【貴志俊彦著、岩波書店発行】
著者は1959年兵庫県生まれで現在、京都大学地域研究統合情報センター教授。専門は東アジア近現代史。主な著書に「二〇世紀満洲歴史事典」「模索する近代日中関係―対話と競存の時代」などがある。本書では東アジア・ポピュラー音楽関係の膨大な和書や洋書、アジア言語図書に当たって、その栄枯盛衰を詳細に辿っている。
「東アジアの流行歌を、時代性・地域性・社会性の3つの側面から説き起こすこと」。序章に本書の目的についてこう記す。副題に「越境する音 交錯する音楽人」。戦前の東アジアでは歌曲や音楽人が国境を跨いで交流したが、著者は大きく分けて日本本土とその植民地の「帝国圏」と、中国本土と南洋の華僑社会の「華語圏」に二分できるとみる。
第1章は「東西音楽の融合―ダンス音楽とレコード歌謡の幕開け」。そこから第6章の「植民地と革命の継続―香港と中国」まで時代を追って流行歌の変遷を辿る。この間の第2~4章では戦前~戦中の「アリラン」ブームや「満州歌謡」ブーム、「夜来香」「支那の夜」「蘇州夜曲」など〝大陸歌謡〟のヒット、朝鮮語流行歌の禁止などについて触れる。第5章「戦争の残影」では台湾や韓国での日本語歌謡一掃の動きを追う。
東アジアでの流行歌の終焉時期を「中国は1950年代(おそらく北朝鮮も)、日本は70年代、韓国は80年代、台湾は90年代」とみる。日本で58年に始まった「ロッテ歌のアルバム」は玉置宏の名調子で人気を呼んだが、約20年後の79年に終了した。グループサウンド台頭の中で流行歌離れが加速した。台湾、朝鮮半島は戦前~戦中、日系レコード会社の拡張を支えたが、「皇民化運動の進展とともに台湾語、朝鮮語の使用を禁じ、日本語で統一させようとしたことこそ、流行歌の衰退を促すことになった」と指摘する。