kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

官側の無策、差別追従も民間のデマも昔日のことではない  「福田村事件」

2023-09-17 | 映画

2023年は、関東大震災100年ということで「朝鮮人虐殺」に焦点を当てた様々な集会、イベントが開催された。市民レベルでは震災時の朝鮮人を含む虐殺・差別の歴史を忘れまいとする意思が示されたものと思う。しかし、公のレベルではどうか。朝鮮人虐殺の記録はないと言った松野博一官房長官や朝鮮人追悼慰霊祭への文章を拒否した小池百合子東京都知事の態度は許せないものだ。関東大震災における朝鮮人虐殺については公文書で確認されているし、否定言説などあり得ない。今年も朝鮮人虐殺慰霊祭の会場で虐殺そのものを否定し、日本人が「不逞鮮人に殺された」などと声高に叫ぶ右派集団の言説を後ろ押しするかのような官製ヘイトの様相さえ感じる(くだんの右派集団は、結局慰霊祭会場へは近づけなかった)。

「A」や「i 新聞記者」などドキュメンタリー作家として数々の映画を制作してきた森達也監督が満を辞しての挑んだのが劇映画「福田村事件」である。「福田村事件」は朝鮮人が虐殺されたのではない。しかし、殺した側は朝鮮人と思い凶行に及んでいる。朝鮮人なら殺して構わないと思っていたということだ。映画は、殺された香川県出身の行商人が被差別部落出身であること、自分たちは「(朝)鮮人ではない」などと重曹的な差別も露わにする。そのような優越意識に支えられて福田村に入った行商人一行は自分たちに敵意の刃が向くことなど想像だにしてなかったろう。そして、村人たちが凶暴な人殺しになるとは。

森達也監督は、本作を制作することになった動機を重ねて話している。それは「A」などの取材でオウム真理教の信徒に幾人も出会ったが、みな温厚で優しい人だったと。とても集団殺戮に加担するようには思えなかったと。しかし同時にそういう一人ひとりは穏やかでも集団になるとサリン事件を起こすことになるのだと。集団の怖さを描く実話として福田村事件を取り上げた。しかし、企画は通らず長くあたためていたそうだ。それが、フォークシンガーの中川五郎が「1923年 福田村の虐殺」を作詞(曲はアメリカ民謡が元となっている)し、歌ったことで、プロデューサーの荒井晴彦がぜひ映画にしたいと思い、制作が現実化したという。だが、中川がもともと森達也の『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(2003 晶文社。2008年にちくま文庫版)を読み、作詞を思いたったからというのだから、偶然と人の思いの重なり合い・奇遇さを考えずにはいられない。 

関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を放り込んだ」「暴動」などとするデマの拡散に大きな役割を果たしたのが、時の山本權兵衛内閣の無策や東京都警察のデマをそのまま信用した対応であることが明らかになっている。現在の言葉でなら「官製ヘイト」ともいうべき対応を繰り返したのである。様相はもちろん違うが、松野官房長官や小池都知事の対応は、虐殺を認めない悪質なものであるし、当時は新聞がデマ拡散に大きな役割を果たしたが、現在ではネットで瞬時に拡散する。現に東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)では、悪意のデマがSNSで拡散した。

官側の無策や誘導と、民間の偽情報拡散。そこに放り込まれた一般民衆は、根底にある朝鮮人(やその他マイノリティ)に対する差別感情と、被報復意識を基底に「一人ではないから」一気に暴走した。「虐殺のスイッチ」はそこかしこに存したのである。映画では、冷静さを説く村のインテリ層である村長や朝鮮半島帰りの元教師の非力さも描かれる。結局、合理的、論理的言説で村人の暴走を抑えようとした「インテリ層」「リベラル層」が集団主義というエモーションに敗北した姿だった。

 「福田村事件」では結局虐殺の首謀者らは逮捕、起訴されたが、大正天皇「崩御」の特赦で解放されている。故なく朝鮮人(と間違えて)虐殺したのに天皇の名の下に解かれる歴史の実相、いや、天皇即位に基づく「恩赦」の規定は現在も生きていることを忘れてはならない。人々に巣食う差別意識と天皇制国家は不可分な関係であることが明かなのだ。

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画家は戦場で何を見たか そして美術史は戦争を今語るべきか 『反戦と西洋美術』

2023-09-04 | 書籍

著者の岡田温司先生(直接存じ上げているので、こう呼ばせていただく)は、博覧強記の方である。大学教授たるものそうでなくてはならないという面もあろうが、岡田先生はとても多くの著作があり、もともとのご専門がなんであったか不明なほど、その言及範囲は多岐にわたる。近年は影(陰)や、鏡、膜といった「間メディウム」に関する著作が多いようだが、それでも美術の地平から、作者の思惑を超えて、見る側、それが社会的にどういう意味を持ち、どう影響してきたかといった広範な関係性にかかる記述は美術にとどまることはない。

その岡田先生が、ロシアがウクライナに侵攻し、日本では安倍政権以降「軍拡」路線が進む中での危機感を基底に「反戦」を直接取り上げられたことに感慨を覚える。美術史・美学がご専門の人は、多くの人は現実の政治状況・国際関係にコミットしないし、その姿勢は少なくとも「非政治的」に見える。そして、政治学や社会学、国際関係論など実学部門、歴史学など過去の戦争を研究主体とする分野、あるいは憲法学、国際関係法などの法学から遠いと思われている芸術分野で現実政治に拘って発言する人は稀だ。

しかし、芸術作品とてその時代で起こった大きな事象、戦争が最たるもの、と無縁でないことは明らかで、有名なのはピカソのゲルニカなどであろう。『反戦と西洋美術』では、前近代の戦争画から紐解くが、著者によれば西洋において戦争の悲惨さに直面したのは17世紀からであるという。十字軍やルネサンス期のイタリア諸国の抗争では、英雄譚や勝利の栄光が描かれてきたからだ。それが、バロックの巨匠ルーベンスが三十年戦争におけるカトリックとプロテスタントの対立、ハプブルグ家とブルボン家の抗争に時期、戦争の悲惨さをギリシア・ローマ期の神々に訴えさせる形で描いたのが戦争画の転換点、嚆矢というのだ。確かに戦争終結の講和条約であるウエストファリア体制は主権国家の集合体であるヨーロッパの完成ともされる。しかし、主権国家間の対立は止まず、その後も数々の戦争を西洋は経験した。そして、戦争のフェーズが変わったのが、ザ・グレート・ウォーたる第一次世界大戦である。

タンク車、塹壕、毒ガスという総力戦、殲滅戦はそれまでと比較にならないくらいの若い命を奪った。画家もその例外にもれない。青騎士の仲間として友人のマルクやマッケを失ったパウル・クレーは自国の飛行機が落ちたことも喜んだ。そして、オットー・ディックスをはじめ、戦争の悲惨な面を容赦無く描く画家も多く現れた。第二次世界大戦になると、ユダヤ人であるということのみで逃れ、収容所で命を落とした者も少なくない。

そもそも第一次世界大戦という未曾有の不合理ゆえにダダ、そしてシュルレアリスムが発生、発展した歴史があり、ナチスの思想に反するとされたシュルレアリストたちも脅威にさらされた。マックス・エルンストをはじめアメリカに逃れた作家も多い。アウシュヴィッツで殺されたフェリックス・ヌスバウムのような戦後に奇跡的に発掘されたユダヤ人画家もいる。さらに、大戦後のヨーロッパで戦中の恐怖、鬱屈、韜晦、悔恨などさまざまに複雑な感情をドローイングでほとばしらせたのがジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエといったフランス人画家もいた。

