怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

酒井順子「女人京都」

2025-01-08 15:43:21 | 
京都という街に惚れてしまった酒井さん。古い都なのですが、新旧いろいろな顔を持っていて、極端に異なる層が隣接して街のあちこちに顔を出している。
平安時代から明治時代に至るまで、都の文化を支えてきた女性たちも活躍しており、その人に関わる名所旧跡も多々ある。
今回は酒井さんがそんな京都の女性たちの姿を街の中に探して案内してくれます。
勿論京都の歴史に残るスターとしては、平安王朝文化最盛期の頃の紫式部とか清少納言、和泉式部になるのですけど、最初に登場するのは光明皇后に高野新笠です。うん?高野新笠は桓武天皇の母親だからわかるけど、光明皇后は奈良時代の聖武天皇の御后、京都と何の関係がある?実は清水寺境内にある子安塔が目指す場所。光明皇后が安産祈願したとの言い伝えがある。へ~、奈良時代の頃から清水寺のあった場所は清らかな湧き水湧く地として信仰の対象だったんだ。
ここから時代順に京都に足跡を残した女性の姿を追っていくのですが、次は斎王として神に仕えた女性たち。と言っても私が知っているのは警固の武士と割りない中になった済氏女王ぐらいか。それなりにスキャンダラスな事件で春画の題材にもなっているので知っていると言うのはどうも志が低い。
もっとも平安時代の男女関係はかなり奔放で女性も貞操を守るなどと言うこととは無縁みたいでした。小野小町とか薬子・高子・伊勢などはもてたのでしょうけど様々な男女の機微を知りつくし、それを芸の道に昇華させて優れた和歌を残しています。
さていよいよ中宮彰子と紫式部の登場。当然御所の中心にいたのでしょうけど、今の京都御所は当時とは場所が違っていたとか。でも京都御苑は美しい自然が堪能でき静かで趣があって平安の世を偲ぶには最適。私が小学校の修学旅行で行った記憶では、やたら広い砂利道を歩かされて疲れてしまい何の感慨もなかったのですが、そこから60年近く生きてきた今行けば感じることができるかな。
道長は彰子のサロンを魅力あふれるものにするため紫式部を教養・文芸担当のエースとしてスカウトし当時貴重だった紙を与えて源氏物語を書かせ、さらには紫式部日記を書かせています。どうやら紫式部日記は道長に公開を前提で書くように言われていたみたいで、それならば清少納言とかへの悪口雑言は分かります。
対する清少納言は皇后定子のサロンの教養文芸担当として活躍するのですが、定子は道長によって没落していくことに。そんな中清少納言は定子とそのサロンがどんなに素晴らしかったかを枕草子で縷々述べています。政治の世界の暗闘がすぐれた文学を生み出したのでしょうか。
この後平安女流文学のスターたち、藤原道綱母、和泉式部、菅原孝標女が登場、そのゆかりの地を訪ねていくのですが、みんな石山寺に参籠しています。石山寺は昨年比叡山の帰りに参拝していますが、平安時代だと徒歩しかないし都と比べればかなり鄙びているので大変だったのでは。
ここから平安時代を終え院政の時代に移るのですが、以後の女性はよく知らない人が多くなる。
ところでこの本は連載記事をまとめたものですが、この辺りからコロナ禍が忍び寄ってくる。外出も自粛で旅行などもってのほか。実際に京都の名所旧跡を訪ねることが難しくなる。地図を見つつ脳内散歩という次第。今は便利なものでストリートヴューもあるのですけど、現場の空気に触れないと物足りない。
そんな自粛生活の間に、平安時代の女性にとっての「憧れる」とか「籠る」とか「日記を書く意味と思い」等をコロナ禍の状況に引き付けて思考を飛ばしています。
やっと旅行ができるようになると時代は鎌倉、室町、江戸へと移っていきます。日野富子、北政所、淀君とかは知っていますが、なじみのないメンバーが多くなってきます。詳しくは読んでみてください。
やっぱり京都千年の都で名を成した女性は平安時代が頂点だったですかね。
京都に何度も行ったことのある人は、この本片手にあまり知らなかった足跡を巡ってみるのもいいのでは。




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1月6日テニス始めの予定は雨

2025-01-07 14:30:05 | テニス
正月ゴロゴロするばかりでなまった体を復旧させるべく1月6日は鶴舞公園テニスコートでテニス始めの予定でした。
ところが正月の間は天気がよかったのに6日は雨の予報。低気圧が西から進んできて5日の夜には既に九州は雨。
でも低気圧の進行速度によっては午前中はいくらかできるかと淡い期待を抱いていたのですが、朝起きると雲が低く垂れこめている。

