ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




昨夜はあれから「約束の旅路」という映画を観ました。

そして今日改めて起き抜けに、昨夜は見なかった特典映像として収録されていた監督と主演男優のインタビュー部分を観ました。昨日の「ミュンヘン」もユダヤ人の話でしたが、こちらも、ユダヤ人というもの、そしてその文化、社会、そしてその抱える民族問題を描いた映画でした。

ユダヤ人の描かれた映画となると、真っ先に思い浮かぶのは、ドイツのホロコースト(ジェノサイド)に代表される歴史的被害者としての、「シンドラーのリスト」や「ライフ・イズ・ビューティフル」などが挙げられるかと思います。新しいところで「ブラック・ブック」という映画も最近観ましたが、これもお勧めします。オランダでの、やはりナチスによるユダヤ人迫害を軸に描いた映画ですが、サスペンスとしても良く出来ていました。主演女優さんが特に魅力的で(特別、美人とかっていうのではなくてね、なんか、常に闊達とした雰囲気が)、題材ゆえに悲しく切ない話ですが、映画として面白かったです。悪役のすっごく嫌なドイツ軍人がピアノ弾きだったのが、ちょっとアレでしたけどー(笑)。

 

皆さんは、「ユダヤ人」って聞いて、どのような人々が思い浮かびますか。さきの映画などでも描かれていた、ドイツ(ヒットラー)によってとんでもない迫害を受けた悲しき民としてのユダヤ人でしょうか。またはロスチャイルド家やドナルド・トランプ氏などに代表されるアメリカの(いや、世界の、かな)政財界を牛耳る人々でしょうか(他にも挙げたらキリがありませんが、例えばアメリカを代表するハリウッド映画界もユダヤ人が築いた、と言っても過言ではありません)。パレスチナとの対立が問題になっている、今も戦争をしている国、核保有も含めた軍事大国としてのイスラエルの人々、でしょうか。

彼らは、僕達みたいに日本に生まれたから日本人、というのと違って、長く国を持たなかったユダヤ人は、まず「ユダヤ教」というものを信じる人々である、というのが大きな前提になります。実際、中世以前は、本当にこれが「ユダヤ人」でした。なので、例えばの話、僕達日本人でもユダヤ教を信じれば、原則、ユダヤ人になれちゃった、というわけです。とはいえ・・・有名なところでは、ユダヤ教の熱心な信者になったアメリカ人歌手マドンナが2004年に、本名をユダヤネームである「エスター」に改名しましたが、彼女は依然、アメリカ人です。「ユダヤ教徒」にはなったんですけれど、「ユダヤ人」にはなっていない。

というのは、現在ではさきの条件に加え、「ユダヤ人を親に持つ者がユダヤ人」とされているんですね。でもこれがまたちょっと複雑で、母親がユダヤ人じゃないとダメなんだそうです。父親がユダヤ人でも、母親がユダヤ人でなければ、その子供はユダヤ人ではない、ということになるのだそうです。しかしこれとて、国を持てなかった民の「民族を守る」為の苦肉の策といいますか、実際は完璧な区別になっていないのが、また色々と問題の種なのでありますが。

我々日本人の感覚では、まず故郷としての日本という国があって、放っておいても誰からも日本人として認知される、というのが当たり前ですが、これが当たり前では無い人々がいるということです。そして、それがどんなことを引き起こすのか。いくらグローバル化だと言っても、いくら「我々は地球民族だ」と言っても、やはり民族としての、日本人としての誇りは、皆さんもきっと持っているでしょう。

ちょっと長くなりましたので、今日はこの話はこの位にしときます。もしもユダヤ人という存在に興味を持たれた方は、是非色々と調べてみてくださいね。ネット上にも、この定義や問題について書かれた記事が沢山あります。僕も個人的にもとても興味深く思ってますので、また機会があったら書きたいと思います。

 

さて、映画の話に戻ります。

この映画はユダヤ人迫害の映画ではありません。もっと、家族的な映画です。だからこそか、文部科学省の「特選作品」にもなっているわけですが・・・、どうも「文部科学省推薦」というレッテルは、僕はちょっと疑ってかかっちゃう、と言いますか、当たり障りの無い感動もの、みたいなイメージがありまして。いや、いい映画だから推薦されるのは勿論だと思うんですが、お役所の仕事だけに、いい映画でも毒のある作品にはなかなかこのお墨付きが付かないんじゃないの、というひねくれた先入観がありまして(笑)。

