ここ最近NHKの歴史番組で出まくっている磯田道史さん。
歴史の面白さを一般視聴者に分かりやすく伝えて、もはやこの類の番組では欠かせない人材になっています。
因みに小田原城や岡山城に行った時には、お城の歴史や展示物の解説に磯田さんがビデオ解説に登場していた記憶です。もはや歴史ファンの間では一番のスターの感じです。
「日本史の内幕」ではその磯田さんの歴史オタク、古文書オタクぶりがよく分かります。

驚くことに磯田さんは15歳の時にすでに古文書を読みこなしていたとか。
高校の時に古文が苦手でかつ書道も避けてきた身としては、草書で書かれた文字は読むことが出来ず読めても意味が理解できないので異星人としか思えない。
そもそもは自身の高祖父が従軍した戊辰戦争を記録した「御奉公之品書上」という古文書を読み解こうとしたことからみたいですが、やっているうちに古文書が読めるようになったと言うのはその方面に素質があったとしか言いようがない。
読めるようになると面白くなってどんどん古文書を集めて解読するようになる。そうなると歴史の現場を直接見聞きした記録=一次資料から歴史の内幕を見ることが出来る。そこには官製の公式記録からは伺いみることが出来ない生活感のある細部が分かる。この本は一次資料から見ることが出来る歴史の内幕をいろいろ述べている。ほとんどは読売新聞に連載されたものなので短いですが読みやすい。その分体系だってものではないけど通奏低音としては一次資料から読み解ける歴史の実態。
官製の公式記録は時間がだいぶたってから時の為政者にとって都合の良い記述がされていて、敗者は敗れて当然の悪行とか傲慢とか誤りがあったとされている。何時誰の手によって記述されたのかをよく吟味しなければいけない。
もちろん一次資料と言えどもすべて正しいわけではないのだが、どうしてこういう書き方になったかと考えるとそれはそれで歴史の内幕が見えてくる。書いてある範囲は当然ながら古文書が残っている戦国時代から幕末維新ぐらいまでなのですが、日本は世界的に見ても古文書が残っている国。特に江戸時代は一般民衆迄識字率が高く太平な時代が続き完全に焦土となることがなかったからか武士だけでなく町民、農民の記録までいろいろな記録が残っている。
それにしても磯田さんの古文書オタクぶりはなかなかのもので、なじみの古書店に足繁く顔を出し掘り出し物の連絡があるとすぐに飛んでいく。小遣いはほとんど本代なのではと思ってしまいます。自宅の書庫にはどれだけの古文書があるのか。古書店主も商売は商売として古文書の本当の価値が知りたいし、分かる人に買ってもらいたいので声をかけるのだろう。磯田さんは結婚が出来ないと思っていたそうですがさもありなん。もっとも遅れても結婚はして子どもも出来たそうですけど。
ところでこの本で初めて知ったのだが、仙台藩領の吉岡という貧乏な宿場の旦那衆が現在の価値で3億円を拠出して、仙台藩の殿様に貸し付け利子を取ってその利子を宿場の家々に配り衰退を止めようとした話があった。旦那衆はほとんどの家財を拠出して宿場の衰退を止めようとしている。当時と言えば日本国という概念はほとんどなく町民にとっては仙台藩という概念も他人事。世界は宿場町の吉岡であって、公というのは宿場町。そこで9人の旦那衆が公のために起ちあがるのだが、私は後回し。無私の日本人です。もちろん9人の中でも付き合いで仕方なく最低限付き合っている者はいるのだが、中心となっている者たちは先祖代々続く家業の破産覚悟でのめり込んでいく。家族もそこに異論を言わない。磯田さんはこの話を知りもっとみんなに知ってもらいたいと「無私の日本人」を書いている。
「無私の日本人」には、穀田屋十三郎、中根東里、太田垣蓮月の3人が取り上げられていますが、本人たちは自分の名前を喧伝することを嫌い、今となっては全くの無名。矢鱈とマスコミに取り上げられることだけを価値基準としているある種の人々から見れば、馬鹿じゃないかと言われそうですが、その無私の生き方は清々しい。先日亡くなった渡辺京二さんの「逝きし世の面影」にあるように江戸時代の日本人の生き方には現代の私たちが捨て去ってしまった公のために無私となることを厭わない気概があったようです。
ところで仙台藩吉岡宿の話は磯田さんの本を原作に「殿、利息でござる!」という映画にもなっている。なんと仙台藩主に扮していたのは羽生結弦というのですが、この映画に関しても私は全く記憶にない。試写を見た人が原作者はもちろん出演女優も含めてみんな泣いたいい映画というのですが、興行収入も公開二日で2億円というヒット作だったと言うのですが、一度見てみたいものです。