もう世界大戦など起こらないと東西冷戦構造を横目に起こったのがベトナム戦争であり、それに対する大きな反戦のうねりもあった。河原温、草間彌生、オノ・ヨーコといった在米日本人作家が直接的な表現ではないにせよ、ベトナム反戦の作品を明確に打ち出していた。ベトナム戦争への抗議と抵抗は著者によると、フェミニズムとアート界の体制批判として特徴づけられるとする。そのいずれもが、ベトナム戦争以降、あらゆる戦争や体制へのアンチをその後表現し続けてきた今日を思えば的確な洞察だろう。

本書には、聞いたことのない作家、作品も多く紹介されるし、時代背景と無縁ではないそれらを取り上げる意義が丁寧に説明される部分など、岡田先生のいわば美術と世界(史)を結ぶ手綱に唸らされっぱなしであった。本書の的確、詳細な評は筆者の能力を超えるが、新書という形態ゆえ、多くの人に読んでほしい好著であると思う。そして、ここからは勝手な思いだが、ロシアのウクライナ侵攻により、戦争が人類にとって常時身近にあると認識させられた現在こそ、美術史家として、このような書を世に出さねばと岡田先生は考えたのではないだろうか。(『反戦と西洋美術』2023 ちくま新書)

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ホロコースト作品が私を離さない  アウシュヴィッツからの生還2作

2023-08-23 | 映画

「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」は欧州議会議長に女性として初めて選出されたシモーヌ・ヴェイユの生涯を綴る物語だが、その大きく占める枢要部分はアウシュヴィッツなど強制収容所の体験談である。そして「アウシュヴィッツの生還者」は、主人公の戦後の人生に強制収容所での体験がフラッシュバックする描き方だ。

かくも映画ではホロコーストが幾度も描かれてきたし、たくさん観てきた。なぜ、幾度も描かれるのだろう。そして何度も観てしまうのだろう。人類史上最悪とも言うべき大量殺戮を可能にした経緯と、そこに至る差別や優生思想の発露など歴史の汚点を最大限追体験できるからだろうか。その戒めによって、もうあのような歴史を繰り返してはならないというヒューマニズムの発露なのだろうか。そう言う面ももちろんあるが、自分自身を振り返るともう少し別の意味もあるように思う。

1944年、16歳で捕えられたシモーヌは母、姉ミルーとともにアウシュヴィッツに送られる。しかし、ソ連の進軍でナチス・ドイツが敗退を重ねていた時期、別の収容所への死の行進。次々と斃れゆく中でも親子三人は生き流れえるが母はついに事切れる。解放後、男性社会を懸命に生きたシモーヌはやがて法務官として刑務所改革に取り組み、国会議員として中絶合法化を成立させる。そんなシモーヌがアウシュヴィッツを訪れ、その頃の経験を詳しく語り出したのは2004年。78歳。その時点ではまだ政界を引退していなかった。

一方、「アウシュヴィッツの生還者」では、ボクサーのハリー・ハフトの現実に強制収容所での体験が挟み込まれ、彼はその記憶に苛まされている。ポーランド系ユダヤ人のハフトは「生還者」として英雄視されるが、なぜ生還できたのか。それは彼がナチスの軍高官の余興で開かれた収容所でのボクシング・マッチに勝ち続けたからだった。敗れたユダヤ人はその場で殺された。そのような過去を明らかにしたのは収容所送りで生き別れた恋人レアに自分の無事を伝えたいからだった。しかし、名を売るために挑戦したとんでもなく格上の相手にコテンパンにされて、レアを探すのを諦め引退を決める。しかし、戦時トラウマは拭いきれなかった。

シモーヌに加害体験はないが、目の前で母を助けられなかったサバイバーズ・ギルトの思いはあるだろう。ましてや、ハフトは多くの同胞を死なせ、また彼を支えた妻にも打ち明けられなかった収容所での壮絶な体験は、解放後彼を苛むに十分だ。ボクシングしか教えることのないハフトは、肉体戦には向かなそうな息子にトレーニングを強要し、息子もまた父親と距離があり疎ましいようだ。けれど、レアと再会できたハフトはやっと息子アランに全てを打ち明ける。アランが書いた父親の体験談が映画となった。だから「アウシュヴィッツの生還者」は全くの創作ではない。ホロコーストは描ききれていない。いや、描くには個々の物語がありすぎるのだ。

現在、自身を顧みてもホロコーストのような生か死かといった究極の選択を迫られる状況にはもちろんなかった。けれど、個々の関係で他者への思慮を欠いた言動は、ときにその時の思惑以上に他者を蔑んだり、傷つけたりしたことがあるはずだ。だから、それを思い出すことで苦しくなる。ましてやホロコーストだ。

戦時のPTSDは、やっとアメリカのイラク戦争帰還兵で明らかになり、ベトナム戦争時のそれも後追いで明らかになりつつある。

人を傷つける、あるいは、傷つけてしまったという悔悟を大事にしたいと思う。

(「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」は2022、フランス。「アウシュヴィッツの生還者」は、2021年、カナダ・アメリカ・ハンガリー作品)

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学芸員の矜持だけでは救えない文化政策の貧弱さ 「わたしたちの国立西洋美術館」

2023-08-17 | 映画

私がアジアの国へあまり行かなかったのは、たいてい海外旅行は美術館目当てで、それも西洋美術に触れるためであるからだ。だから、身辺事情の変化やコロナ禍、昨今の円安、原油高などで海外渡航が叶わなくなった現在、国立西洋美術館(西美=セイビ)は数少ない目標地となった。

その西美が2020年10月からル・コルビジェが構想した創建時の姿に近づける整備のために休館した。休館中の内部にカメラが入り、収蔵品の移動・整理、館長をはじめ学芸員(研究員)らのインタビューを交えた構成で、西美及び日本の美術館の歴史、役割、課題等に迫るのが本作である。監督は「春画と日本人」を撮った大墻敦(おおがきあつし)。大墻は長らくNHKで美術をはじめ様々なドキュメンタリーを制作してきた。

描かれるのは、学芸員らの美(術作品)に対する愛と、それをどう美術館に集う人に提供できるかと試行錯誤する姿である。しかし、日本最大の西洋美術の殿堂にして、職員はたった20人という。ただ、修復部門を含めて職員全てが学芸員とも考えられないし、任期採用も多いだろう。そして、美術館の仕事は展示や収集だけではない。企画はもちろん、海外美術館やギャラリーなどと対外折衝、広報、図録の制作やグッズの販売など多岐にわたる。在仏美術ジャーナリストはフランスの美術館はそれらを網羅的に備える態勢になってきたと話す。だが、西美は「国立」ながら独立行政法人。自前の予算は悲しいほど少ない。そして、日本で開催される美術展が新聞社やテレビ局の大手メディアの予算で成り立ってきた歴史も明らかにされる。

