kenroのミニコミ

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知ったふりを自戒、知らないことに含羞 『中学生から知りたい ウクライナのこと』

2022-08-11 | 書籍

どこかの記事で読んだ「ゼレンスキーは西側に『武器をくれ』ばかり言うが、ポーランドをはじめ大勢の避難民を受け入れた国に一言感謝述べてもいいのではないか」に、うんうんとうなずいた覚えがある。ゼレンスキー=祖国を守るため力強く訴え続ける英雄、プーチン=悪魔の単純な構図にも疑問を持っていたからだ。

短絡的には、プーチンの言うNATOを拡大しないという約束を破った西側が、ウクライナというロシアの隣国にまでその版図を拡げようとしているに対し、防衛のため、ウクライナのロシア系住民を守るため侵攻(「特別軍事作戦」と言うらしい)したという論理は、NATO約束破りまでは理解できても「侵攻」は正当化できない、と言うのが一般的ではないだろうか。しかし、この理解もソ連の崩壊とウクライナの独立、1991年からの30年余りだけを前提にしているに過ぎない。歴史理解とは、それ以前の歴史に対する理解を含むと言うことを本書は教えてくれる。

藤原辰史さんは『[決定版]ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(2016 共和国)でその緻密な実証主義的手法に歴史学者の矜持を見たが、その藤原さんさえもドイツの隣国ポーランドの歴史にはあかるくないと述べ、だからウクライナからも見ても隣国であるポーランド歴史家から見たウクライナという観点を提起する。小山哲さんはポーランドに留学経験もあり、ウクライナの地政学的な歴史に通暁している。そこで明らかにされるのは、前述の「短絡的な」理解では収まらないウクライナ史の複雑さと、それが現在に連なる一筋縄ではいかない関係性の錯綜だ。藤原さんは、本書を「中学生から知りたい」と冠した理由を、中学生が授業で習ったロシア、ウクライナあるいは東欧の版図を大人は理解、咀嚼できていないのではないかとの思いからとする。そう「分かった、分かっている」気で理解していてはだめなのだ。

ボルシチはロシアかウクライナか、コサックはどうか。ウクライナ正教はロシアの東方正教と違うのか、ユダヤ系と言われるゼレンスキーだが、そもそもウクライナにおけるユダヤ人の立ち位置、構成、民族的割合はどうであるのか。断片的に想起されるウクライナの「豆」知識が、有機的に説明され、そしてますます「ウクライナ」と一言で括るのが難しいくらい「ウクライナ史」の有機性、多様性が語られる。小山さんの話では3大宗教の併存期、ウクライナ公国の勢力圏、オスマン帝国の伸長、ロシア帝国の時代、第二次ポーランド分割、そしてその度に境界線が引き直される曖昧で不安定な「ウクライナ」の様が活写される。そう、「ウクライナ」を一言で言い表すこと事態が困難なのだ。

中学生の教科書に載っているウクライナの版図を仮に知っていても、ウクライナを「知った」ことにはならない。そして、現在のウクライナ「情勢」も知った、分かったと納得することでこれからも続く「歴史」を切り取り、知識の一部分に留め置くことに警鐘を鳴らしている、と本書を読めた。戦争はいつか終了するだろうが、どの戦争もスッキリした形で、どういう形がスッキリかもあるが、終わった試しがない。だから、今起こっている事態を理解するため、後世につなげるため「歴史」を学ぶというのは大切なのだ。

(『中学生から知りたい ウクライナのこと』小山哲・藤原辰史 2022.6 ミシマ社)

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