怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「戦国日本と大航海時代」平川 新

2021-05-21 13:07:19 | 
秀吉の朝鮮出兵は秀吉の誇大妄想の引き起こしたまったくの暴挙だったのか?
侵略される朝鮮にとっては迷惑極まりない許されざる暴挙なのでしょうが、国内的には戦国時代が終わって国内統一を果たしてから溜まりに溜まったエネルギーを吐き出す先を求めてが今の一般的な理解かな。

ところが当時の世界情勢を見てみると、大航海時代のスペイン、ポルトガルの世界分割が進行中で、ポルトガルはインドのゴアから中国のマカオへ進出し、スペインはフィリピンのマニラに進出。日本への進出も図ろうとしていた。その先兵はイエスズ会とかフランシスコ会の宣教師であり、貿易の利益を誘引にして政教一体で九州ではいくつかの大名を取り込んでいた。ただ、東の果ての日本は遠く、その武力は侮れず、南米、インドやフィリピンとは違い、力で制圧するには難しいととらえられていたみたいで、まずはキリスト教の布教から勧めようという戦略。キリシタン大名を支援して日本をキリスト教国に改造して、その勢力下に置き、明国征服に動員しようと虫のいい考えも。
昔から中国朝鮮経由でヨーロッパとも交流があったので、中南米のようにスペインから持ち込まれた天然痘などの疫病によって人口が激減して国力が衰退することもなかったというのは武力制圧を阻止するには幸いした。
秀吉はそのようなスペイン、ポルトガルに対抗してアジアの覇者になる気概があった。それが誇大妄想と言えばそうなんでしょうけど。だから朝鮮出兵は明征服への通過点。だからこそ禁教令を出し宗教を先兵とする日本への浸透を拒否した。もっとも日本軍のいつもの弱点、ロジスティックの軽視と制海権の喪失によって、朝鮮出兵は実質的失敗に終わったのですが、その軍事的実力はポルトガルもスペインも認めざるを得なくて、日本への軍事的侵攻は無理という認識に至る。戦国乱世を終わらせた秀吉はスペイン、ポルトガルへの報告では「帝王」と呼称されていて、日本は「帝国」。そうすると天皇は「教皇」?跡を継いだ家康も皇帝と称されていた。大名は王と称され、これはスペイン王とか同格。いかにアジアの中で日本の軍事的政治的実力を重視しているのかという一つの証拠と言えます。
それでも秀吉は南蛮貿易の利益は捨てがたく地方大名のキリスト教庇護とか南蛮貿易は見てみぬふり。秀吉も禁教令にもかかわらず南蛮貿易は維持している。
その後の家康についてもキリスト教布教は禁じながら南蛮貿易は捨てがたく、むしろマニラから江戸への航路の開設を要求していたりしている。家康は政教分離路線だったのだが、スペインもポルトガルも政教一致。オランダ、イギリスと異なり貿易だけのいいとこどりは国として許容していない。
それでもその頃はまだまだ大名の独立性があって、九州の大名を中心に外交を独自に行っている例もみられる。その典型例が東北の雄たる伊達政宗の慶長遣欧使節。
昔から疑問だったのですが、江戸幕府がキリスト教を禁じているにも拘らず、なぜ伊達政宗が遣欧使節を派遣できたのだろうか。
家康は国としてはキリスト教布教は認めていないが、伊達が自分の領国だけに事実上宣教師の活動を認めスペインと貿易を行うことについては了解していたみたい。だからこそメキシコを経ての遣欧使節団を認めた。遣欧使節団の支倉の使命はある意味二枚舌を使い布教の自由を認めるので貿易を認めてほしいというもの。家康としてはうまくいけば仙台との交易に江戸も絡めることができるという思惑もあったのでしょう。そこには宣教師たちの功名争いなども絡み情勢を布教に有利に報告したりといろいろな思惑が錯綜。
ところが家康がなくなり秀忠の代になると政教分離路線は顧みられることなく、スペイン、ポルトガルとの貿易は全面的に禁止されてしまう。日本の情勢は逐一宣教師より本国に報告されている為、支倉は成果を得ることなく帰国せざるを得なかった。仙台藩も支倉が成果なく帰国した時点で藩内でのキリスト教を禁じている。
こうしてみると伊達政宗と言うのは興味深い人物なのだが、東北ではなくてもう少し早く生まれていたのなら天下に覇を唱えていたかも。
最後に著者は何故日本が植民地にならなかったについて、秀吉の朝鮮出兵に日本の軍事的実力を思い知り膨大なコストがかかると思ったことが一つの要因と言っている。
しかし鎖国して200年以上、太平の世をむさぼり、軍事的技術革新を怠ってきた江戸末期の日本についてそれは過大評価では。
むしろ、大江志乃夫が「近代日本とアジア」で書いているようにインド、中国とセポイの乱とか、アヘン戦争で大きな抵抗にあってきた経験から武力による制圧は費用対効果の面で会わないという認識が根底になったのでは。
大航海時代当時のスペイン、ポルトガルと日本がどういう外交を展開していったのか興味深い議論でした。新書ですが、結構中身は濃いのでご一読を。
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