日本における西洋美術(画)の紹介、導入の歴史は幕末開国から明治初年の揺籃期を経て、黒田清輝を嚆矢とする海外留学組の存在、大正デモクラシー前後の前衛への傾倒、日中・太平洋戦争期の国策に沿った活動だけが許された時代を経験し、戦後の表現の自由の時代とそれを体現した西洋美術への渇望の時代へと連なる。そして同時にフェロノサ・岡倉天心に始まる日本美術の優位性からの攻撃、日本美術か西洋美術かの濁流に揉まれてもきた。その中にあって、松方幸次郎が日本にも本格的な西洋美術館をとの構想のもと、莫大な収集を始めるが、金融恐慌で断念。戦後、散逸したコレクションを日仏友好の証しとして日本へ返還(ただし、真にフランスを代表する作品は返還されなかった)され、その展示場所して建築されたのが西美であった。そして西美のあと、特に高度経済成長期に全国に美術館の建築ラッシュが起こる。それがいずれも今改装期に入っている。どれだけ西洋美術作品に特化した美術館ができても、西美の「王座」の位置は揺るがなかったはずだ。

上述したように西美の予算は小さく、自前の企画で収益を上げるのは困難極まりない。これはそもそものこの国の文化予算の貧弱さと、西美の独法化、いや、公立美術館の多くは指定管理者制度のもと採算重視を迫られている。そこでは新自由主義的な発想、「選択と集中」がそもそも儲けを前提としない学術や文化の領域まで侵食していることは明らかだ。

本作の焦点ではないが、公立の美術館(展)の抱える課題は表現の自由をめぐる世界でも大きくのしかかる。2019年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を始め、会田誠作品の撤去要請(2015 東京都現代美術館)、最近でも飯山由貴の映像作品の上映禁止(2021 東京都人権プラザ)もあった。

西美の一人ひとりの職員の矜持に敬意を表するとともに、図書館の自由ならぬ「美術館の自由」もぜひ守り抜いてもらいたいと思う。

(「わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏」は7月15日以降公開中)

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「ボク」が「ボク」でいられることを感じられたあの頃 Concert for GEORGE

2023-08-12 | 映画

「ハーモニカがあまりにもできないので小学校を卒業できないのではないか」と恐れていた。歌うのも、楽器も全くダメ。このブログで音楽作品を扱うのは珍しい。しかし、大袈裟にいうとビートルズ少年だった自分のあの頃の存在価値、理由を思いおこさせるナンバーだったのだ。

現在、小・中・高の不登校生徒の多さが問題となっている。特に義務教育の小中にスポットが当たっているようだ。高校は嫌ならやめればいいからだ。陰湿ないじめに遭っていたわけではない自分は不登校にもならず、退学も考えたこともなかった。だが、力のある同級生のいじめの標的にならないよう「パシリ」の日々。学校にいたボクはボクではなかった。家でビートルズのカセットに耳を委ねている時だけボクがいた。そんな気がした。

音楽のことはまるで分からないのに、20世紀最大のミュージシャンは?と問われれば「ビートルズ」と賛同してくれる人も多いのではないか。レーベルを出してからのグループとしての彼らの実働はたった10年。しかし、その影響力は絶大で、「ボク」のように活動を直接知らない世代にまで夢中にさせた。

ビートルズというと、その圧倒的な音楽的才能からジョンとポールの合作作品が多く、年下のジョージは少ない。しかし、インドに傾倒し、そのエッセンスを取り込んだ名盤サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドでインドテイストを全開。最も好きなアルバムだ。そのジョージがおそらくグループ解散後、ソロ活動をなす中で自己の道を定めたのだろう。ビートルズ時代から親交を結んでいたエリック・クラプトンがジョージの没後1年で開催したコンサートの記録映像が本作である。

ビートルズ時代は、ジョンとポールの作品ばかりアルバムに採用され、自作が取り上げられず不満だったともされるジョージだが、クラプトンはじめ外部ミュージシャンとも積極的に関わった。だから、クラプトンはこのコンサートを発案した。ビートルズ全体の中では少ないジョージの作品、サムシングやヒア・カムズ・ザ・サンなど心地よいメロディが流れる。そう、あの時も同じだったのだ。

学校は勉強しに行くところ。部活動にも参加していなかった自分は勉強以外の部分で他者と関わりたくなかった。しかし、理数系が苦手な「ボク」が選んだコースは大学進学を考えていないクラス。ヤンキーぽい、遊んでいる生徒が多いクラスだった。休憩時間には化粧を直す女子生徒と、「おぼこい」「ボク」に分からない話で盛り上がる男子生徒。イジメの対象にならないためには力のある(と思われている)学年を代表する(と思われている)同級生に媚びへつらうこと。御用聞よろしく、「○○君。ボクがやるよ」と。

中学時代、粗暴な同級生に殴られたりしたこともあり、成績により彼らとは同じ高校に行くまいと得た地がやっぱり知力ではない力が支配する世界とは。ただ、程度の差はあれ、神童でもない限り、「ボク」のような凡庸な成績でちょっと上に行き、現状から逃れようと考えた者も多かったのではないだろうか。

幸い大学に進学し、彼らと関係は切れ、「パシリ」生活は終わった。だが、イジメや陰湿な攻撃は職場でももちろんあるし、その後「ボク」から「私」となった自分も経験した。

ジョージの一番傑作、代表作である「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がなかなか演奏されないなと思っていたら、ラストにクラプトンが「泣きのギター」を奏で、歌い出した。もう、そこでは涙でぐちゃぐちゃだ。学校で仮面をかぶっていた「ボク」ではなく、ビートルズに癒された「ボク」を思い出したからだろう。

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加害者か被害者か、視点・視線への想像力 「キャロル オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩(うた)」

2023-07-28 | 映画

映画は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以前に制作されたという。だが、プーチン大統領がウクライナの子どもたちを「戦利品」として強制的に移送、移住させた罪で国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ている現在、戦争に巻き込まれた子どもの境遇という意味で既視感を覚えた。

戦争が起こった当時、子どもにその罪はない。しかし、罪があるとされた大人の子孫はどうか。それを深く考えさせる本作だ。そして罪がない子どもと意識して、子ども守ろうとした大人はどう遇されるのか。被害者だと思っていたら、立場が変われば突然加害者の立場に置かれる。戦時下、十分苦しい生活、思いをしてきたのに、戦争が終わったら、今度は戦勝側から断罪され、流刑される。子どもたちとは引き離される。

ポーランド領土だったウクライナのスタニスァヴフ。1939年、裕福なユダヤ人が持つ建物にウクライナ人とポーランド人の一家が店子として入居する。やがてポーランド人の夫婦は侵攻してきたソ連に、ユダヤ人夫婦はナチス・ドイツにより連れ去られる。残された子どもたちを必死に守ろうとするウクライナ人のソフィア。音楽教師で歌の先生だ。ソフィアに歌を学んだ子どもらは美しい歌声を響かせるが、やがて外出は一切できなくなり、夫も失う。ユダヤ人が住んでいた1階に入居してきたドイツ人将校一家も、子どもを残しソ連兵に拉致される。ソフィアは、自身の子に加えて、ユダヤ人、ポーランド人そしてドイツ人の子どもまで匿おうとするが。

戦争が始まるまでは、ウクライナ人はポーランド人を快く思ってはいなかったし、ソ連が侵攻してきた際には、すでにナチスの占領国であったポーランド人を迫害。そして、ナチス・ドイツの侵攻により、ユダヤ人は絶滅収容へ送られ、ソ連による「解放」後は、ドイツ人は収監対象に。その時代、時代によりソフィアに投げかかられる言葉。「なぜ、ポーランドの味方を?」「ソ連側の人間か?」「戦犯ナチスの子どもをなぜ助ける?」と。

