8月25日の中日新聞の書評にも小さく載っていましたが、以前何かの書評で読んで予約していた本です。
王墓というとピラミッドとか仁徳天皇陵(大仙古墳)を始めとする巨大古墳とか始皇帝陵などが思い浮かびますが、その成立の秘密を国際比較しつつ謎解きしたものです。
一般的なイメージでは巨大な王墓は権力の象徴で、その建設に多くの人民を徴発し奴隷のようにこき使った専制君主が造営したもの。
しかし、日本での古墳時代は「謎の4世紀」とも言われ不明なことが多い。そして古墳時代が終わる7世紀には飛鳥に都が出来て国家体制が整い、国際舞台でも活躍するようになる。古墳時代よりもその後の方が専制君主の権力は弱くなったのか。普通に考えて飛鳥時代の方が体制が整い国家権力は強化されたと思う。
同じ様にピラミッド時代が終わったエジプトでも国家権力体制は整備され王の存在感は増していた。
どうも王墓は権力の象徴という考えの呪縛されていて、王墓の対する捉え方が間違っているのではないか。世界各地の巨大王墓は国づくりのために政治組織が再編され社会が流動化した時期に集中している。
著者は時代の転換期につき物の社会不安が顕在化した時、人々の要請に応えて王墓が誕生したとの仮説を提出。
当時の王は神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間であり、生贄のように神へ贈与された弱い王=神聖王という。専制君主とは正反対の存在であった。
王墓は自らの権力や権威を人々に見せつけると言う意味以上に、他と優美さや勇壮さを競い合い、それを継続していくことに維持される関係性が社会の分断を防止すると言う役割を果たしていた。王と神との協力関係を特定個人に固定せず、権力の集中を阻害する社会システムとして機能させていたと言うのだ。
そう言われると巨大古墳を造成した仁徳天皇は何をしたのかというと各地の豪族を切り従え強大な国家を作り上げたと言う話はあまり聞いていないし、民の竈云々という話しか知りません。でもそうなると律令制が整うまでの古墳時代の大王というのは弱い神聖王?強大な権力を握っていた訳でなくて人々の厄災をすべて取り込んで死んでいく神聖なる方?国府宮の裸祭りの神男みたいな存在?有力氏族との厳しい権力闘争に打ち勝って大王となると考えていたのでイメージが湧いてきません。古代史理解も大きく変わるのでしょうか。
ところで王墓には高価な副葬品がつきもので、めぼしい王墓は盗掘の餌食になっているのですが、素人考えとしては三種の神器ではないですが、一緒に埋葬するのではなくて代々引き継ぐのが普通では。武器などは埋葬してしまうと戦力低下でしょう。
ここで出されるのが「威信財」という考え。社会内を生産・流通・消費されながら循環する高い価値が付加された財を言います。豪華な副葬品は首長が自らの権力に任せて高価な品を独占して墓に埋めたわけではなく、富の集中による社会の分断を回避するために繰り返された威信財の贈与や交換を、神への贈与という形で終わらせる帰結点と捉える。特定個人に富を集中させないシステムだと。神聖王と一緒に埋葬してしまうことで富の不均衡を一度リセットしてしまうと言うのです。
ここで提示された仮説は、王墓=権力の象徴ではなく王の専制君主制化を抑制するシステムというもの。
ところが、王の神格化を強めれば強めるほど人々は王墓を重視しなくなり、神殿に直接礼拝することを重視するようにあり、神殿へと中心が移っていく。いつしか王と人々の距離が広がり神格化した王個人は剥き出しの権力を誇示する強い王となる。王墓の造営は王個人の私的な営為と為し、葬送儀礼は形がい化する。ここに至って王墓は縮小・解体への道をたどる。
どうもハリウッド映画の影響なのか強い権力を持ったファラオが人々を強制労働させて巨大なピラミッドを作ったイメージが強すぎて、なかなか腹にすとんと落ちないのですが、神聖王と威信財経済が王墓を誕生させ、それは大災害の記憶という原罪意識に駆り立てられた社会が過酷な造墓労働に自らを投じることになったと言う説はそれなりに説得力があります。
もっとも結構難しい議論も多々あり理解がついて行かなかったのも事実。この議論を踏まえ、もう少し日本の古墳について詳細に述べていただけるとよかったのですが、イマイチ?の連続で、空白の4世紀をとらえ直すとどう解釈できるのか。
それにしても用語の含めて難しかったのが印象。このレヴューもかなりいい加減な私の理解で、とっ散らかって書いたのですが、多少とも興味があれば自分で読んでみてください。
