渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

樹木

2020年07月28日 | open



買い物途中、公園の樹木が気になって
暫く観察していた。


う〜む・・・。




サケ・マス類

2020年07月28日 | open


(ニジマス)

昨夜、サケ・マス214種のうち、106種に
ついて連鎖的に6時間ほど調べた。
サケ属12種、タイヘイヨウサケ属43種、
イワナ属51種の106種である。
手書きで分類表記して頭に叩き込んで
かつての知識をおさらいしたが、新学説
等での情報更新も含めると全てをソラで
書けるほど完全把握はできていない。
全サケ・マス類に関してサケ・マスのみ
に特化した写真図解入りの学術書籍でも
あればいいのになぁ。白黒学術書では
なくカラーの図鑑のような。魚類図鑑では
なくサケ・マス図鑑みたいな。

これなんてよさげだけどさ。
全網羅かどうかはわからない。



フライフィッシャーはサケ・マス類のみに
誰もが異様な執着をみせるが、サケ・
マス類は環境指標にもなる魚群であり、
研究するとかなり面白い。
まだ解明されていないまったく分かって
いないことがかなり多い生物なのだ。
この未解明の傾向は私がフライフィッシング
にどっぷりとハマった20数年前から見られ
たことだったが、現在でもその傾向性は
あまり進展していない。
なぜだろうとは思うが、水産資源として
のみの研究が先進国の主軸で、純粋に
生物学としての研究対象とはなりにくい
要素があるからではなかろうか。
以前、ウナギがそうだった。
ウナギはどこで散乱して稚魚が戻るの
かが解明されていなかった。
それを初めて解明したのが東京大学大学院
のある先生だった。
大酒飲みだったね(笑)。
新橋あたりで環境問題の会議後につつく
中華料理が
好きだった。
ただ、学者というのは自分の専門外の
事はまるで子どものように知らない。
興味ないからかも。
その先生は、三原沖ではごく普通に
スナメリが回遊している事実を告げて
も「うっそ~?!」とまるで信じなかっ
た。
専門の学者というのは頭いいのか無知
蒙昧なのか不思議な種族だなぁとか
思っただよな。青椒肉絲をほおばり
ながら、おいらは。
広く浅くでも広く深くでもないのよね。
狭く深くなのよ。学者という象牙の塔
の住人たちは。
そういうのは、実際に実物を見ると実態
と実体がよく分かる。
ありゃ、変わった生物だな。変わった
学者という生き物の中でも特に変わって
いる生物学者という種族は。
それでもまだ生物学の学者はいい。
生き物全般を相手にしているから。
哲学の学者とかめちゃくちゃ厄介だぜ。
あれは脳内のことだけの世界に生きて
いる種族だからね。
飲んでても、クッソ真面目すぎて、
あんまし面白くはない。
で、文学の学者は軒並み助平だしよお。
まあ、文士はろくでなしという定番の
親玉みたいなのが文学の学者だね。
というか、どうして文学が学問として
国が認定単位を国民に付与したり
するのかよく分からない。わっけ分か
らんとかいうやつね。
だって、ポルノまがいなことをただ
文章表現や表現芸術として構築した
だけの創作世界の事を学問として
児童や生徒や学生が学ぶんだよ。
源氏物語なんてのは、ありゃあれこそ
本物の不倫、浮気を不倫と欺罔する
現代流行語の不倫ではない正真不倫
のポルノ小説だぜ、あれは。人間の
業がうずまく一大ロマンポルノが
源氏物語だな。これガチで。濃厚
密着以上の濃厚圧着のような。全て
が合体所望の脳内ベータエンドルフィン
小説みたいな感じでさ。
なんだかなぁ、てな風には思うよ。
文学好きだった一介の人間としては。
まあ、スケベよろしく。人類皆同じ
ということで。
義塾の諭吉先生も言ってるじゃん。
人は人の上に人を載せて人を作った、
と。下かもしれないけどさ。
知らんけど。


カーペンタースタイル

2020年07月28日 | open


フィールドゲーマーの友人が、次回キャン
プの時にはこれとハンマーで薪割りする
のはどうでしょうと言う。
よいのでは。カーペンタースタイルで。
各人好きなようにやればいいと思うす。
薪割りは目的ではなく手段だから。
ナイフでバトニングすることだけがキャン
プでもブッシュクラフトでもないし。
フリースタイルでいいのではないでしょう
か。
野外ではオリジナリティ大切。