子どもに罪はないし、子どもであること以上に違いはない。それが権力を握った側には通じない。国際人道法の概念も確立していなかった時代。悪しき国家を支えた大人も悪で、当然その子孫も排除すべき悪なのだ。もちろん、自由や平和を求めて、あるいは時の圧政に声をあげ、戦いきれなかった大人 ―ソフィアを含む― たちに、全く罪がないわけではない。しかし、戦争が生み出す憎悪は連鎖し、決して消えることのない民族や民衆、市井の人々の記憶としてDNA化されるものだとも思える。

ドイツや戦後ソ連に支配され続けたポーランドから見れば、いつも「やられっぱなし」という感覚だろう。しかしそのポーランドもウクライナにとっては侵略者だった。そのウクライナもロシア系住民から見れば、脅威だった(だから、プーチンは軍事侵攻を正当化した)。かように国と国、民族と民族の歴史的転生は被害者になったり、加害者になったりと立場を変える。しかし、少なくとも近代国家成立以後の紛争では、あからさまな侵略、圧政、殺戮の被害者側はその記憶を忘却できるはずはない。

翻って、日本の右派勢力などが韓国や中国にいつまで戦時中の日本による加害をことあげするのかとの立場はなんともおめでたい発想と思える。忘れてはならないのは被害者ではなく、加害者の方なのだ。国策による被害者側が和解を申し出ない限り、加害者側に忘却の特権は認められないと記すべきだろう。ソフィアの矜持「巻き込まれた子どもに罪はない」の上にさらなる想像力を問われる。(2021年 ウクライナ・ポーランド作品)

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法廷で描かれる葛藤の正体とは  「サントメール ある被告」

2023-07-23 | 映画

日本に裁判員制度が導入されて14年になる。辞退率の高さ、裁判員に対する秘密保持の広さなど課題は多々あるが、定着してきたとみて間違いないだろう。

フランスは日本が裁判員制度を導入する際に参考とした参審制度の国である。参審制とは、アメリカやイギリスで採用されている陪審員制度と違い、裁判官と市民が協働して審理に関わり、判断する。日本独自の形態としての裁判員制度は、現在でも市民が法曹のプロである裁判官の先導に追従してしまうのではとの指摘もあるが、これまでのところ、裁判官による強引な訴訟指揮との声は少なそうだ。もともと日本の刑事裁判は当事者主義が採用されていて、裁判所主導で証拠調べなど審理が進ことは基本的に想定されていない。その感覚からすると、本作で描かれるフランス裁判所の審理風景は驚きだ。

生後15ヶ月の娘を海岸に置き去りにして死なせたとされるセネガル出身の母親ロランスを裁く法廷。動機が不明。裁判長は「なぜ、娘を殺したのか」「分かりません。裁判でそれを知りたい」。被告人であるロランスに矢継ぎ早に質問を繰り返し、その生い立ちまで根掘り葉掘り。

しかし、被告人質問の前に登場する証人らこそロランスが精神的に追い込まれた(のではないか)とされる要因を垣間見せる。ロランスと親子ほど歳の違う、娘の父と目される男性はロランスの妊娠、出産に気づかなったと当事者性のかけらもない。高学歴でフランス語を完璧に話すロランスだが、アフリカ人が「ウィトゲンシュタインを学ぶのは不可解だ」と証言する教授。女性、エスニシティに対する差別意識が顕になる。そして、ロランスが自国のウォロフ語ではなく、母親から「完璧な」フランス語を話すことにこだわり、育てられたとの桎梏も明らかになる。ロランスは呪術の仕業と持ち出し、検察官はそんな証拠はないとますます混迷を深めるが。

実際にあった事件をもとに脚本は書かれ、法廷でのやり取りは調書どおりに再現したとされる本作。実事件と違うのは、それらの様子が、被告人と同じセネガル出身で学者にて作家、母親との葛藤を抱え、自身妊娠中であるラマの視点から描かれることだ。ロランスが自分を「合理主義者だ」と証言しながら、動機も経緯も不合理極まりない事件の真相が追及されるのではなく、ラマが自分こととして事件を受け止めるとき、物語は見る者の「腑に落ちる」。長らくフランスの植民地であったセネガル出身者が、フランスでどのようなアイデンティティを持ちうるのか、どのように白人社会から見られているのか。人種、学歴、女性、複層的な課題こそがロランスの動機であり、「実存」であったのかもしれない。弁護人が母親と子どもの細胞、遺伝子的な結びつきを「キメラ」の話を通して長い最終弁論を終えた時、それまで固く、冷厳としたロランスが泣き崩れる。

興味深いのは、裁判官3人も書記官と思しき人も、2人の弁護人も皆女性であることだ。フランスの司法官(裁判官と検察官)の女性比率は7割近いという。日本の2〜2.5割と大きく異なる。また個人的には参審員の役割ももっと知りたかった。

サントメールはフランス北部の小さな町。聖なるオメールが原題だが、オメールそのものがもともと司教区の地名であるらしく(そもそも人名)、その聖性は、差別や偏見、何らかの固定した意識に凝り固まった者には感じられないのかもしれない。(「サントメール ある被告」は、アフリカにルーツを持つアリス・ディオップ監督作品 2022)

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拳をペンに変えて学んでいく  「ぼくたちの哲学教室」

2023-07-21 | 映画

もうずいぶん前に亡くなった私の父の口癖、子どもだった私に対する評は、いつも「理屈が多すぎる」だった。何か口答えしようものなら「理屈を言うな!」。彼の言う「理屈」とは何なのか? なぜ「理屈」を言ってはいけないのか? 多ければいけないのか?一切の説明はもちろんない。私がきちんと反論できるようになった時は、彼はもう衰えていた。

父のような戦前生まれ、それも大正時代に生まれた男性の多くはそのような思考傾向が多いのかもしれない。何せ、時代は自分でものを考えることを許さない天皇制軍国主義の下、一兵卒として従軍した父も「理屈」抜きに先輩兵から殴られたこともあったろう。「理屈」抜きに、大陸で中国人を殺したり、殺す場面に遭遇したり、同僚が斃れた姿も目にしたかもしれない。「理屈」の通じない世界をくぐり抜けてきたと言える。そこは紛れもなく言葉ではなく暴力が支配する世界であった。

従兄弟同士でよく喧嘩するディランとコナーを前に、ケヴィン校長がなぜ暴力を振るったのか聞くと、ディランが「だって、パパがいつも言ってる。“相手がかかってきたら必ず殴り返せ”。」ここでケヴィン校長がディラン役(D)、ディランが父親役(F)になり、即行のサイコドラマを演じる。D「親父は殴り返した時、どんな気持ちだった?」F「自慢と、少し心残り」D「どんな心残り?」F「昔一度誤って違う相手を殴ってしまった」D「どんな気がした?」F「いい気はしない」D「どんな気持ちだった?」F「申し訳ない…悲しい気持ちかな」D「そうなんだ、俺も殴った時、相手と同じ気分になった。それが嫌なんだ。昔は厳しい環境だったから殴ったんだろうけれど、俺は誰も殴りたくない。先生や仲間、親父と話して解決したい。だから、親父も俺に“殴れ”と言わないでほしい」F「そうか、わかった」D「俺のこと嫌いになる?」F「いいや、まさかそんな」D「親父、大好きだよ」

