白鳥寄席ではいつも所長さんがあいさつするのだが、12月では熱田の独特な門松の話をしてくれました。
普通の門松と違い竹垣のようなものとか。
主に熱田の旗屋(当時は機屋)で飾られていたとかで、今では絶滅危惧種で旗屋でも飾られていない。どうしてかよく分からないけど今市内で確認できるのは大曾根の料亭「志ら玉」に熱田の門松が飾られているとか。
そういうのなら当然白鳥庭園の門松は熱田独特のものかと思ったら、さにあらず
少し豪華ですが普通の門松でした。
気になったのでいろいろな場所の門松を見てみたのですが、私が幼少の頃はちょっとした会社とか店舗では必ず立派な門松が飾られていたのですが、今では小さな松飾で済ませていたり印刷の年賀が貼ってあるだけで松飾など飾らないところが多くなっている。
そもそも門松は歳神様を迎えるための依代と言うか道しるべとなるもの。もはや正月に歳神様をお迎えして祭ると言う感覚はなくなって門松という風習自体が衰退してきたと言うことか。
それでもまだ門松を飾るところはあって、徘徊の途中で見つけたものは写真を撮りました。
熱田神宮では社ではなくて神宮会館に門松が飾ってありました。
でも普通の門松で熱田旗屋独自のものではありません。
実家の氏神の八釼社にも飾ってありました。
実家の学区には高田城の南北に富士八幡と八釼社があるのですが、なぜか富士八幡にはなし。
町中で見つけたのは、桜山の山田餅本店。
熱田神宮公園管理事務所にも飾ってありました。指定管理が造園業者の岩間造園なのでこれは当然か。
さすがにわざわざ大曾根の「志ら玉」へ行ってどうなっているか確認に行くほど酔狂ではないので、熱田独自の旗屋の門松とはどういったものかよく分からないままだったのですが、年が明けて白鳥庭園まで徘徊したら、清羽亭の入口にその門松が飾ってありました。
普通の門松とは全く違って竹がすくっと起ち上がっていて、上の方が竹でつながれています。見たことがない門松です。
横に案内板が立っています。
今の旗屋町は、当時は機織りの街で機屋。
独特の門松が並んだ町並みは竹林みたいだったとか。
今では全く見ることが出来ない風景です。こうして辛うじて保存されているのですが、どうしてこういう形になったのかはよく分からないまま。
日本のお正月の風景も世代とともに変わってきています。
普通の門松と違い竹垣のようなものとか。
主に熱田の旗屋(当時は機屋)で飾られていたとかで、今では絶滅危惧種で旗屋でも飾られていない。どうしてかよく分からないけど今市内で確認できるのは大曾根の料亭「志ら玉」に熱田の門松が飾られているとか。
そういうのなら当然白鳥庭園の門松は熱田独特のものかと思ったら、さにあらず
少し豪華ですが普通の門松でした。
気になったのでいろいろな場所の門松を見てみたのですが、私が幼少の頃はちょっとした会社とか店舗では必ず立派な門松が飾られていたのですが、今では小さな松飾で済ませていたり印刷の年賀が貼ってあるだけで松飾など飾らないところが多くなっている。
そもそも門松は歳神様を迎えるための依代と言うか道しるべとなるもの。もはや正月に歳神様をお迎えして祭ると言う感覚はなくなって門松という風習自体が衰退してきたと言うことか。
それでもまだ門松を飾るところはあって、徘徊の途中で見つけたものは写真を撮りました。
熱田神宮では社ではなくて神宮会館に門松が飾ってありました。
でも普通の門松で熱田旗屋独自のものではありません。
実家の氏神の八釼社にも飾ってありました。
実家の学区には高田城の南北に富士八幡と八釼社があるのですが、なぜか富士八幡にはなし。
町中で見つけたのは、桜山の山田餅本店。
熱田神宮公園管理事務所にも飾ってありました。指定管理が造園業者の岩間造園なのでこれは当然か。
さすがにわざわざ大曾根の「志ら玉」へ行ってどうなっているか確認に行くほど酔狂ではないので、熱田独自の旗屋の門松とはどういったものかよく分からないままだったのですが、年が明けて白鳥庭園まで徘徊したら、清羽亭の入口にその門松が飾ってありました。
普通の門松とは全く違って竹がすくっと起ち上がっていて、上の方が竹でつながれています。見たことがない門松です。
横に案内板が立っています。
今の旗屋町は、当時は機織りの街で機屋。
独特の門松が並んだ町並みは竹林みたいだったとか。
今では全く見ることが出来ない風景です。こうして辛うじて保存されているのですが、どうしてこういう形になったのかはよく分からないまま。
日本のお正月の風景も世代とともに変わってきています。