ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




日曜日に放送になったNH○スペシャル「介護保険が使えない~10年目の検証~」を見ました(この番組は、キーワード録画で毎回自動的に録画されるようにしているんです)。

「2000年4月にスタートした介護保険制度。『家族が担ってきた介護を“社会化”し、必要なサービスを自ら選択。自宅で最期まで生活できるようになる…』そこにはバラ色の未来がうたわれていた。10年目を迎えた今、その理想が実現したとは言い難い。」(番組の紹介より抜粋)

番組では、自らも車椅子の生活を余儀なくされながら、毎日、ほとんど寝る時間もなくパーキンソン病に冒され、立って歩くことができない夫の介護に追われる老女性や、認知症の症状が出始めているのだが一人暮らしの為、なんの手立ても打てないでいる男性、そして、ヘルパーによる母親の介護費用がかさみ、その費用節約の為、止むおえず働き盛りだった仕事を辞めて、自らが介護をせざるおえなくなってしまった女性、の三例をあげて、この制度の問題点に迫っていました。

 

先日、Sさんという一人の女優さんが、自ら命を絶ちました。

ニュースでは介護疲れだったのでは、と報道されていましたね。幼い頃に亡くした父の墓前で、そして、車椅子の母親の目の前で(もう目は見えなかったということですが)、あまりに痛ましすぎる死を遂げざるおえなかった彼女の心のうちは、いかばかりだったことでしょうか。そして、そのまま一晩、墓前で雨に打たれていたというこの親子二人を想像するに、胸の痛みが止まりません。

 

また、俳優のNさんが、認知症が進行してしまった、彼女自身もまた有名な女優さんである奥さん、Mさんの介護を本にしたため、またドキュメンタリー番組としての放送や、その介護の日常の様子をテレビでのインタビューで答えている様子がニュースで流されていました。

わざわざ認知症になってしまった奥さんを世間の目にさらす必要があったのかどうか、という是非は、今は置いておかせて下さい。そういう声があるのも知っています。ただ、僕個人としては、見ているのが痛いたしいから、という理由「だけ」で目を逸らすべきではないな、と思うのです。

が、それでも。

僕も子供の頃からよくテレビで見ていた、とても美しい女優さんの、相当にお変わりになられた姿を目にし、単純に、ほんとうにこれは単純にね、少なからずショックを受けました。

そして、

 

人は、絶対に老いるんだ。

 

ということを、改めて目の前に突きつけられたように思います。

 

僕の家族は、まだ元気です。還暦は過ぎていますが、「大丈夫。あなたの世話にはならないようにするわよ」と、今は笑ってくれてはいますが、何があるかはわかりませんよね。いや、何も無いことを祈りますよ、勿論。・・・でもね。でもさ。

 

先日、先に行かれたおばあちゃんは、前の晩まで、いつものように生活をして、そして、

ご先祖さまのお墓参りの為に、離れて暮らすご家族が集まる予定だったお彼岸の日の朝、自分のベッドにちょこんと腰掛けたまま、そのまま、そっと亡くなっていたのだそうです。

そのあまりの自然な様子に、「朝ですよ」と声を掛けたご家族も、本当に座っているだけだと思ったそうです。

 

変な話ですが、母がポツリと、

 

「・・・変なことを言うようでごめんね。でも、とても素晴らしい最後をお迎えになられたのね。」と言い、

 

そして、

 

「私も、死ぬ時は、そんなふうに死にたい、って思うわ。・・・理想よ。」

 

何をいうかー、まったく縁起でもない。と言ってはおきましたが、

内心、母の気持ちはわかるのです。

年老いて、病で苦しんで、苦しんで亡くなった身内を見ていればこそ。そして、自らも、介護をした人間だからこその、本音なのだと思います。

いや、長生きしてもらわなきゃですよ、勿論。まだ、親孝行してないですから。これからですから。ほんと、困ります。

だって、なんと言ってもね、身近な人を亡くすということは、それがどんなかたちであれ、とってもとっても、悲しいもの。

 

ただ、それは勿論として、ね。人は老い、そしてやがて死ぬことが定めであるならば。

できることなら、人として、尊厳を持って人生を最後まで生き、そして尊厳を持って、最後を迎えたいですよね。これは、誰もが持つ、普遍的な願いですよね。

 

大往生 - 少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、りっぱな死に方であること。「―を遂げる」 (大辞泉)

 

別にね、国にだけ頼ろうというつもりではありません。自分でだって、頑張ります。

 

でも、最後の最後に、本当に最後に、もうどうしようもなくなよっっていう時に守ってくれるのは、国でなくちゃ困るよ、とも思うのです。

 

先ほど、国が巨額な資金を投じある建設物をつくる、というニュースを目にしました。それが無駄なのかどうか、今の僕にはわかりません。その事業で職を得るなど、助かる人もいるのはわかります。でも、今なのか?とは思います。

同じニュースを、まさに今、介護をしている方も、介護を受けられている方も、そして、本来なら介護を受けられるはずの方も、見ているのだと思います。

・・・どんな思いで。

決して、想像に難くはありません。

 

僕たちの国は、どこへ向かい、この先、どんなかたちになっていくのでしょうね。

一人一人の人にとって、最後まで、住みやすい国であって欲しいです。

もしかしたら、「そんなのさ、理想論だよ」、なんだとしても、それでも、理想は思い続けなければ、どこかで言い続けなければ、と思います。

でなくちゃ。

ではー。



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