(パンフレット訳文から抜粋、意訳)

この映画の焦眉で、かつとても素敵なシーンだ。

舞台は北アイルランドのベルファスト。それもプロテスタント系住民とカトリック系住民が激しく争ったアードイン地区。そこにホーリークロス男子小学校はある。れっきとしたパブリックスクールだ。しかしこの学校が他校と大きく違うのはケヴィン校長主導で「哲学」の授業と日々の実践があること。紛争が一応「停戦」に落ち着いたベルファスト合意が1998年。しかしその後もホーリークロス女子小学校事件(通学するカトリック系の子どもたちをプロテスタント系住民が激しく罵倒、通学妨害。2001年)など紛争が完全に収まったわけではない。そして、映画に出てくる子どもらはそれより後に生まれた子らで、直接は紛争を経験していない。しかし親の世代は暴力が支配し、敵対する相手を激しく憎悪した時代の経験者なのだ。だからディランの父親は暴力には暴力でという発想にもなる。

ケヴィン校長も若い頃は「強い男」であるべきだと、自らの拳でたたかってきた。だが、拳に頼った自身の過去を恥じ、暴力のない社会をと哲学を学び、やがて教員、校長となる。彼の目指すべき道は明確だ。校内でおこるあらゆる喧嘩や口論は、ケヴィンのオフィス外の「思索の壁」に書き込むこと。書くことで自分を客観視できる、冷静になれる。拳をペンに変えることで暴力は防げると。

哲学というと、昔日の偉人の格言、金言とされる短い語彙にゲンナリして、その言葉が発された裏に深く、長い思索があることに思いが至らない。ケヴィンもたまに引用するが、そんな格言を知ることが哲学でないことを実践する。不満や怒りは、そのメカニズムを知ることで暴力へと発展する悪しきサイクルを断ち切ることができる。それが言葉を何よりも大事にした哲学の授業なのだ。

理屈を嫌った私の父は、不合理、不条理を内面化していた世代とも言える。それらに抗い続ける言葉を現在の私は欲している。王制の国、イギリス。ベルファストの紛争では、ロイヤリストがリパブリカンを激しく攻撃した歴史もある。そして、ブレグジットによって再び、北アイルランドはグレートブリテンから孤立する立場に晒された。独立派の動きとともに緊張が続く。哲学によって暴力が回避されることを祈り続ける。

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塀の中にこそ明らかになった渇望  「大いなる自由」

2023-07-16 | 映画

ホフマンが何度もタバコに火を着ける。その炎と放つ光ははかない。そのはかなさ故か、ホフマンのこれまでの人生を想起させるメタファーか、炎はすぐに消える。けれどもホフマンの思いは続く。

ホフマンはナチス政権下で同性愛者との理由で拘束、収監されている。ナチスからドイツ市民を解放した連合軍のもとでも同性愛行為は違法。だから、強制収容所からそのまま解き放たれることなく、戦後ドイツの刑務所に移送されたのだ。他者を傷つけるなどの何らかの犯罪を犯したわけではない。性志向そのものが犯罪であった時代の話である。しかし、同性愛が非犯罪化されるのは東ドイツで1957年、西ドイツでは1969年である。しかも女性の同性愛は「ない」ものとして、男性だけを罰する(しない)法改正であった。男性たちは違法な逢瀬をどこでしていたか。公共トイレである。そこにも監視カメラが据え付けれ、違法=逸脱行為をなす男たちを見張っていた。そのフィルムが回されるところから本編は始まる。

ホフマンが移送された先で、同室になったヴィクトールはあからさまに拒否する。「変態と同室でいられるか!」。刑法175条と収監者の罪状が明記されているからだ。だが、ホフマンの腕に強制収容所にいたことの証としての認識番号を見て、ヴィクトールは「(刺青で)消すか?」と提案する。そこから、ヴィクトールとホフマンの友情は始まる。

岸田文雄政権はG7の中で日本だけがLGBT(Q)に対する法整備が遅れているとの実態から、急ぎ「理解増進法」を成立させた。法はあくまで「理解増進」であって「差別解消」でないことが問題と当事者団体等から指摘されている。同法の審議段階では与党自民党内から、「女性」と自称する男性の女性トイレや女風呂に入ることを妨げられないのではとの懸念が反対理由と示された。トランスジェンダーの当事者が、自己の出生時の性とは異なる性で社会生活を送る場合、公共トイレなどの施設を利用する際には、できるだけ外見的にも自分自身の意識ともトラブルのない段階でやっと、自己認識の性の側を選ぶという実態を無視したヘイト言説だとも思うが、今般の議論の遅れにかなり寄与しただろう。首相秘書官による差別発言もあった。

時代はもっと頑固である。ホフマンは何度も収監される。でもホフマンは刑務所内も含めて自己の愛を止めようとしない。いや、止めることなどできないだろう。興味、趣味ではなく性向であるのだから。いや、性向でさえもない。本源的な愛だ。ホフマンが刑務所への出入りを繰り返す中で、殺人を犯し長期収容されているヴィクトールに幾度も出会う。ヴィクトールには分かるのだ。ナチスの時代、強制収容所をくぐり抜けてきたホフマンこそ、自己を曲げない、曲げられない人間であることを。罰するべきではない個人の性向を法律で縛ることの不平等さを。

イスラム社会をはじめ、現在も同性愛を違法とする国は多い。しかし、あれだけ異性愛を最上のものとしてきたカトリックの国でも同性婚は合法化されてきた。一人ひとりが幸せを得るための価値観は変わっていくものだ。そしてそれを示すものとして、ヴィクトールという得難い友人を得たホフマンにとって、刑務所こそ自由で、外の世界には自分の居場所のない不自由な世界というパラドックスも本作は明らかにしている。

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『死刑すべからく廃すべし 114人の死刑囚の記録を残した明治の教誨師・田中一雄』 「大逆事件」の過酷がまた明らかに

2023-06-28 | 書籍

著者には『大逆事件 死と生の群像』(2010岩波書店)という労作がある。労作というのは、『大逆事件』の取材に10年以上の歳月をかけ、その後も『飾らず、偽らず、欺かず 管野須賀子と伊藤野枝』(2016 同)、『一粒の麦 死して 弁護士・森長英三郎の「大逆事件」』(2019 同)と徹底して「大逆事件」を追及してきた最近作であるからである。実は、著者の田中伸尚さんには30年以上前に講演をお願いしたことがあり、その中で「大逆事件」で死刑判決、減刑、獄中で自死した高木顕明のことを取り上げられた。であるから著者にとってこの労作には40年いやそれ以上を超える取材とこだわりがあると考える。

著者は『大逆事件』で、幸徳秋水、管野須賀子ら以外の著名ではない被告人に思いを馳せる重要性を指摘している。そうである。24名もの冤罪で「大逆」を問われ、うち12名が判決後まもなく頚きられた戦前日本で最大級の国家犯罪であるのに、その雪冤が全くなされていない。『一粒の麦』では、死刑を免れた坂本清馬の戦後の再審請求を担当した森長を取り上げたが、本書の教誨師・田中一雄はさらに資料がない。どこに光を当てるのか、当てられるのか。田中一雄の手記には森長の調査の過程で出会ったという。200人を超える死刑囚の教誨師を務めた田中は浄土真宗の僧侶であった。そして著者の記するように当時の教誨は「教育勅語にもとづく国民道徳を説き、極悪人の心を落ち着かせて死を受け入れさせる『安心就死』であった」(4頁)。しかし、田中は死刑(制度)に違和があった。教誨を通して、死刑囚が自己を振り返り、十分な機会が与えられれば更生の可能性が大きいと感じていたからだ。制度としての死刑の壁はあつく、田中の悲憤はどう描かれたか。