切り方

2020年07月28日 | open


「切り方」について、剣法練達者からの
相談あり。具体的技法と概念について。

私で知っている範囲のことは全て伝え
た。これは誰に対してでもではない。
同門であり、刀友会の同志であるからだ。

刀剣でもナイフでも、切り方、斬り方、
突き方、刺し方はいろいろある。
要するに刃物という武具を使うのである
から、その武器の形状や用法の技法は
多岐に亘る。一本調子の固定観念や
思い込みが介在する余地はない。

ナイフがかなり勉強になる。
「切る」ということについて。
日本刀での切りを行使する場面は、現代
では伝統武技の研鑽においてのみしか
存在しないが、ナイフの場合、実に深く
広い用法が潜んでいる。
別ジャンルと機械的に分けず、包丁でも
ナイフでも使用することで、日本刀の
用法、剣法に生かすエッセンスを見つ
けることもできる。
和太鼓のバチの動きからでさえ剣法に
繋がるヒントが隠されていることを発見
できるように。


思考回路、概念規定を固定的に石のよう
にさせてはだめだ。
特に武技においては、そうした居つきは
実体においても思考においても死を招く。

刀法はいろいろなやり方がある。

火つけ道具とアウトドア

2020年07月28日 | open
 


私はメタルファイアスターターは何種類
持っていますし、使いもしますが、
基本的には野外では燃料切れでないなら
ばライターを使います。
メタルファイアスターターは、緊急時の
ためにサイドアーム的に持っているだけ
で、メインではライターで着火します。
何故か。
それは効率性を優先させるから。
 
では何故今メタルファイアスターターが
流行っているのか。
それは、ロマンを求めているからでしょ
う。実用性よりもファンタジーを。
特に、「ブッシュクラフト=ファイアス
ターター」という短絡思考がメタルファイ
アスターターでの火花飛ばしを流行らせて
いるのだと私は分析します。
 
でも、本当のブッシュクラフト(これは
新語)というか野外活動をする人はメタル
ファイアスターターとかは使わないんで
すよね。マッチかライターを使います。
火を点ける行為が目的ではなくて、火を
熾すのが中間的目的だから。点火が到達
点ではない。
また、火を焚くのも、料理をしたり暖を
取ったりの目的のための手段でしかない。
必ずメタルファイアスターターで点火、
ナイフで薪割りバトニングが必須、ファ
ザースティック作りが火種の火口には絶
対、というような固定観念にハマり込むと
それはブッシュクラフトの本質的意義から
どんどん離れて行きます。
理由は、目的と手段を取り違えているか
ら。別な表現をするなら、本末転倒。
 
ブッシュクラフトという表現は2012年に
登場して急速に広まりました。私がその
単語を使い始めたのは2013年からです。
それまではハードキャンプとかガチキャン
とかサバイバル
と世間でも呼ばれていま
した。
つまり、南方戦線で戦後も一人で戦争を
続けていた横井さんや小野田さんのような
森での自活行動が本当のブッシュクラフト
の王道なのです。
そこには、お遊び的な要素はありません。
 
キャンプは教育の一環として万国で教育
過程に導入されてきました。
ブッシュクラフトは、そのキャンプをもう
一歩進めて、森での自主創作活動を採り
入れて、森から何かを学ぼうとする活動
です。メタル火花やナイフ薪割りや毛羽
立ち棒作りが目的ではない。
あくまでも目的に向かう手段の一つと
して、火付けや火熾しはその目的にのため
の一行程の準備作業である、と明確に認識
しないと大きく道を踏み外します。
テント張りやタープ張りを主目的とする
というのはおかしいでしょう?それなん
です。

ただ、その目的に向かう道程さえも工夫
しながら楽しみ、そして失敗と成功を
繰り返しながら学んでいこう、という
のがブッシュクラフトの背骨なんですよ
ね。

昨日、自称キャンパーの人と多少意見が
対立しました。
私が小割薪の焚き木で飯盒炊爨している
ことを「ご苦労なこった」と言ってまし
た。そして、自分はガスが便利だから
ガスしか使わない、と。
それはそれでいいでしょう。私は否定
しません。
ただ、はは~ん、と見えたものがあり
ました。
私は相手のスタイルは否定も肯定もせず
話を拝聴するに受容していますが、相手
は全く自分の価値観以外は認めず、なぜ
かしら他者の行為を自分より下と見て
いるのです。それが見えた。

