怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

水木しげる「ゲゲゲの人生 わが道を行く」で幸せとは何かを考える

2019-12-14 08:11:01 | 
水木しげるの前半生はかなり悲惨です。
小学校は1年遅れで入学して、成績は落ちこぼれ。遅刻の常習で運動神経はよかったみたいですが、算数は0点ばかり。兄弟は中学に進学しているのに一人だけ高等小学校へ。今ならば学習障害とかのレッテルが張られてしまいそうです。
それでも絵を描くのは好きでうまい。高等小学校の先生に見出だされて個展まで開いています。
就職しても失敗ばかりで長く続きません。これはもうまともに働くのは無理だろうと絵の専門学校に入学するのですが、デザイン中心の為そこも中退。
こんな具合なので徴兵されて兵隊になると全くの落ちこぼれで、殴られてばかりで、どんどん危険な最前線に送られてしまう。
でも運がいいというか、生命力があるというか最前線で一人だけ生き延び、米軍の爆撃で左腕を失うも現地の人たちと仲良くなって終戦時には現地除隊してのこれとまで言われる。日本兵でそこまで現地の人たちと溶け込んだのは他にいたのだろうか。当時の日本人離れした愛嬌というか差別のない感覚がにじみ出ていたんだろうか。兵隊時代については「総員玉砕せよ」という名作がありますので是非ご一読を。

命からがら復員して来ても闇屋をやったり輪タクを経営したりアパートを経営したりといろいろやっているのですが、何時もお金に不自由してとても成功したとは言えない状況。
縁があって、紙芝居の作家になってそこそこは稼ぐのですが、紙芝居は斜陽産業。やがて貸本の作家になるのですが、忙しいのですが仕事に追われるばかりで金は稼げない。
その頃に心配した両親に無理やり見合いさせて5日間で結婚というのですが、昔はよく分からないままにすぐ結婚というのもよくあったみたい。まあ、水木しげる夫妻もほとんど仲人口に乗せられてで奥様にしてみれば騙されたみたいな話ですけど、たぶん山あり谷ありだったんでしょうけど仲良くそれなりに50年ほど連れ添っているのですから、当時の時代背景からはシステムとしても見合い結婚というのは優れモノだったかも。結婚生活については朝ドラの「ゲゲゲの女房」に詳しいですし、見ていない人は原作を読んでください。
とにかく43歳ぐらいに少年マガジンの連載を得て初めて生活がまともの成り立つのですが、それまでの仕事を失う恐怖感と飢餓感から来た仕事は断れないので無茶苦茶忙しい日々を送る羽目に。テレビくんとかゲゲゲの鬼太郎、河童の三平が少年マガジンに連載されているのは同時代としてワクワクして読んでいた気がします。でも締め切り地獄に陥り寝る暇もない日々でも漫画を描き続けられたのは好きだったからとしか言いようがない。
幼少期から基本飽きっぽい怠け者だったのに絵を描いている時には集中して何時間でも飽きなかったのは好きだったからですが、それもある種の才能。
それでもそんな忙しい時に偶然昔の上官に会い南洋の島に実に26年ぶりに訪れて、改めて人生の幸せとは何かを考えます。
好きなことだけをやって面白おかしく生きるのが幸せ何だろうと、ここから仕事をセーブするようになります。努力したら努力しただけ、神様は幸せを与えてくれるわけでもないので、努力と同じくらい諦めることも肝心、でもこれは人一倍努力した天才だから言えることかも。
水木は「なまけ者になりなさい」といっているのですが、奥様が見て結婚してから横から見ていた水木は決してなまけ者ではなく死にものぐらいで漫画を描いていた。齢80歳くらいから好きなことだけをやればいいと自分でも悟るのですが、一般人にはたどり着けないでしょう。
ところでこの本では水木自身による作品のポイントを書いています。
ゲゲゲの鬼太郎はメジャーになるにしたがって怪奇なイメージから正義の味方になってくるのですが、それでは作品に面白味をなくしていく。そこで汚い役、悪い役、ずるい役をねずみ男が一身に引き受けてストーリに深みを与えて面白くしています。物語としては鬼太郎の成功はねずみ男の成功なのです。
サクサク読める本なのですが、水木さんの人生を通して幸せとは何だろうということを考えさせられます。南の島の現地の人のように一日3時間ほど働いて後はのんびり楽しく暮らすというのが理想の生活なのか。やりたいこと好きなこともあきらめてきりきり胃の痛くなるような仕事をシャカリキにやって上昇志向一途な生き方は幸せとはいいがたいというのは、引退した今でこそ共感するこの頃です。

コメント
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