本書は4章構成である。教誨した114名分の記録を残した田中のその全体像から、死刑囚に寄り添う姿勢を分析する第1章。多いのは強盗殺人や田中が取り上げる「情欲殺人」といった現代の刑法概念で捉えると、動機の背景や態様が複雑ではなくどちらかというと「粗暴犯」に分類される事案かもしれない。しかし、そのようないわば単純な動機や犯意を持つ被告人は、更生の可能性こそ高いと田中は考えた。「手記には、情欲に絡んだ殺人事件は十数件を数えるが、いずれについても田中は『死刑の必要なし』『死刑するには及ばず』『死刑は無益なり』などと言い切っている。」(43頁)

さて、人を実際に殺したわけでもなく、その「謀議」にかかずらったとされるだけであるのに24名もの死刑判決を出した大逆事件を扱う第2章。判決からわずか6日で12名の死刑が執行されたこともあり、どの死刑囚にどのような教誨がなされたか不明な部分が多い。執行には立ち会った田中も手控えには判決をそのまま写すのみで、感想もない。著者は「『大逆事件』が政治的でっち上げでもそれを見抜ける立場にはいなかった田中は紛れもなく明治人で、同時代のほとんどの人びとに共通する明治天皇への敬愛は強かったろう。それゆえ押し黙ったように寡黙になったのだろうか。」(101頁)と推しはかる。同時に「『沈黙』を貫いたのは田中のぎりぎりの抵抗だったのかもしれない。」(104頁)。しかし手記から田中が管野須賀子の明晰さを読み取り、著者によればお互いを尊重する交流があったことを示す資料もある。ただ、やはり大逆事件の核心は実行行為ではなく、思想そのものを刑死させる(当時の)刑法第七十三条の存在であった。大逆事件後の田中の教誨メモは一気にそっけなくなる。

田中の手記が残された経緯を辿るのが第3章。その最重要のキーパーソンたる教誨師がキリスト者の原胤昭(たねあき)である。田中から手記を託された原がその保管と分析に尽力した。田中一雄が旧会津藩士で前歴があり、医師でもあった。それがなぜ東京で僧侶となり、教誨師を務めることになったのか。真偽を確かめる道行きが第4章である。結局決定的な立証とはまではいかないまでもその可能性は十分にあり、幕末維新の激動期、その激動の目撃者たる旧会津藩という特殊な出自、さらに天皇教には完全に絡め取れなかったクリスチャンの原に手記を託した必然性。

物語は多分終わらない。「死刑制度」は「未決の問題」であり続けるからだ(204頁)。田中の、生きていてこそ更生が得られるという考えは、浄土に行く仏教概念より、肉体の復活を信じるキリスト教に近いとも言える。しかし、現実に死刑はあり、現在も続く。冤罪が明白である袴田巌さんの再審が決まったのはついこの間だ。だからこそ「死刑すべからく廃すべし」なのだ。

(『死刑すべからく廃すべし 114人の死刑囚の記録を残した明治の教誨師・田中一雄』2023 平凡社)

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なんと「うつくしく、やさしく、残酷」か    「怪物」

2023-06-13 | 映画

何十年も前なので記憶の上書きをしていると思うが、小中高を通して、いじめられないように立ち回る学校生活を送っていた。それは、いじめられたり、その1番のターゲットになりそうな同級生を見ていたからだ。けれど、逃げ通すことはできず、中学では殴られ、高校ではパシリを進んでしていた。幸い、大学ではいじめの対象とはならなかったが、就職してからも自分にキツく当たる先輩から逃れようと、彼の視界に入らないよう工夫もした。けれど、あちら側にすれば避けているのが見え見えだ。

子どもは実は残酷と言われる。ある面でそうであり、またそうでもないだろう。あるいは無垢とも言われるが、それもまた両面ある。しかし、子どもだけのことだろうか。大人にも残酷と無垢な面もあるだろう。ただ、違うのは社会性を備えた大人はそれらの面を自分の意思で操作したり、また、わざとそういう面を生きていることが多いということだ。そして善人、悪人の境目など常人には不確かで不可分だ。

「怪物」とは何者で、誰がそうなのか? あるいは、どんな人でも内なる「怪物」を有しているのか。安藤サクラ演じる麦野早織は、シングルマザーとして一人息子の湊を愛し、大事に育てている。その湊に異変が、突然髪を切り、スニーカーが片一方しかない。永山瑛太演じる担任の保利先生に暴力を振るわれたと訴えたため、学校に乗り込む。全く無表情、能面のような校長(田中裕子)、極限まで自己保身にまみれている副校長。無理やり謝罪させられる保利先生はやがて全校集会で謝罪、辞職する。保利先生の視点で描かれた現実は違っていた。彼には何の非もなく、むしろ湊がクラスメートの星川依里をいじめているように見えた。依里は同級生の中では小柄で、どこか他の子らと違ったところがある。そして湊の視点。

角田光代がコラムを寄せている。子どもからの視点に移った時点で「ようやく観客は、入れ子の箱のいちばん最後に隠されていた真実を知ることになる。なんとうつくしく、やさしく、残酷な真実だろうか」とネタバレになることなく本作をズバリと言い当てるあたり、さすがベストセラー作家だ。そう、おそらく港や依里のほんとうの姿が「うつくしく、やさしく、残酷」であったため、ある意味起こった事件と言える。そして、他の主たる登場人物、早織も、保利もその多面性を抱え、そして子どもも含めて他者に対して「怪物」であった時もあった。複雑な関係性 − 二者間ではその複雑さが理解されないことも多い ― そのものが「怪物」を育てていたのだ。人間関係そのものが「怪物」であったのだ。

「誰も知らない」、「万引き家族」をはじめ、子どもを中心に「家族」を問い続けてきた作品で高い評価を得ている是枝裕和監督は、自ら脚本を手がけるのに、本作は坂元裕二に任せた、いや、坂本の脚本ならと監督だけを引き受けたそうだ。坂本は、2022年度のテレビドラマの賞を総なめした「エルピス 希望、あるいは災い」の佐野亜裕美プロデューサーと組んで好評だった「大豆田とわ子と三人の元夫」の脚本家である。

映画が始まると、当初、居心地が悪かった。善人そうに見える早織も、その他の人たちもそんなに悪い、深慮遠謀を凝らした悪巧みを隠しているようには見えない。しかし不穏なのだ。そして子どもは、どこまで子どもで「小さい大人」なのだろうか。学校が舞台ということもあり、ある意味、日本的な描写だがラストまで一気にすすむ。目が離せない秀作だ。

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ぶっとばす対象は今もある 梶原公子『男社会をぶっとばせ! 反学校文化を生きた女子高生たち』

2023-06-01 | 書籍

何十年も前の自分の高校生時代を思い返してみた。卒業後すぐに事故で亡くなった同級生がいた。格闘技系で横柄な彼を私は苦手だったが、いじめられた訳でもないのでお葬式には出た。その場で級友がつぶやいた。「Aは勉強は嫌いだったけれど、学校は好きだった。」。多分そうだろう。けれど、比較的いじめられっ子だった私は、「(科目にもよるが)勉強は好きだったけれど、学校は嫌だった」。

