「楽隊のうさぎ」は少し変わった映画である。というのは中学生が主人公で、演じているのはほとんど素人の中学生。に加えて、ハッピーエンドもなにもない。言うなれば、普通の中学生の普通に日常を描いてなんなの?という感じ。
中学生というと、なにを思い浮かべるだろうか。いじめ、学力競争、ほのかな恋心?
いじめが一番スタンダードであろう。滋賀県のいじめ後の自殺は大きな衝撃をあたえ、いじめを許すなのかけ声がかまびすしい。いじめはない方がもちろんいいが、いじめは現在のような中学教育の根底が変わらない限り、なくならないと思う。「中学教育の根底」と記したが、正確に言うと現在の中学校の姿を映し出している大人の社会でいじめがあることを容認しているということだ。
「楽隊のうさぎ」が普通の中学生の生活を描いているなら、当然いじめや勉強をめぐる悩み、恋などもありそうだが、ほとんどない。内気な1年生奥田克久が校内に現れた不思議なうさぎに誘われ、楽器演奏もやったこともないのに吹奏楽部入部を決めるところから物語ははじまる。小学校からの友だちからサッカー部に入ろうと誘われていたのを断ったことになり関係がまずくなる。その友だちは克久が入部しなかったことにより、すねて自身もあまり熱心には活動していないようだ。しかし、先輩からバチを握らされ、見よう見まねで太鼓を叩くうちに吹奏楽部にはまっていく克久。
定期演奏会を過ぎると3年生は引退。克久の引っ込み思案を心配した3年生の女子キャプテンは後任のティンパニストに克久を指名する。練習に明け暮れる毎日。父親がプロの演奏家である同級生の朝子は、自身もプロの道を選ぼうと吹奏楽部を退部する。やがて春になり、1年生を勧誘し、指導する側になる克久。徐々に口数も多くなり、父親にまだ甘える姿と、母親の干渉にうっとうしさを感じる子どもから成長していくアンビバレンツな姿を素人の中学生が好演。定期演奏会で立派にティンパニーをこなし、また大きくなった克久。口も利いていなかったサッカーを辞めた友だちに「おはよう」と声をかける克久はやはり1年で大きく成長した。
私事だが、最近中学生を案内、説明する機会があった。17名のうち男子は2名。女子のほうが積極的に発言、質問してきて、みんな好もしい。しかし、自由に行動させると騒がしいといったらない。中学の先生って大変だなあと思ったものだ。「楽隊のうさぎ」吹奏楽部でも女子が圧倒的に多い。まあ文科系部活動は昔からそうだったが、今や体育系部活動でも女子の活躍は目覚ましい。職場の同僚のお嬢さんはラグビーをやっているとも聞いた。克久もキャプテンをはじめ女子に引っ張られながら、ティンパニストとして自立していくが、本作は、重要なところはやっぱり男子でいったマッチョなところがないのがいい(定期演奏会の新曲披露では克久のティンパニーから演奏がはじまる)。克久はある意味、最後まで優男!で、汗臭さがない。いうなれば少し中性的なのだ。そう、マッチョなんてもう古いのに、この国の社会を動かしているのはやはり男ばかり。女性の社会的地位の低さ(政治的進出度、組織における決定権者、賃金など)はOECD諸国の中で飛びぬけて低いし、世界的に見ても女性議員の少なさは有名だ。
とはいっても、優男の克久もやがて異性愛に気づくかもしれないし、そうではないかもしれない。与えられ、自ら懸命に取り組むものが単にティンパニーであったということ。そこには性差はないし、他の楽器との間に優劣もない。
筆者自身は音楽が苦手で、小学校時代のハーモニカ練習は恐怖であった。けれど、小学校、中学校を通じてなんとなく楽器の名前は覚えていき、大人になりきっていない体でファゴットやチューバ、ホルン、そして打楽器を操る花の木中学校吹奏楽部の姿に懐かしさを覚えた。
大きな変化に富まない故の温かさが本作には流れている。
中学生というと、なにを思い浮かべるだろうか。いじめ、学力競争、ほのかな恋心?
いじめが一番スタンダードであろう。滋賀県のいじめ後の自殺は大きな衝撃をあたえ、いじめを許すなのかけ声がかまびすしい。いじめはない方がもちろんいいが、いじめは現在のような中学教育の根底が変わらない限り、なくならないと思う。「中学教育の根底」と記したが、正確に言うと現在の中学校の姿を映し出している大人の社会でいじめがあることを容認しているということだ。
「楽隊のうさぎ」が普通の中学生の生活を描いているなら、当然いじめや勉強をめぐる悩み、恋などもありそうだが、ほとんどない。内気な1年生奥田克久が校内に現れた不思議なうさぎに誘われ、楽器演奏もやったこともないのに吹奏楽部入部を決めるところから物語ははじまる。小学校からの友だちからサッカー部に入ろうと誘われていたのを断ったことになり関係がまずくなる。その友だちは克久が入部しなかったことにより、すねて自身もあまり熱心には活動していないようだ。しかし、先輩からバチを握らされ、見よう見まねで太鼓を叩くうちに吹奏楽部にはまっていく克久。
定期演奏会を過ぎると3年生は引退。克久の引っ込み思案を心配した3年生の女子キャプテンは後任のティンパニストに克久を指名する。練習に明け暮れる毎日。父親がプロの演奏家である同級生の朝子は、自身もプロの道を選ぼうと吹奏楽部を退部する。やがて春になり、1年生を勧誘し、指導する側になる克久。徐々に口数も多くなり、父親にまだ甘える姿と、母親の干渉にうっとうしさを感じる子どもから成長していくアンビバレンツな姿を素人の中学生が好演。定期演奏会で立派にティンパニーをこなし、また大きくなった克久。口も利いていなかったサッカーを辞めた友だちに「おはよう」と声をかける克久はやはり1年で大きく成長した。
私事だが、最近中学生を案内、説明する機会があった。17名のうち男子は2名。女子のほうが積極的に発言、質問してきて、みんな好もしい。しかし、自由に行動させると騒がしいといったらない。中学の先生って大変だなあと思ったものだ。「楽隊のうさぎ」吹奏楽部でも女子が圧倒的に多い。まあ文科系部活動は昔からそうだったが、今や体育系部活動でも女子の活躍は目覚ましい。職場の同僚のお嬢さんはラグビーをやっているとも聞いた。克久もキャプテンをはじめ女子に引っ張られながら、ティンパニストとして自立していくが、本作は、重要なところはやっぱり男子でいったマッチョなところがないのがいい(定期演奏会の新曲披露では克久のティンパニーから演奏がはじまる)。克久はある意味、最後まで優男!で、汗臭さがない。いうなれば少し中性的なのだ。そう、マッチョなんてもう古いのに、この国の社会を動かしているのはやはり男ばかり。女性の社会的地位の低さ(政治的進出度、組織における決定権者、賃金など)はOECD諸国の中で飛びぬけて低いし、世界的に見ても女性議員の少なさは有名だ。
とはいっても、優男の克久もやがて異性愛に気づくかもしれないし、そうではないかもしれない。与えられ、自ら懸命に取り組むものが単にティンパニーであったということ。そこには性差はないし、他の楽器との間に優劣もない。
筆者自身は音楽が苦手で、小学校時代のハーモニカ練習は恐怖であった。けれど、小学校、中学校を通じてなんとなく楽器の名前は覚えていき、大人になりきっていない体でファゴットやチューバ、ホルン、そして打楽器を操る花の木中学校吹奏楽部の姿に懐かしさを覚えた。
大きな変化に富まない故の温かさが本作には流れている。