怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

小学校以来の小牧山

2022-09-18 19:45:58 | Weblog
新聞販売店からメナード美術館の招待券をもらったので、暇に任せていくことに。
地下鉄で平安通に行き、そこから上飯田連絡線経由で名鉄小牧線で小牧へ。名鉄は平日昼間は1時間4本なので連絡はイマイチ。でも敬老パスがあるので小牧まで片道300円。
小牧駅前はさみしい風景でどうも商店がない。とりあえず駅の観光案内所に行ってち地図をもらいます。
駅からメナード美術館へは1キロもなく、ぶらぶら歩いて15分ほど。

美術館は入り口重そうな扉で自動扉でなく、手で開けなくてはいけない。中も見えず本当にここを開けてもいいかと一瞬躊躇してしまいます。

企画展は「美術の森に生きるどうぶつたち」だったのですが、所蔵品展もあって、ゴッホにゴーギャン、セザンヌ、シャガールなど日本人好みの印象派の作品があり、それを見るだけでも来た甲斐があります。
一通り見ると丁度お昼時。でも周りに店がない。仕方ないのですぐ近くのアピタに行きフードコートのラーメンを食べて腹ごしらえ。
昼からはここから小牧山城を見に行く予定です。
実は小学校の社会見学で行った記憶があるのですが、何やら山を登った記憶だけあります。まあ、山と言っても標高80メートルちょっとなんですけど。
丁度この日は薪能があるとか秋祭りみたいで、入口は準備作業で込み合っている。台風も近づいてきていて関係者は天気予報ばかり見てやきもきしているんでしょう。
混んでいるところは避けて土塁沿いに西に歩いて大手道からのぼることにします。

ところがこの大手道、信長が作ったそうですけど真っすぐ直登。道の両側に郭があるという規模は違いますが安土城とよく似た構造。

高々標高差は50メートルぐらいなのですが、石段は幅が広く一歩で行かず足に響く。
坂の途中で上から土塁が見られるのですが、高さ8メートルあり2段になっていて間に空堀があり、強力な防御機能が見とれます。

この2段の土塁は復元されたものですが、信長時代ではなく小牧長久手の戦い時に徳川方が整備したものです。
結構ヘロヘロになって、大手道を登り切り、七曲道を経て本丸の下へ。
近年の発掘調査の結果、石垣が見えてきます。当時は城と言っても土塁で、本格的な石垣としては信長の小牧山城がごく初期のものです。


敵対する相手にかなり威圧感を与えたはずです。現実に近くの城の武将は城を放棄しています。
頂上には天守を模した小牧市歴史館があります。小学校の時にもあったような記憶ですが、本当にあったのか?信長時代にはまだ天守はなかったはずで、発掘調査でも瓦が出てこないので建築物はあったとしても瓦葺の建物はなかったみたいです。

この歴史館は入場料100円。さすが市の施設です。でも改修はしてあるのでしょうけど古さは否めずバリアフリーではなく、さらに階段を昇らないと展望室には行けません。
散々登ってきた後なので足にきく~(続きます)



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