『男社会をぶっとばせ! 反学校文化を生きた女子高生たち』には勉強しに行くわけでもないのにせっせと登校する学校が好きな少女たちが主人公だ。「ヤンキー」である彼女たちを著者は「女版野郎ども」と呼ぶ。「野郎ども」とは、学校教育で成功を手にいれるという能力主義万能の世界とは正反対の「反学校文化」を体現したイギリスの労働者階級の少年たちを指す(ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』1985 筑摩書房)。学校の勉強に励み、規則をきちんと守っても社会で「成功」する地位にはならないと分かっているから、小さな反抗を繰り返す彼ら。著者の勤めた公立のH女子高校は、がんじがらめの管理教育校だったのがどんどん「自由な校風」になり、高校ぐらいはと進学してくるヤンキーの巣窟に。それとわかる服装に始まり、教室での化粧はもちろん、喫煙、禁止されているバイト、そしてセックスがある。高校生も真面目に、に重きをおいていた著者も彼女らの実態に触れ、話を交わすうちに変わっていく。学校はメリトクラシー(能力主義)が貫徹した社会、そしてある程度そこで勝ち上がったとしても勝ち続け、逃げ切れるわけではない。ましてやそのアリーナにも立てない底辺女子校に来る私たちなんてと自分らを客観視、達観していると気づくのだ。そしてその中でどう生きていくか、生きながらえていくか。すぐに男に頼ったり、そして稼がない、育児をしない、暴力を振るうなどの男はすぐに切る。そもそもセックス後の危険負担は全て女性だ。現実主義者なのだ。ここでは「高邁な」フェミニズムは不要。同時に個人的なことは政治的なこと。

H女子高校の生徒らは、自分らとは正反対の真面目で、学歴をつけ、働き続けられる正規労働に就けたとてしてもガラスの天井があり、決定の場からは排除され、就職時には対等だと思っていた夫は家事も育児も自分任せで、どんどん昇給・昇進していくことを見抜いている。そんなアホらしい現実に気づいている。体感していたからだろう。家庭で、学校の規則や教員らの姿勢で、バイト先で感じる社会に。

著者は、半世紀を超え、かつての教え子(と言っても、そもそも授業を聞かない生徒らに対し、「授業をしません」宣言した著者も相当「ヘンな先生」だ。)からあの頃の私たちの話を本にしたいと相談を受け、それなら私がと社会学も知悉しているので、したためたのが本書だ。著者が教員になった当初描いていた、学力優秀、勉強が好き、読書が好き、品行方正な「よい生徒」像が、自身の偏見や傲慢さ、教師という高みに立った歪んだ視線であることを生徒らとの「出会い」によって変えられていった。著者自身の「信念変更」の物語である。彼女らは勉強嫌いではあったが、学校に仲間を求め、確かに日々の成長を自分のものとしていた。教壇を離れ、ずいぶん経っているのに、ましてや「女版野郎ども」も40代。それでも話を聞けたのは、著者が彼女らとずっと繋がりを持っていたことと、彼女らに微妙な距離感を保つ著者に対する信頼もあったからだろう。熱血教師は要らないのである。

ちょうど「あまちゃん」が再放映中だ。主人公の母小泉今日子演じる天野春子は元スケバンで足首まであるスカートを履き、ぺしゃんこの鞄姿だった。著者が「女版野郎ども」と過ごしたのは少し後なので、スカートはとんでもなく短くなっていたが、現在の学校ではスケバンも「野郎ども」もいない。反対に学校に行けなくなった多くの子らと、学校に順応できる子らは小中とか中高一貫校でどんどん勝ち上がっていく(ように見えるだけ)。子どもらにとってオールタナティブなアジールなど存在するのだろうか。

(『男社会をぶっとばせ! 反学校文化を生きた女子高生たち』あっぷる出版社 2023年)

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寛容、そして統合。隣人として生きる術を用意する世界「ウィ、シェフ!」

2023-05-12 | 映画

日本は、2070年には人口が現在の約7割の8700万人、うち外国人が1割になるとの予測が出た。移民政策であれ外国人の増加を快く思わない人たちはショックを受けているとも。技術を教えるどころか、日本人がしたがらない3K職場で使い捨てる実態の技能実習制度の本質がばれ、日本に来る外国人が本当に増えるのか。それほど魅力のある国であり続けるのか。

「ウィ、シェフ!」は現代のおとぎ話である。自分ひとりの力で有名レストランのスーシェフまで上り詰めたカティ・ラミーは、オーナーと喧嘩してクビに。すぐに雇ってもらえると考えていたが、やっとありつけた職場は移民少年らが滞在する寮の料理人。ラビオリの缶詰しかない調理場で掃除もきちんとできていない。施設長からは「飾りつけ、味付けは要らない。量があれば良い」と言い渡される始末。ゲームやサッカー以外には無為の時間を過ごす少年らを、調理助手としてマネジメントする立場になったカティにムラムラと意欲が沸き起こる。食材の選び方から、調理の基本など、それらにまつわってフランス語もメキメキ上達する少年たち。そして、カティが因縁あるレストランと対決する番組で少年らの不安定な立場を訴えることに。

実は、あながちおとぎ話ばかりでとは言えない。フランスの移民割合はすでに約12%。しかも「移民」の定義が「外国生まれで外国籍を持ち、フランス国内に在住する人々」であって、日本の在日韓国人のような存在はカウントされないので、実際にフランス以外にルーツを持つ人はもっと多いだろう。少年たちの将来は過酷だ。18歳時点で職業訓練学校に入れないと強制送還されるからだ。彼らの年齢は厳密に調べられる。骨年齢をCT検査で解析し、18歳を超えているとされたら送還対象になる。「故郷では料理は女がする。男は女に指図されない」とカティに言い放ったジブリルは、教室から追い出されてしまう。しかし、寮の規則正しく、謹厳な生活を離れた移民の少年らにある現実はヤクの売人など違法なものばかりだ。サッカーでクラブからスカウトされることを夢見るジブリルはやがてカティの重要な調理補助となる。コートジボアールに、コンゴ、パキスタン。命からがら祖国から逃げてきた難民ではないが、彼らの肩には故郷の両親らの期待が背負わされている。だから必死なのだ。それを受け入れ、統合に費用をかけ、また統合できないと強制送還するフランスの政策はある意味、寛容で合理的でもある。トリコロールの赤と白を体現しているということか。

トルコで迫害されているクルド系をはじめ、ドイツにはシリア難民その他が押し寄せている。ロシアのウクライナ侵攻後にはそれも含まれる。ドイツでは、移民・難民に徹底的なドイツ語教育を無料で施し、ある程度の理解力まで得られないとやはり送還する政策とも聞いたことがある。正確なところは不明だが、仏・独とも地続きの欧州諸国では、かくも移民対応に時間も人出も割いている。人権的観点から。

翻って、日本で移民少年らに希望を与えることができるだろうか。そもそも、児童養護施設育ちのカティに自ら切り拓く道を用意しただろうか。入管施設で医療も受けられず亡くなったスリランカ女性、死産したことで刑事責任を問われたベトナム人技能実習生。おとぎ話以前の酷薄な現実がこの国の実態だ。