そして、私がエスビットとエスビット
ケースのポケットストーブも利用すること
を話していたら、どうも話がかみ合わな
い。
すると、「エスビットはメーカー名だ」
と言い張りました。私が戦前からナチス
ドイツ軍でも多用されていた新開発の
固形燃料がエスビットであり、ケースは
ポケットストーブにもなるあくまでもエス
ビット燃料の容器であると説明しても、
それを認知しようとしません。
あまりやりたくはなかったのだけど、
ウィキペディアを教えて、エスビット
とは固形燃料の事を指す、という歴史的
事実を知らせました。そこでようやく納得。
すると、「渓流さんもかなりスキルが上が
ったようだな」と来た(笑)。
私、その人が生まれる前の1965年から
キャンプやってるんですけどね(笑)。
しかも50年以上昔のキャンプというのは
今でいうブッシュクラフトそのものだった。
次から次に新製品ギヤを買い続けて、それ
を並べて悦に入るようなスタンスは無かっ
た。
そうした傾向が顕著になったのは、高度
経済成長終焉以降の1980年代からです。
高山の山岳以外での森で薪が補給できる
限りは薪で火を得て料理や暖を取るほう
が簡便であり火の取り扱いもやりやすい
事も説明したけど、最後までその方は
理解はできませんでした。いや、理解
しようとする精神活動は見られなかった。
これは情報処理能力の問題だから仕方
ありません。自分以外は認めないのだか
ら、そこですべてが終わります。思考の
展開も発展も無い。
世の中、いろんな人がいます。

ガスコンロが登場普及したのは1985年
頃から。
それまでは山岳系もホワイトガソリン
です。圧縮作業を経て点火させる。
デイパックの登場は79年頃で、日本では
1981年時点のビーパル創刊号2号でよう
やく「新しいザック」として解説紹介
されています。
そうした歴史性がある。人の活動や
物品のギヤアイテムというものには。
そのような歴史的流れを俯瞰できて
現代を見定める視点というものが仮に
欠落していたとしたら、今のほんの
瞬間の自分の目の前の事だけが絶対真理
であるかと人は誤認しがちです。
それはとても危険なことなのです。
自分の実体験したことでなくとも、書物
や先人たちの口伝から学ぶことは多く
あります。そうして知見は受け継がれ、
オリジナリティが加味されて人の歴史
は発展してきた。
それを全否定するような思考回路は
極めて非生産的であるといえます。

キャンプやブッシュクラフトは、自然
環境の中で、高度機械化電子化された
生活をほんの少しだけ離れて原点回帰
することで、そうした現代人が陥り易
い視野狭窄を見つめなおすことも大き
な課題として静かに含まれているので
す。
目の前の狭い自分の価値観の殻を突破
する。創意工夫しながら人間力を養う。
それがキャンプであり、ブッシュクラ
フトかと思います。

アウトドア最強アイテム

2020年07月27日 | open


アウトドアでの最強アイテムはこれよ。
これが一番凄い。
人類の偉大なる発明。
火打石も可燃物も、すべてその原理をこれ
詰め込んである。
木片が燃えるのも木が燃えてるのではな
く、可燃ガスが発生して燃えている。
ライター。
これは人類の大いなる発明だ。
マッチよりも古い発明だからね、ライター
は。

包丁は堺

2020年07月27日 | open

裏の研ぎはやっかい。裏は元に戻らない。

べらぼーに良い仕事してる。
さすが堺、本場の本物だ。
包丁の再生仕事も隙が微塵もない。
いいなぁ、こういう本物系の仕事師の
手わざは。

金床ひとつみればできる人かどうかが
わかる。


凄く良い仕事。


輪島塗りなどもそうだけど、こうした
本物
の人たちが今も残って仕事している
に計り知れない感動を覚える。
数こそ正当、お手軽な楽さは正義、自分
の勝手こそが最優先、自由を侵害するな
とばかり流され続けている
今の軽佻浮薄
なヒャッハー大発生な世に、こういう
本当の技術と
気配りを残し伝えている
方々には心の
底から私は敬意を抱く。
それは、他のどんなジャンルであれ。


スーパー看板

2020年07月27日 | open


スーパーの看板のお魚さん。
後ろの魚はマスのような気がする。

キャンプの裏技

2020年07月27日 | open
 


裏技という程ではないけれど、
キャンプで
は、食材カット専用
に作られた刃物が何だ
かんだい
って一番働く。
このような小さなペティナイフ
でも十二分
に働いてくれる。
 
ステンレスがおすすめ。


スノーピークから発売されて
いるまな板
セットの中には
さなペティナイフが
入って
いる。
ただ、あまりにブレードが薄
すぎるので、
私は頑丈な骨サ
を中に仕込んでいる。
標準包丁より大きいので、
納める板内部
中グリ彫り
して包丁に合わせてある。
純正ペティは家のキッチンで
使う。
この骨サキがとんでもなく切
れる。ステン
レスだ。


