【沿道から「おめでとう!」の掛け声、花傘巡行も】
京都・祇園祭のハイライト「山鉾巡行」の後祭(あとまつり)が24日、京都市中心部の都大路で繰り広げられた。交通事情などで1本化されていた山鉾巡行が前祭(さきまつり)と後祭に分離されるのは49年ぶり。今年は大船鉾(おおふねほこ)=下の写真=が150年ぶりに復興されたこともあって、長い伝統を誇る祇園祭にとっても画期的な年となった。
山鉾巡行はかつて17日の神幸祭と24日の還幸祭に合わせ前祭と後祭が行われていた。後祭は「後の祭り」の語源ともいわれる。今年からほぼ半世紀ぶりに元の形に戻ったわけで、17日の前祭では23基、この日の後祭では10基が巡行した。午前9時半、山鉾は烏丸御池を東に向け出発、京都市役所前での〝くじ改め〟を経て河原町通、四条通と、前祭とは逆のコースをたどった。先頭は〝くじ取らず〟の橋弁慶山。続いて北観音山、八幡山、浄妙山、鈴鹿山、南観音山、鯉山、役行者山、黒主山。そして注目の大船鉾がトリを飾った。
下の写真=上段㊧から橋弁慶山、北観音山、八幡山、中段㊧から浄妙山、鈴鹿山、南観音山、下段㊧から鯉山、役行者山、黒主山
大船鉾は幕末1864年の「蛤御門の変」による大火で車輪や木組みなどの大部分を焼失、以来、〝休み鉾〟となって巡行には参加していなかった。鉾の復興は多くの有志による寄付や他の山鉾町からの支援などで実現した。全長約7.5m、高さ約6.3mで、大きな船をかたどった重厚な造り。その雄姿を一目見ようと沿道には幾重もの人垣ができた。見物客からは「おめでとう」と掛け声が飛び、交差点で豪快に方向転換する〝辻回し〟がうまくいくと、ひときわ大きな拍手と歓声がわいた。四条町大船鉾保存会の松居米三理事長(下の写真上段㊨の前列手前)をはじめ関係者にとって、まさに感無量の1日だったに違いない。
午前中には八坂神社と京都市役所間を往復する「花傘巡行」も行われた。山鉾の古い形態を再現した傘鉾とともに、子ども神輿や祇園太鼓、獅子舞、鷺踊など総勢約1000人が参加して、にぎやかに目抜き通りを練り歩いた。行列には祇園甲部と宮川町の舞妓さんたちも参加して彩りを添えた。この日夕から深夜にかけては、四条御旅所から3基の神輿が八坂神社に戻る還幸祭(別名「おかえり」)が行われた。1日に始まった祇園祭もこれで主な行事はほぼ終了。残す主な神事は31日の疫神社夏越祭(八坂神社境内)のみとなった。