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「全然大丈夫じゃない」そう言える世の中に  「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

2023-05-03 | 映画

ぬいぐるみを英語でstuffed animalという。以前、海外旅行をしていた際、どこの国だったかレストランの日本語メニューに「○○のぬいぐるみ○○」というのがあり、なんのことだろうと訝しく思った。しばらくして納得した。ソーセージか何かの詰め物料理のことだったのだ。英語圏でないその国で、料理をまず英語で考えてそれを日本語表記にしたらしい。ぬいぐるみは食べられないが、もこもとと柔らかい何か詰まった動物には話しかけたくなるのかもしれない。

ぬいぐるみに話しかけるのは、実在する人間に話しかけることで傷つけ、傷ついてしまうことを避けるためだ。だから、ぬいぐるみとしゃべっているのは他者ではなく自分自身であったりする。それは自己防衛であるとともに、他者との関係性を持たないという人間関係の広がりを拒否する姿勢でもある。他者との関係で自己研鑽や、いろいろな価値観があるということに気づくこともできるというのに。しかし、まず自分を守ること。

京都の大学のぬいぐるみサークル(ぬいサー)に集う人たちは、どこか他者との気軽なコミュニケーションが苦手で、内にこもるタイプが多いと見える。しかし、そう見えたのはメンバーがより繊細であるからに過ぎない。そこには各人のSOGI(sexual orientation、gender identity 性志向と性自認)が深く関係している。饒舌でも快活でもない七森剛志は、入学の場で同級生の麦戸美海子と知り合う。二人してぬいサーに加入したが、そこには同級生の白城ゆいもいた。異性との交際の経験のない剛志はゆいと付き合ってみるが、やがてフラれてしまう。ゆいと同じ布団で寝るまで交際した二人だが、性交を求めなかった剛志にゆいが愛想をつかしたのか。あるいは剛志と美海子が付き合っていると勘ぐったゆいがわざと剛志と交際してみたのか。一方、通学電車で痴漢を目撃した美海子は、自分ごとに思えて通学できなくなってしまう。美海子に授業ノートを届ける剛志。それは恋愛感情ではない。心から心配しているからだ。長く一緒に暮らした飼い犬の死を機に、久々に実家に帰った剛志は同級生に誘われ居酒屋に。そこで「こいつ童貞だ」とからかわれ、憤然と席を立つ。なぜ、そういう目で、そういう価値基準で人を測るのかと。すると今度は、剛志が学校に行けなくなってしまう。剛志を助けたいと思う美海子。二人は会話する。「全然大丈夫じゃない」

映画の中で明確に描かれているのは、ぬいサーの先輩である光咲と西村がレズビアンで交際しているらしいこと。それ以外、剛志も美海子も他のメンバーもSOGIは明らかではない。しかし、剛志はおそらくアセクシャルで、痴漢を目撃した美海子は、自己の「汚される性」側の自覚に苦悶している。ぬいサーのいずれもが大学生活で求められる(ように見える)シスジェンダーとしてのヘテロセクシャルとは無縁に見える。そう世の中が、ストレートが「普通」との価値観で覆われている中で、自分の生きにくさはセクシャル・マイノリティが原因と自覚している人たちなのだ。たとえセクシャル・マイノリティであっても生きづらさとは無縁の社会が望まれるのに、今や就職技術専門学校と化している職業選択の最前線である大学で、生きづらさに直面する困難といったらない。

2023年の現在、G7議長国として安全保障や環境や、経済などといった分野でリーダーシップをと意気込む日本。しかし、LGBTQ+や同性婚といった法整備、政策が一向に進まないのは他のG7国より周回遅れ。やさしくないはずだ。

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周囲の物語でアンネの時代を思う 『アンネ・フランクはひとりじゃなかった』

2023-04-23 | 書籍

アムステルダムの一大観光地は「アンネ・フランク・ハウス」である。2年以上アンネら一家が潜んだ隠れ家が再現され、企画室は、人権に関わる様々なプロジェクトが紹介、展示されている。見て感じ、アンネの時代に想いをはせることのできる素敵な施設だ。本書の後書きにあるようにアンネとその隠れ家には皆興味を抱き、関心を持つが、その周囲の状況はどうであったかの関心は薄い。アンネ一家がナチスに捕らわれたのは密告によると言われる。ならば、アンネ一家が暮らした家のみならず、その街はどのようなものであったか、誰がどんな暮らしをしていたのか。生存者からの聞き取りや膨大な公文書資料などを渉猟し、アンネの暮らしたメルウェーデ広場とその周辺の姿を立体的に明らかにしたのが本書である。

メルウェーデ広場は、ドイツから逃れてきたユダヤ人コミュニティーであった。逃れてきた当初は、ここなら大丈夫という安心の地であったろう。しかし、オランダにもナチス・ドイツの支配が及ぶにいたって、広場も安住ではなくなる。次々に捕えられるユダヤ人、ユダヤ人以外ですすんで手先となる者、そしてレンジスタンス運動に身を委ねる者。しかし、1933年から34年にかけて広場に移住したフランク一家にとって、隠れ家に身を潜めるまで8年あった。だからアンネも学校に通い、友だちと遊び、時に大人を困らせたりする「子どもらしい」時間を過ごしていたのだ。直接、間接を問わず、フランク一家となんらかの繋がりのあった人たち、その周辺の人たち、そして、そのまた周辺の人たちがコミュニティーを形成し、時に助け合い、突然いなくなったりした。そう、フランク一家も家族を助けたミープ家以外の者にとっては「突然いなくなった」のだ。

オランダはドイツに併合、支配されることまではないだろうと移った人たち。そして、オランダでは生きながらえていけると。しかし、結局ナチドイツに占領され、オランダ王国は英国へ逃れ亡命政府を樹立する。亡命政府に、自国民の安寧、ましてや移住してきたユダヤ人を助ける力はない。だからコミュニティーで助け合っていたのだ。しかし、ユダヤ人であるからユダヤ教が紐帯となっていたとは限らない。熱心な教徒も居れば、シナゴーグに行くのも億劫な人もいたようだ。だから宗教がコミュニティーを支えていた理由というより、むしろドイツから逃れてきた同じエグザイルやエクソダスとの立場での共同であったのだろう。しかし、緩やかな共同であっても、ナチスから見れば皆同じ絶滅対象であったことが間違いない歴史的事実だ。

著者のリアン・フェルフーフェン自身、メルウェーデ広場の住人である。そして、アンネの死去(1945年2月頃、アウシュビッツ絶滅収容所からベルゲン=ベルゼン強制収容所に移送後死亡)頃までに至る、広場の住人の去就を克明に追っている。調査時には、まだ、生存している人もいたからだ。一人ひとりの物語は、同時に一人ひとりの尊厳を描く。多くが絶滅収容所に送られるギリギリまで、貧しく、苦しくとも豊かで、幸せな時期もあった人たちだ。そして、その一人ひとりは、時にエゴイスティックで慈悲深く、家族や仲間を大事に思い、時に裏切り、厳しい選択をせざるを得なくなった小さく、弱い人間であった。だからこそ、アンネと同じく生の物語が大事に語られるのだ。いく人ものアンネがいた。

アンネ・フランクはひとりじゃなかった。

(『アンネ・フランクはひとりじゃなかった アムステルダムの小さな広場 1933-1945』みすず書房、2022年)

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