く~にゃん雑記帳

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<奥田蓮取り行事> 金峯山寺の蔵王権現に供える蓮の花の摘み取り

2014年07月08日 | 祭り

【奈良県無形民俗文化財、約30人の行者による大護摩供も】

 修験道の祖、役の行者(小角)ゆかりの「奥田蓮取り行事」が7日午前、大和高田市奥田の捨篠池(すてしのいけ)で行われた。今が盛りと咲き誇る蓮の花たち。その蓮池に漕ぎ出した蓮取り舟には行者2人も乗り込んで高らかに法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らした。摘み取った蓮のつぼみ108本はその日午後、行者衆によって吉野山まで運ばれ、金峯山寺で執り行われた「蓮華会」で秘仏の蔵王権現に供えられた。

 蓮取り行事は吉野・竹林院が所蔵する室町時代(15世紀半ば)の文献「当山年中行事条々」にも記されており、少なくとも約600年前から行われてきた。舟を使った蓮取りは明治時代初めの1870年代に途絶えていたが、1997年の市制施行50周年に舟を新調したのを機に復活した。今では奈良県の無形民俗文化財に指定されている。  

 この蓮池には「一つ目蛙」という民話が語り継がれている。池のそばに立つ「役の行者生誕地伝承」の石碑によれば――。行者の母・刀良売(とらめ)が白蓮の上に現れた金色に輝く蛙に、何気なく岸辺の萱(かや)を抜き取って投げたところ蛙の片目を射抜いた。再び水面に浮き上がってきた蛙は土色の一つ目になっていた。刀良売はこのことを気に病み、やがて亡くなる。役行者はこれを機に発心して修行を積み、吉野の山奥に分け入って蔵王権現を崇め、蛙を追善供養し母の菩提を弔った。

 

 

 蓮取りは午前10時、花火を合図に始まった。その後、行者衆約30人は摘み取った花のつぼみを3つの樽に入れ1列になって善教寺→福田寺→刀良売の墓を巡り、蓮池そばの弁天神社へ。福田寺は役の行者の生誕の地といわれ「行者堂」とも呼ばれている。善教寺は役の行者創建の捨篠院の旧跡に立つ。かつて行者産湯の井戸があったという。

   

 弁天神社では正午から大護摩供が営まれた。点火に先立って弓矢や真剣などの儀式。行者衆の中には女性の姿も目立った。そのうちの1人が呪文を唱えながら東西南北など上空5~6カ所に向けて矢を高く放った。続いて男性の行者が護摩の正面に立って、気合いとともに剣を縦横に振り回す。悪を祓って清めるための儀式だろう。その迫力はすさまじいばかり。

 

 開始から約30分、ようやく護摩に火が入った。打ち鳴らされる太鼓、一心に般若心経を唱える行者たち、もうもうと煙を上げて燃え盛る大護摩……。行者の一行はこの後、金峯山寺蔵王堂での蓮華会と蛙飛び行事に参列した。8日には蓮の花を持って大峯奥駈道を辿り、山上ケ岳山頂の大峯山寺にも供える。 

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