歴史の面白さを一般視聴者に分かりやすく伝えて、もはやこの類の番組では欠かせない人材になっています。
因みに小田原城や岡山城に行った時には、お城の歴史や展示物の解説に磯田さんがビデオ解説に登場していた記憶です。もはや歴史ファンの間では一番のスターの感じです。
「日本史の内幕」ではその磯田さんの歴史オタク、古文書オタクぶりがよく分かります。
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驚くことに磯田さんは15歳の時にすでに古文書を読みこなしていたとか。
高校の時に古文が苦手でかつ書道も避けてきた身としては、草書で書かれた文字は読むことが出来ず読めても意味が理解できないので異星人としか思えない。
そもそもは自身の高祖父が従軍した戊辰戦争を記録した「御奉公之品書上」という古文書を読み解こうとしたことからみたいですが、やっているうちに古文書が読めるようになったと言うのはその方面に素質があったとしか言いようがない。
読めるようになると面白くなってどんどん古文書を集めて解読するようになる。そうなると歴史の現場を直接見聞きした記録=一次資料から歴史の内幕を見ることが出来る。そこには官製の公式記録からは伺いみることが出来ない生活感のある細部が分かる。この本は一次資料から見ることが出来る歴史の内幕をいろいろ述べている。ほとんどは読売新聞に連載されたものなので短いですが読みやすい。その分体系だってものではないけど通奏低音としては一次資料から読み解ける歴史の実態。
官製の公式記録は時間がだいぶたってから時の為政者にとって都合の良い記述がされていて、敗者は敗れて当然の悪行とか傲慢とか誤りがあったとされている。何時誰の手によって記述されたのかをよく吟味しなければいけない。
もちろん一次資料と言えどもすべて正しいわけではないのだが、どうしてこういう書き方になったかと考えるとそれはそれで歴史の内幕が見えてくる。書いてある範囲は当然ながら古文書が残っている戦国時代から幕末維新ぐらいまでなのですが、日本は世界的に見ても古文書が残っている国。特に江戸時代は一般民衆迄識字率が高く太平な時代が続き完全に焦土となることがなかったからか武士だけでなく町民、農民の記録までいろいろな記録が残っている。
それにしても磯田さんの古文書オタクぶりはなかなかのもので、なじみの古書店に足繁く顔を出し掘り出し物の連絡があるとすぐに飛んでいく。小遣いはほとんど本代なのではと思ってしまいます。自宅の書庫にはどれだけの古文書があるのか。古書店主も商売は商売として古文書の本当の価値が知りたいし、分かる人に買ってもらいたいので声をかけるのだろう。磯田さんは結婚が出来ないと思っていたそうですがさもありなん。もっとも遅れても結婚はして子どもも出来たそうですけど。
ところでこの本で初めて知ったのだが、仙台藩領の吉岡という貧乏な宿場の旦那衆が現在の価値で3億円を拠出して、仙台藩の殿様に貸し付け利子を取ってその利子を宿場の家々に配り衰退を止めようとした話があった。旦那衆はほとんどの家財を拠出して宿場の衰退を止めようとしている。当時と言えば日本国という概念はほとんどなく町民にとっては仙台藩という概念も他人事。世界は宿場町の吉岡であって、公というのは宿場町。そこで9人の旦那衆が公のために起ちあがるのだが、私は後回し。無私の日本人です。もちろん9人の中でも付き合いで仕方なく最低限付き合っている者はいるのだが、中心となっている者たちは先祖代々続く家業の破産覚悟でのめり込んでいく。家族もそこに異論を言わない。磯田さんはこの話を知りもっとみんなに知ってもらいたいと「無私の日本人」を書いている。
「無私の日本人」には、穀田屋十三郎、中根東里、太田垣蓮月の3人が取り上げられていますが、本人たちは自分の名前を喧伝することを嫌い、今となっては全くの無名。矢鱈とマスコミに取り上げられることだけを価値基準としているある種の人々から見れば、馬鹿じゃないかと言われそうですが、その無私の生き方は清々しい。先日亡くなった渡辺京二さんの「逝きし世の面影」にあるように江戸時代の日本人の生き方には現代の私たちが捨て去ってしまった公のために無私となることを厭わない気概があったようです。
ところで仙台藩吉岡宿の話は磯田さんの本を原作に「殿、利息でござる!」という映画にもなっている。なんと仙台藩主に扮していたのは羽生結弦というのですが、この映画に関しても私は全く記憶にない。試写を見た人が原作者はもちろん出演女優も含めてみんな泣いたいい映画というのですが、興行収入も公開二日で2億円というヒット作だったと言うのですが、一度見てみたいものです。