【南山城の弥生遺跡出土の土器や石剣など約300点を一挙に公開】
京都府木津川市山城町の府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)で、企画展「巨椋池(おぐらいけ)と木津川をめぐる弥生遺跡」が開かれている。巨椋池は宇治川、桂川、木津川の合流地点にかつてあった広大な池。昭和の干拓事業で姿を消したが、その周辺に多くの弥生集落があったことが次第に明らかになってきた。同展では10市町の22遺跡から発掘された土器や石剣、石斧、管玉など300点余を一堂に展示している。8月31日まで。
巨椋池北西部には下鳥羽遺跡(京都市伏見区)や雲宮遺跡(長岡京市)などの弥生前期の遺跡がある。これらは府内で最も古い弥生時代の遺跡で、多くの土器をはじめ大陸系の磨製石斧、石包丁、木製農耕具などが出土した。雲宮遺跡の集落は2重の環濠に囲まれていた。木津川流域の弥生前期の遺跡にはいち早く方形周溝墓を採り入れた稲葉遺跡(京田辺市)がある。(上の写真㊧は雲宮遺跡から出土した最古級の壷、その右は神足遺跡出土の河内産台付き鉢。右の写真は市田斉当坊遺跡出土の弥生土器)
弥生中期になると遺跡の数も大幅に増える。市田斉当坊遺跡(久御山町)からは国内最古級の木組み井戸や碧玉製管玉を作った工房が見つかり、近江や摂津、河内などの土器も出土した。神足(こうたり)遺跡(長岡京市)からは河内産の優美な台付き鉢も見つかっており、当時の地域間の活発な交流をうかがわせる。鶏冠井(かいで)遺跡(向日市・京都市)からは銅鐸鋳型が出土。下植野南遺跡(大山崎町)からは80基を超える方形周溝墓群と土器類が発掘された。墓域は広さ1万7000㎡に及ぶ(上の写真2枚)。
佐山尼垣外(さやまあまがいと)遺跡(久御山町)の弥生中期後半の方形周溝墓群からは線刻で数頭のシカが描かれた大きな壷が見つかった(下の写真2枚)。幸水遺跡(八幡市)や南垣内(みなみがいと)遺跡(京田辺市)からも方形周溝墓が発掘され、南山遺跡(同)からは竪穴住居16棟が見つかった。南山遺跡出土の板状鉄斧は数少ない弥生中期の鉄製品として注目される。
弥生後期に入ると南山城全域で遺跡が激減する。その中で竪穴住居39棟と方形台状墓2基が見つかった木津城山遺跡(木津川市)は希少な存在。椋ノ木遺跡(精華町)では後期後半の溝から近江や東海地方など他地域産を含む大量の土器が出土した。内里八丁遺跡(八幡市)の洪水で砂に埋まった水田には稲株の痕跡が残っていた。南山城地域にはまだまだ多くの弥生遺跡が眠っているに違いない。