別段、もっと薄い板をまな板
にしても
よいのだが、これは
これで便利だ。
 

ダブルホール ~フライキャスティング~

2020年07月27日 | open
 
フライフィッシングのキャスティング
のうち、上級テクニックのダブルホール
について、とても良い
GIFアニメがあった
ので紹介。

私はダブルホールは渓流でも止水でも
多用する。止水の場合は必須技法。
 
こちら元サイト
 

虎だ、虎だ。お前は虎になるのだ。

2020年07月27日 | open


ドピャ〜!
最下位ドベから3位まで上がって来た。
優勝決戦は阪神ー巨人でやってくれ。
おながいすまほ。

切れ味と切り味

2020年07月27日 | open

越乃一刀(新潟県)

切れ味と切り味のテスト動画である。
切れ味は、切れるか切れないかの次元
の案件。
切り味は、どのような質性を持ち如何
なる状態であるかに関する案件。
両者は似て非なる事項であり、弁別して
識別認識しなければ刃物は研げない。

上掲動画では、腕を振る切り下ろしでは
一切手の内の冴えをあえて使わずに刃物
の特性を感知する切り方をしている。
これは切れ味の試しの「切り」。
一方、ゆっくり切り代を使って切っている
「切り」は、すべて異なる切り方をして
刃味だけでなく切り味を確認している。

「切り」というものは、大変複雑で奥が
深く、被切物が切れたか切れないかと
いう物理現出にのみ捉われていたならば、
「刃物で切る」ということについての
高度な知見を得ることはかなわない。
切れることなどは当たり前の大前提
だからだ。書けない鉛筆が書けるよう
になったからと喜ぶ愚はこの世には
無い。
また、些末な切れた切れないに拘泥する
と、「刃物」そのものについても深部を
考察することができなくなる。

けだし、これは日本刀そのものと日本刀
の用法にも通じる。
つまり、「刀術」そのものである「剣技」
と「日本刀」を的確に適切に間違いなく
核心部分を捉えられるかにかかってくる。
畳表と藁の区別も識別つけるもこれ肝要。
刀と術と「切り」は、畳表が切断できた
かできないかという表層部分に代表され
るそんな単純なものではない。
現代においては、日本刀遣いよりも、
腕の立つ料理人や楽器職人や宮大工の
ほうが峻厳に緩み無く厳しく刃物を
見つめて捉えている。真剣だ。
日本刀遣いの者たちのほうが彼らに
遅れを取っている。

「切り味」というものは、「刃味」という
物理的現象についての感知とも異なる
ので、その概念差異にも注意を要する。
切り味は、料理や酒のテイスティング
による知覚者の所見に似ている事項で
ある。


研ぎ

2020年07月27日 | open


鎬がグダグダに蹴られていた和式包丁の
鎬を立てる。









鎬線の具合は光の反射と目視で確認して
研ぎ進める。成形研ぎだ。


切れ味が落ちて切り味が変化した洋包丁
刃を付ける。








この左右の向きには物理的な意味がある。


実用刃物は常に切れ味を保ち、使い手が
好む切り味を保持してやるように研ぐ。
また、砥石は使いこなしにより、粒度を
超える仕事をやりのける。


切れたか切れないかなどはかなり低い
次元の話で、刃物は切れて当たり前だ。
当たり前の事は当たり前であり、ありき
たりであるので、それは検討の対象には
ならない。
私個人はそのずっと先の「任意の切り味」
を求めて刃物を研いでいる。


「切り」の世界は冷徹で峻厳だ。
地獄の沙汰も研ぎ次第。


刃物研ぎ

2020年07月27日 | open
































自分の刃物は自分で研ぎます。
日本刀以外。
日本刀も刃付けや補修はするが、本研ぎ
は日本刀研磨師でないとできないので、
こには手を出さない。研磨師ではない
ら。日本刀は素人が研いではならない。
ただし、実用刃物は私はすべて自分で研
いでいます。
炭素鋼の場合には、鋼の素顔を出してやる
ように。

(素顔を引き出した600円の全鋼肥後守)


フェザー

2020年07月26日 | open

もっとカンナで削った表面がカールした
猫じゃらしのシャグマみたいになるのが
理想的。

火口や焚き付けのティンバースティック、
小型ティンダーウッドといえどもフェザー
を作ってから点火して着火させたほうが
よい。

フェザー作りの良し悪しは腕よりもナイフ
が決め手。