芸術祭には都市型と郊外(地方)型があるが、今年で4回目の瀬戸内国際芸術祭は後者の代表格となりつつある。小さな島を船を乗り継いで行くという不便さにもかかわらず、2016年の第3回には107万人も訪れたという。海外からの参加者も多く、現在日本に押し寄せているインバウンド(中国人、台湾人)のほか、世界中から来ているそうだ。筆者が高松の居酒屋で居合わせたカップルはスウェーデンでからだった。瀬戸芸がうまいのは、直島にあるベネッセの美術館(地中美術館、ベネッセハウスミュージアム、李禹煥美術館)も訪れるようにセットされており(芸術祭とは当然別料金)、そこらも回ることによって、贅沢さ(ベネッセの宿泊施設は高級。施設界隈は自由に散策できる。)と非日常を満喫できるからだろう。非日常というのは、島に点在する作品にたどり着くのにバスや徒歩、レンタサイクルなどで結構広範囲に回らなければならず、およそ日帰りは無理で、ガイドブックにはほとんどすべての作品を楽しむには1週間くらい必要とあるからだ。そして毎回新しい作品が増えていて、回るところは多くなる。
筆者は小豆島と豊島、女木島、男木島、大島に渡ったが、小豆島は他に比べて圧倒的に広いので、三都半島界隈だけ回ったが、作品をめぐるシャトルバスを出してくれなかったら、回るのは大変であった。自転車でしかそばまで行けない場所にある作品もあって、資材を運ぶのこそ大変だったろうと、そちらに感動してしまう。今回初めて設置されたフリオ・ゴヤの「自然の目 大地から」は2本の大きなブナの木にツリーハウスを建てたもの。木の階段を上り下り、ブランコもあって楽しい。
豊島は膨大な量の産業廃棄物の不法投棄の島として甚大な被害を被ったが、産廃の撤去作業と並行して瀬戸芸が開催され、今は産廃の島ではなくアートの島である。西沢立衛設計にかかる豊島美術館は超人気スポットで、まあるい天井から空が臨めるが、同時に床には消えては流れ、現れる不思議な泉。風と音と水を感じることのできる癒される空間として長く居たくなる(ここも有料)。今回は美術館は予約待ちで入らなかったが、ぜひオススメだ。その代わり、家浦と甲生(こう)、硯(すずり)、唐櫃の各地区は回ることができた。甲生にある塩田千春と田根剛の作品は、もともと塩田の代表作、窓を集めた立体作。先の台風で痛み、展示は今年が最後だという。屋外展示は自然環境の影響を受けやすく、そういった意味では「脆く」もあるが、そこがまた魅力なのかもしれない。唐櫃岡のはずれにあるクリスチャン・ボルタンスキーの「ささやきの森」がお目当てだったのだが、雨で入場中止とあり残念。唐櫃浜のボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」は訪れることができた。硯の一棟貸しの宿「ウミトタ」は洗練と贅の極み。前方に海が広がり、宿の後方はその名の通り田んぼが広がる。こんなところで一度寛いでみたいが、宿泊だけで一泊5万円とか。へなへな。
女木島は別名鬼ヶ島で島の奥に大きな洞窟がある。島の奥には行かなかったが、小さな島ゆえ港付近は歩いて回れる。「島の中の小さなお店」プロジェクトが興味深かった。リョン・カータイは香港出身の写真家。女木島に暮らす人たちをなぜ女木島に住んでいるのかを問い、被写体とする。一度島を出たが戻って来た人、島の幼馴染、瀬戸芸で知り合った妻も夫も島出身ではないカップル。若いカップルには島で生まれたお子さんもいる。大竹伸朗の奇怪なオブジェを展示する女木島小学校は休校中。子どもが通うになり、学校が再開される日は来るだろうか。
島巡りの最後に訪れたのはハンセン病収容者の島、大島。国立ハンセン病療養所大島青松園のあるところだ。本当に隔離された島である。現在でこそ無料の高松からの定期高速船があるが、1996年のらい予防法廃止までは、島への行き来も難しかったに違いない。島に暮らす人の平均年齢は84歳という。もう島を出る人はいないだろう。島の歌人、政石蒙の詠む歌に惹かれた。今年6月にハンセン病の患者家族に対する国の賠償責任が認定され、政府が上訴しないとなった。しかし、この訴訟での原告の多くは匿名である。差別は厳然としてあるのだろう。
帰る日に高松に戻って市立美術館の宮永愛子展「漕法」。ナフタリンを素材に現実にあるものの変化と儚さを表す宮永の世界は、塩田の存在の重さを表す世界と対照的だ。と思える。しかし、そこにあるのが本当か?という問いは、今生きる自己の存在理由の自意識を考え直すという意味で地続きだろう。芸術祭という現代アートの問いかけるものは、軽重の差はあれ、現在の確実性と不確実性を問い直す。ドイツのドクメンタのように政治的主張の濃い作品は見られないが、今を問う、という姿勢は現代アーティストの性とは考えすぎか。成功していると言われるからこそ、あいちトリエンナーレであったようないわれのない攻撃に毅然と対応できる芸術祭に発展すればと思う。
同時に、あちこち回るのに筆者のような健脚(と自分では思っている)でも結構しんどい思いをしたのも事実。展示先へのアクセスも含め、身体的にハンディのある人も参加しやすい地方の美術展とは?ももっと模索されていいだろう。3年後に行けるかどうか、ちょっと自信がないからこそ思うのだ。(塩田千春 「遠い記憶」(豊島))