kenroのミニコミ

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アボリジニアートの枠を超える偉大さ エミリー・カーメ・ウングワレー展

2008-04-06 | 美術
ヴァイオリンの名手でもあったパウル・クレーの絵からは音楽が聞こえてくる。とても単純に見える線画だけなのになぜ?と考えるのが自然だ。それくらいクレーの絵はこちらの想像力をかき立ててくれる。これは当たり前の話かもしれない。というのは、作品そのものが物語を表していてそれで完結してしまうと、こちらの想像力は音楽が聞こえてくるようには働かないからだ。たとえば、神話を題材にした作品。その点、クレーのような抽象画の方が音楽が聞こえて来やすく、また、そのような雰囲気を十分に有している。
80歳を越えて絵筆をとったというエミリー・カーメ・ウングワレーはアボジリニの土地から生涯出ることもなく、もちろん美術教育も受けていない。しかしそもそも作品の規模が大きいため、クレーをも凌駕すると感じるほどのこの音楽性は何なのか、一体どこから生まれてくるものなのか。
最初ウングワレーの作品にまみえた時、ドローネーを思い出した。クレーより少し年少であるが、パリでいち早く活動していたドローネー夫妻はフォービズム、キュビズム以降の抽象表現主義、ドローイングに成功した作家である。筆者は勝手に20世紀初頭のフォービズム、キュビズム以降抽象表現主義によって絵画はペインティングからドローイングに進化したと考えるが、ドローネー夫妻はその後大判の抽象絵画を成功させたロスコやミニマルアートのステラなどに続く仕事をしたが、ウングワレーはドローネーに遅れること70年でドローイングの世界を成就したが、べたっと塗ったそれでなく次第に点描と線描に目覚めていく。100号を超える大作であるのに一つとして同じ様相を示さない点と線。解説によればウングワレーは下絵など描かずに一気に書き上げたという。それも恐るべき早さで。そして80年代末から90年代没するまでわずかの期間に制作したその数も夥しい。
ウングワレーの暮らした土地アルハルクラはアボリジニ最大の保護地区に近接し、アルハルクラは土地でありながら、ウングワレーそのものであり、ウングワレーの発想の源、生である。広大で時に過酷な大地はウングワレーをしてヤムイモを描かせ、エミューを馴らし、そして絵筆を取らせた。もともと体に装飾画を描いていた延長でその伸びやかかつ大胆な色遣いが今大地、キャンパスに展開された。アクリルという現代的、乾きが早い絵の具を手に入れたことでウングワレーの画業は花開き、そしてアボリジニアートに無知な私たちの眼前を疾駆した。
先にウングワレーの作品を西洋近代の抽象画家のそれと比べるような記述をしたが、もちろんウングワレー自身はドレーネーもポロックもデ・クーニングも知らないし、比べられることにも興味さえ抱かないだろう。それでも比べてしまう、すぐ西洋絵画を引き合いに出してしまう浅はかさは赦されるだろう。それくらい、ウングワレーの独創性にたじろいでしまうのだ。アルハルクラというオーストラリア内陸の地を離れたことがないのに、この世界の広さ、普遍性はどうだ。
オーストラリアの新首相が白人によるアボリジニへの迫害を正式に謝罪したときに、ウングワレーはもういなかったが、作品はそんなことも知っていたかのようにオーストラリアを、私たちを包み込む。現代美術がどでかいキャンパスを要する意味がやっと分かったような気さえする展覧会であった。

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