りを極め
た。
日本の歴史の中で、一番最低
のいくさが戊辰戦争だった。
新政府の天皇親政に恭順の意
を示していた幕府はじめ東国
諸藩を血祭りにあげる事だけ
が目的の大殺戮戦争が戊辰戦
争の東西内戦だった。関ヶ原
での遺恨を晴らす為だけの。

何が「維新」なものか。
勝者によって捏造された歴史
からは真実は国民に教育され
ない。
日本開闢以来の大出鱈目が
戊辰戦争によるニセ「維新」
だ。
将軍を暗殺し天皇を暗殺し
身代わりを擁立し、ニセの
勅旨を捏造して錦旗を偽造
して大殺戮を断行した。
幕藩体制末期に京都を火の
にし、天皇を拉致しよう
とし
ていた藩が中心となっ
て。

実際に長州藩は天皇が居す
御所に発砲、火を射かけ
てい
る。天皇に弓引く者ら
がなぜ「
正規軍」であるの
か。
出鱈目もいいとこだ。
だからこそ、第一次第二次
長州征伐は「正
当」に行わ
れた。


そしてその首謀者である長州
藩は戊辰戦争で命をかけて尽
力した自らの藩兵たちも無慈
に投げ捨てたのだった。
長州藩のパターンはいつも決
っている。冷酷無比で人倫
に悖る。暗殺謀略殺りくを常
とする。後のソ連のように藩
内粛清も激しい。

ちなみに長州藩の権力者の流
れが現
在も日本の国家権力を
牛耳ってい
る。

なお、野に下り、明治政府の
非道を糾すために決起した戊
辰戦争の雄、明治の元勲であ
る西郷隆盛は靖国神社には祀
られていない。
靖国神社なる新設神社がいか
に「ある特定勢力」の為に機
しているのかが如実に判る。
特定政治権力の為に靖国神社
は存続し、国に尽力した英霊
が入っているのではない。
これは動かしようのない事実
だ。
靖国神社が本当に国の為に
尽くした人たちが祀られる
ならば、それは素晴らしい
事だろう。
だが、現実はそうなってはい
ない。
国を私する一部の特定勢力
為に存続し、利用されている
のが靖国神社だ。
そして、保守系政府与党議員
が靖国神社
に参じるのは、そ
れはそうし
た国を私する特定
勢力に対す
る隷属のみそぎで
あるのだ。

私は靖国神社の存在は否定し
ないが、靖国神社の偏波な在
り方は否定する。(私は靖国
講の会者である)
西郷隆盛や松平容保が入らな
い靖国神社は、おかしい。

脱隊騒動 - Wikipedia

 







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