日の出の7時前の写真ですけど、太陽の気配もなし。
それでもまだ雨は降っていなかったのですけど、天気予報で雲の動きを見ると9時には雨雲に覆われている。

果たして7時30分にはポツポツと降り出してきた。
残念ですけど、これはもう中止にせざるを得ません。
こんなことなら正月3が日にでもコートを取っておけばよかったか。正月と言っても家で駅伝を見ているだけなのですから、孫の相手をしなければいけない人を除けば参加者はいたかも。何年か前には正月にコートを取ってテニスをした時もあったのですけど、あの頃はみんな元気でした。
ということで今年のテニス始めは来週になりました。
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本郷和人「承久の乱」

2025-01-03 21:07:30 | 

源平の乱から鎌倉幕府成立から承久の乱までの歴史はほとんど高校日本史レベルの基礎知識も怪しいくらいだった(ちなみに私の受験科目は世界史と政治経済)のですが、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て源平の戦いだけでなく、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから承久の乱までの関東武士団内部の血で血を洗う抗争に興味を持ち、図書館で目にすると関係する新書を読んでみるようになってきました。本郷和人さんは中世史が専門なので時流に乗ってかいろいろ本を出していて、そのうち何冊かは読んでいます。でもこの「承久の乱」は「鎌倉殿の13人」の放送前に出版されたもの。

読んでみるとこれが面白い。実録鎌倉幕府仁義なき戦いともいえるもので、まさに権謀術策と剥き出しの武力行使。もともとは伊豆の小さな地方豪族に過ぎなかった北条氏が頼朝に従い時政、義時と実権を握っていく過程は何でもありの血に塗られている抗争の連続です。ドラマを見る前に読んでおけばよかったと後悔しています。

頼朝が鎌倉幕府を開いてからも政治の実態は朝廷と東国武士政権の二元支配体制。将軍はその支持基盤である東国武士団の上にのった神輿のようなもの。平氏との抗争には血統書付きの頼朝が必要だったのですが、平氏が滅亡すれば神輿は軽い方がいい!それが証拠に二代将軍頼家も三代将軍実朝も自分の考えと力で動こうとすれば東国武士団から排除されてしまう。承久の乱で朝廷の力がそがれてしまうと源氏の血統は必要とされずにお飾りの将軍が就任するだけとなってしまう。

承久の乱は日本の在り様を朝廷中心から武士の支配するものに変えるターニングポイントだったのであり、歴史の大きな転換点だったのです。その割にはあまり一般に知られておらず源平の争いの方に注目が集まっている。一つの要因は大きな転回点にもかかわらず承久の乱の戦いがあまりにも関東武士団の圧勝で大きなドラマになるような場もなく短期に終わったからなんでしょうか。
知らなかったのですが、後鳥羽上皇は決して文弱の御簾の中にいるだけの人ではなく、文武両道で経済的にも軍事的にも大きな力を持っていたそうです。
承久3年5月15日に後鳥羽上皇が北条義時追討の命令の出してから、5月22日には幕府軍は東国武士を糾合し京都に向けて進軍。因みにその際北条政子のの大演説があったと言うのは物語の世界で、政子は御家人たちの前に姿を現し話をしていないそうです。
当時の戦力としては本郷さんの推計によれば幕府軍が1万騎ぐらいで、朝廷軍が1700騎ではないかと。大軍に驚いた朝廷軍は早々に木曽川防衛ラインを放棄。関ケ原辺りで迎え撃つのが常道なんでしょうけど6月13日には京都の最終防衛ラインの近江の瀬田と山城の宇治で決戦となる。
幕府軍はこの戦いを制して京都に進軍、占拠。
後鳥羽上皇は6月15日には全面降伏ともとれる院宣をだす。追討令から1月というあまりにもあっけない敗戦なのだが、この院宣により朝廷は今後政務に口を出さず、武力を放棄することを宣言している。武士の統治する世界が名実ともに始まる訳です。
ではなぜ文武両道で大きな力を持っていたはずの後鳥羽上皇はこんなにも簡単に敗れてしまったのか。
後鳥羽上皇の敗因は第8章で分析されているのですが、動員できる武士はたまたま京都にいる武士だけで守護の支配国の武士たちを根こそぎ動員することは出来なかった。さらに上皇と武士の身分が違いすぎて、武士たちは軍事的な作戦についても上皇に直接話をすることが出来ずに朝廷の貴族を通してしか意思伝達が出来なかったと言うのは軍事戦略を練り、作戦立案するには決定的に不利になる。上皇一人が文武に優れていても軍事行動を起こすには朝廷の統治機構自体が不適だったのだが、上皇が徒に武に優れていただけに暴発してしまったと言うことか。
その後、幕府は六波羅探題を置き朝廷を監視下に置き、御成敗式目を制定し江戸時代へと続く武士の支配する時代へとなる。
承久の乱に至る朝廷と鎌倉幕府、東国武士団との凌ぎあいは、本当に知的好奇心を刺激されました。


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