でもね、結論から言いますと、この映画は観て良かった。僕もお勧めします。「僕推薦作品」の一本に。予想に反して、・・・単純なお涙頂戴の感動映画とは大きく一線を画す見応えのある映画でした。

アフリカ大陸のエチオピアというキリスト教化された国に、「ファラシャ」と呼ばれる古いユダヤ人達がいたとされています(ここの定義が歴史的には複雑なんです。この映画のドラマとしての一つの発端ではあるのですが)。そしてイスラエル政府は、ユダヤ人ならば、ユダヤの国であるイスラエルに戻す必要があるとして、1982~84年に「モーセ作戦」として、政治的危機状態であり、また酷い貧困にあえぐ彼らを脱出させ、本国へ輸送する計画が行われたんです。

しかし、この物語の主人公である少年は・・・実はユダヤ人ではなかった。母親はキリスト教徒だった。しかし、彼の母親は極貧の難民キャンプでこのまま子供を死なすわけにはいかないと、離れるのを嫌がる彼に「行きなさい。生きて、そして、何かになりなさい」と突き放すように言い、一人の女性に少年を託し、脱出させます。名前も変え、自分の出生も隠し、ユダヤ人と偽って、かれはイスラエルへ渡ります(実際にこういう人達が沢山いたそうです)。そして、彼の苦悩の日々が始まるわけです。里親となった心優しいユダヤ人家族(特にこの母親は、涙がでるほど素晴らしい)との生活、人生の師となるユダヤ人おじいちゃんとの出会い、またユダヤ人ガールフレンドとの恋愛などを通して、彼は悶々と悩みながら、少しずつ成長していきます。そして、彼はやがて・・・。少年の成長を通して描かれるもう一つの大きなテーマは、母親、そして女性。

主人公の青年時代を演じた俳優が、実際にエチオピアからの移民であった、というのもこの映画に重みを加えていますが、何よりも監督の仕事が素晴らしい。細かいところまで、徹底的に調べてから撮影をした、というだけあって、実に丁寧な作りになっています。観ていて「あれ?」って思うところが全然ない。そっと添えられている音楽も素晴らしかったですよ。ユダヤ人の描き方も、いわゆる彼らに対する迫害を描いた映画とは違っていて、とっても普遍的な人間として描かれていて(本来、これが当たり前の姿なのでしょうが)、このニュートラルな感覚がとても新鮮で興味深かったです。

 

そして今朝、特典映像にあった監督のインタビューを観て、絶対にこの監督の映画をまた観ようと思いました。僕よりも10歳年上のルーマニア人。世界中で公開される映画を作った監督というよりも、そこらへんの地味なおっちゃん、といった感じ。ゆっくりと丁寧に話す彼の、人に対する感覚には感動してしまいました。「日本についてどう思われますか?」などというありきたりな質問に対して

「まだ、良く分からないよ。だって、僕が喋ってばかりで・・・(笑)。でも素晴らしい人たちだと思う。」とリップサービスをしつつ、「僕はもっと、色んな話を聞きたいんだ。(カメラの周りを見回す)ここに12人も人がいるのに(収録の技術さんや映画関係のスタッフ達でしょうね)、ずっと僕ばっかり喋ってるなんて。もっとみんなの、12人の人達の素晴らしいストーリーを聞きたい。」

宣伝しに来ているのに、「皆さんの話を聞かせてほしい」というこの姿勢が、この人の生き方なんだろうな、と思いました。それがどんな立場の人であれ、常にその他人の人生に興味を持って、人と接するって、出来そうでなかなか出来ないことですし、・・・素晴らしいと思いませんか?こういう人の作った映画です。

リンクから見れる監督のコメント、そしてよかったら予告編だけでも、是非観てみて下さいね。予告編は、ちょっといかにも「文部省推薦の感動巨編!」みたいになっちゃってますけど。まぁ日本の映画会社の作る予告編って、そういうものですよね(笑)。でもほんと、何度も胸がキューッとなる、いい映画ですよ

ではー。



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