【奈良市の「人権ふれあいのつどい」で講演】
奈良市の「人権ふれあいのつどい」が5日、学園前ホールで開かれ、日本文学者で東京大学大学院総合文化研究科教授のロバート・キャンベル氏が「誰もが生きやすい多文化共生社会の生き方」と題して講演した。キャンベル氏が九州大学の文学部研究生として来日したのは1985年。来年で丸30年になる。
キャンベル氏は東京都議会でのヤジ発言を見て、自分自身の心の中にも差別がないか自問自答したという。「差別的な振る舞いがまかり通っているのを見ると悲しくなるとともに、もったいないなと思う。日本人1人1人には非常に良識があるが、グループになると差別が生まれやすい。外の人に対して心無い発言をしたり主義を否定したりする傾向があるようだ」。専門の日本文学にも触れながら「文学者は書くことで生きるとは何なのかを問うてきた。それは究極的には〝尊厳〟だと言えるのではないか」と話した。
キャンベル氏は病床にある明治時代の俳人ら2人が最期の時に向かってどう生きたかを闘病記をもとに紹介した。中江兆民(1847~1901)は咽喉がんで医者から「一年半善く養生すれば二年」と宣告されて、随想記『一年有半』を書き始めた。医者に余命を聞いたのは「此間に為す可き事と楽む可き事と有るが故に一日たりとも多く利用せんと欲するが故」。キャンベル氏は「病気に対し一度ものろったり、ののしったりしなかった」と兆民の潔い生き方に共感する。
もう1人はこの兆民の随想に刺激を受け、結核療養中に『病牀六尺』を新聞に連載した正岡子規(1867~1902)。連載100回目にこう書いた。「百日の日月は極めて短いものに相違ないが、それが余にとっては十年も過ぎたやうな感じがするのである」。連載は死の2日前、127回まで続いた。キャンベル氏は「2人は病状が進行していく中で、生きるとは何か、自分とは何かを毎日考えながら書き続けた。〝究極の個〟に追い込まれた人の生き様は、1つの参考として生活の中に生かしていくことができるのではないか」と話した。