第9章でまとめと要約がありますので、時間がない人はそこだけでも立ち読みしてみたら。
王墓というとピラミッドとか仁徳天皇陵(大仙古墳)を始めとする巨大古墳とか始皇帝陵などが思い浮かびますが、その成立の秘密を国際比較しつつ謎解きしたものです。
一般的なイメージでは巨大な王墓は権力の象徴で、その建設に多くの人民を徴発し奴隷のようにこき使った専制君主が造営したもの。
しかし、日本での古墳時代は「謎の4世紀」とも言われ不明なことが多い。そして古墳時代が終わる7世紀には飛鳥に都が出来て国家体制が整い、国際舞台でも活躍するようになる。古墳時代よりもその後の方が専制君主の権力は弱くなったのか。普通に考えて飛鳥時代の方が体制が整い国家権力は強化されたと思う。
同じ様にピラミッド時代が終わったエジプトでも国家権力体制は整備され王の存在感は増していた。
どうも王墓は権力の象徴という考えの呪縛されていて、王墓の対する捉え方が間違っているのではないか。世界各地の巨大王墓は国づくりのために政治組織が再編され社会が流動化した時期に集中している。
著者は時代の転換期につき物の社会不安が顕在化した時、人々の要請に応えて王墓が誕生したとの仮説を提出。
当時の王は神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間であり、生贄のように神へ贈与された弱い王=神聖王という。専制君主とは正反対の存在であった。
王墓は自らの権力や権威を人々に見せつけると言う意味以上に、他と優美さや勇壮さを競い合い、それを継続していくことに維持される関係性が社会の分断を防止すると言う役割を果たしていた。王と神との協力関係を特定個人に固定せず、権力の集中を阻害する社会システムとして機能させていたと言うのだ。
そう言われると巨大古墳を造成した仁徳天皇は何をしたのかというと各地の豪族を切り従え強大な国家を作り上げたと言う話はあまり聞いていないし、民の竈云々という話しか知りません。でもそうなると律令制が整うまでの古墳時代の大王というのは弱い神聖王?強大な権力を握っていた訳でなくて人々の厄災をすべて取り込んで死んでいく神聖なる方?国府宮の裸祭りの神男みたいな存在?有力氏族との厳しい権力闘争に打ち勝って大王となると考えていたのでイメージが湧いてきません。古代史理解も大きく変わるのでしょうか。
ところで王墓には高価な副葬品がつきもので、めぼしい王墓は盗掘の餌食になっているのですが、素人考えとしては三種の神器ではないですが、一緒に埋葬するのではなくて代々引き継ぐのが普通では。武器などは埋葬してしまうと戦力低下でしょう。
ここで出されるのが「威信財」という考え。社会内を生産・流通・消費されながら循環する高い価値が付加された財を言います。豪華な副葬品は首長が自らの権力に任せて高価な品を独占して墓に埋めたわけではなく、富の集中による社会の分断を回避するために繰り返された威信財の贈与や交換を、神への贈与という形で終わらせる帰結点と捉える。特定個人に富を集中させないシステムだと。神聖王と一緒に埋葬してしまうことで富の不均衡を一度リセットしてしまうと言うのです。
ここで提示された仮説は、王墓=権力の象徴ではなく王の専制君主制化を抑制するシステムというもの。
ところが、王の神格化を強めれば強めるほど人々は王墓を重視しなくなり、神殿に直接礼拝することを重視するようにあり、神殿へと中心が移っていく。いつしか王と人々の距離が広がり神格化した王個人は剥き出しの権力を誇示する強い王となる。王墓の造営は王個人の私的な営為と為し、葬送儀礼は形がい化する。ここに至って王墓は縮小・解体への道をたどる。
どうもハリウッド映画の影響なのか強い権力を持ったファラオが人々を強制労働させて巨大なピラミッドを作ったイメージが強すぎて、なかなか腹にすとんと落ちないのですが、神聖王と威信財経済が王墓を誕生させ、それは大災害の記憶という原罪意識に駆り立てられた社会が過酷な造墓労働に自らを投じることになったと言う説はそれなりに説得力があります。
もっとも結構難しい議論も多々あり理解がついて行かなかったのも事実。この議論を踏まえ、もう少し日本の古墳について詳細に述べていただけるとよかったのですが、イマイチ?の連続で、空白の4世紀をとらえ直すとどう解釈できるのか。
それにしても用語の含めて難しかったのが印象。このレヴューもかなりいい加減な私の理解で、とっ散らかって書いたのですが、多少とも興味があれば自分で読んでみてください。
第9章でまとめと要約がありますので、時間がない人はそこだけでも立ち読みしてみたら。