ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




今日は、緑ちゃん倶楽部の今年のレッスン始めでした

今日、レッスンに来てくれた、小学生の兄弟がいました。(これ、もしかして読んでくれてるかな?)

今日で三回目の、兄弟揃ってのグループレッスン。

少し年齢差はあれども、とっての仲良しの兄弟で、レッスン中も、どちらかがちょっと困っているとさりげなく助け舟を出してあげたり、

アドバイスしあったりと、見ていてとっても微笑ましく、思わず僕も笑顔になってしまう、楽しいレッスンなのです。

 

「ピアノは、小さなうちからやらなければダメ」などという、よく言われることについて、

そんなことは無いと思っていますけれど、

唯一、単純に子どものすごく良いところは、

「無邪気に、何度でも、繰り返すところ」

だと、聞いたことがあります(昔、このブログにも書いた覚えがあります)。

 

勿論、大人は理性でそれをやれます。それができるから、大人、というのですね。

それに、僕は大人になってから始めるピアノの良さ、楽しさ、アドバンテージは必ずあると確信しています。

 

でも、子どもは理性じゃないところで、ただただ、無心になって、それを“楽しんで”やれるんですよね。

これは、やっぱり凄いと思います。

例えるなら”眠るまで遊ぶ”あるいは、”遊びながら、眠る”

あの感覚は、子どもならでは、ではないでしょうか。

(大人は理性で、「うん、今日はここまでにしよう」と切り上げられる。これも経験を積んで、学んで分かったはずの、大切なことなのですけれどね。)

 

最近読んだ本の中に、あるピアノの先生の言葉がありました。

その先生は、音大を出て、何十年も大学で教授を務め、何冊もベストセラーになっている教本を出して、

また、ご自身で長年にわたって沢山の子どもを教えている、ピアノの先生の中でも有名な、ピアノの先生なのです。

その先生が、

「ピアノの教師というのは、“ピアノを使った遊び方を教える人”だと思います」という言葉がありました。

 

なんとなくお堅く、時に少し敷居が高くも感じるクラシックに精通したピアノの大先生が、こんなふうにおっしゃっていることを、

僕はとても嬉しく感じたのでした。

「遊びなのですから、もしも、楽しくなければ、辞めたっていいんですよ」

そう、これも、ごもっとも。

そもそも、楽しくなければ、上達だってあまりしないでしょうし……。

 

ピアノに限らず、どんな仕事でも何の勉強でも、とにかくなんでも、

楽しんでやっている人には、かなわないですよね。

 

楽しんだ人、

楽しんじゃった人が、

いつの間にか、気持ちよく弾けるようになって、

きっとその人は、もっと楽しくなりたいから、もっと練習しちゃったりして、もっと楽しくなっちゃう。

 

いいな、いいな。

僕も、そんなふうに、楽しみ続けられるように、ピアノと、音楽と、接していきたいと思います。

 

今日、120分のレッスンが終わって、ずっと付き添って見守っていて下さったお母様が、

「120分って、あっという間なんですねえ。」と言って下さいました。

そしたらお兄ちゃんが

「えー、僕にとっては、そうだなー、5秒くらいに感じた!」って。

弟君も、うんうん、って頷いてくれてました。

 

楽しんでくれてなければ、こうは言ってもらえなかったと思います。

 

そう、“ピアノを教えるということは、ピアノでの遊び方を教えること”……だとするなら。

楽しい遊び方を教えられなくちゃ、ダメなんだよな、と。

遊んでて楽しくなかったら

「もう、帰るー」

ってなっちゃいますものね

 

これは、子どもに限らず、大人の方へのレッスンでも同じですよね。

今日は、二月のレッスンカレンダーの公開日でもありました。

お申込み下さったお一人、おひとりにとって、楽しくて、良き時間になりますよう、がんがります

どうぞよろしくお願い致します。

 

そして、今日は、餃子始めでした。

わーい(・・・そういう締めでよいのか)。

 

ではー。



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