kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

滋賀県・近江八景の一つ「びわ湖 浮御堂(うきみどう)」

2017年10月20日 | 大阪・滋賀・奈良 他
メロディーロードの「琵琶湖就航の歌」を聞いてから堅田に戻り
次の目的地、近江八景の一つ「浮御堂」に向かいました。


臨済宗 大徳寺派 海門山 満月寺

寺伝によれば、平安時代に恵心僧都源信が湖上安全と
衆生済度のために建立したとされています。


山門 (登録文化財)


右手に「客殿」があります。


左には、観音堂(登録文化財)/ 聖観音座像(国重要文化財)
薬師如来像、十一面観音像が安置されています。


正面には、昭和12年(1937)に再建された「浮御堂」があります。


「浮御堂」は、びわ湖の最狭部を東西に渡る琵琶湖大橋の南にある
湖に伸びる橋の先に建つ宝形造の仏殿です。


浮御堂のまわりを歩かれている姿が見えますが
ここは歩くことができるので、私も歩いてきました。


芭蕉の句碑

元禄四年の仲秋名月の翌日、十六夜にお月見の宴をされ詠まれた句。
「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」


浮御堂の古材で建立されたお茶室があると聞いたのですが・・・
写真左に少し見えている所のようなので行ってみます。


茶室 玉鉱亭(ぎょくこうてい)登録文化財

垣根越しで少し見えていますが、茶室は浮御堂の古材で建立されたもので
昭和九年までの浮御堂は、京都御所桜町天皇の御能舞台の御下賜を仰いで
建立されていたそうです。


この方向からの写真は少ないのではないでしょうか?
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びわ湖巡りスタートは 「琵琶湖大橋メロディーロード」

2017年10月19日 | 大阪・滋賀・奈良 他
小雨の中を友人の一人が車を出してくれました。
彼女は長距離の運転も大丈夫なので、私は後部座席で楽させて貰ってます。


琵琶湖大橋に向かっていると、立派な建物が見えたので撮りましたが
通り過ぎて振り返ると、屋根部分の線がとてもきれいでした。


いま楽しみにしていることがあって、琵琶湖大橋の上を走っています。


守山から堅田方面に走行中です。(追加写真)


それは・・・あぁ~もう橋を渡ってしまいました。


道の駅に立ち寄ると


道の駅の人の話では、楽しみにしていたものは守山に向かって
走っていると聞こえるとのことでした。

そして、ここに立っていると琵琶湖大橋から「琵琶湖就航の歌」の
メロディーが聞こえてくることがあるそうです。


私たちは、守山からの南側の橋を渡って来たので
楽しみにしていたメロディーが聞こえなかったようです。(^_^;)))


ここにも、守山方面に向かって走行・・・と書かれています。


駅の道を出て、守山に引き返し今回の目的の一つである(追加写真)


「琵琶湖就航の歌」のメロディーを、しっかりと聞いてきました。(追加写真)

運転席の横に座っていた友人が、後部座席で撮れなかった写真を
お気遣いで送ってきてくれましたので、写真を追加しました。
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国指定・重要無形民族文化財 「三上のずいき祭り」(再投稿)

2017年10月12日 | 大阪・滋賀・奈良 他
滋賀県野洲市の「三上のずいき祭」は
滋賀県野洲市の国指定「重要無形民族文化財」 の祭りです。


御上神社は、三上山をご神体山として鎌倉時代の国宝本殿です。


ずいきだけで作られる御輿には、高度な技術が必要なので
後継者を確保していくのは大変だそうです。


飾りは花や果物などが飾られています。
正面には鳥居が飾られ、角力(相撲)猿が置かれています。


ずいき祭が終わって、角力猿が箱に納められた時に撮らせて頂きました。


ずいき祭は、里芋の茎を用いて作った「ずいき御輿」を
奉納することから「ずいき祭」と呼ばれていますが


古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれていたそうです。

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ずいき祭の準備は、5日前から始まります。

5日前 「甘酒神事」“献紅鮭祭(あめのうおまつり)
各頭人は御上神社にお参りして、酒・甘酒・めずし(タデずし)・青菜漬などと
鯇(あめのうお)を社殿に供えて、神事の無事を御祈願されます。

3日前 「湯立て式」
各頭人が神社から宮水を頂いて、自宅にて釜で湯を沸かし、神職が笹を使って釜の湯で屋敷の周囲を清め、御輿の上に立てる榊を床の上において神移しをされます。

2日前 「ずいき刈り」
早朝に御輿に用いる上質な芋茎を刈り取り、洗って御輿づくりの準備をして
御輿を作り始めます。

1日前 「お菓子盛り」「頭渡し」
「お菓子盛り」とは、芋茎を適当な長さに切って御輿の胴、屋根に下り棟を付けます。屋根には粟と菜種を吹き付けた神紋を付け、胴部の正面には飾り棚を作り粟で囲った土俵に角力猿の人形を置いて、ずいきの鳥居を建てます。

「頭渡し」は、翌年の頭人を確認する儀式で、翌年の頭人である介頭人と翌々年の其介頭人(そのすけとうにん)が、それぞれ提灯の明かりで杯を交わして無言で厳粛に引継ぎが行われます。

※ 以上は、ずいき祭保存会の中から抜粋させて頂きました。

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「京都で定年後生活」さんのブログで、ネットでは野洲市の御上神社と
北野天満宮の二カ所だけの祭だと知り、8年前の事ですが再投稿しました。
これらの写真は、2009年10月に投稿した時のものを使用しています。
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滋賀県野洲市・昭和天皇即位の時に選ばれた「悠紀斎田」

2017年09月18日 | 大阪・滋賀・奈良 他
今日は「悠記斎田 御田植歌」の額にあった悠紀斎田のことです・・・


三上神社から国道8号線を渡ったところに「悠紀斎田記念碑」があります。

立派な「悠紀斎田記念碑」ですが、「悠紀斎田」ってご存知ですか?
私・・・? 私は聞いた事も無かったので調べてみました。(^^ゞ



● 悠紀斎田 (ゆきさいでん)
皇位の継承があったときに、大嘗祭(天皇即位の儀式)の際に供される
神餅、神酒のお米をつくる田のことであります。
 
● 大嘗祭 (だいじょうさい)
天皇が即位した後で最初に挙行する大規模な新嘗(にいなめ)祭のことです。
(新嘗祭とは、天皇が新穀を神にすすめ親しく食する祭儀)


大きい画像でもチョッと見難いですが
画像をクリックすると、別枠の大きい画像でご覧になれます。

昭和3年(1928)の昭和天皇の即位の折には三上村(現・野洲町三上)の
御上神社近くの斎田が採用された。 御上神社では毎年6月25日に当時の
衣装そのままに御田植え祭が行われる。  (お田植祭り より)

「昭和の悠紀斎田」をもっとお知りになりたい方は
昭和3年当時の様子が掲載されている お田植祭り をクリックしてご覧下さい。


悠紀斎田には、稲刈りで刈った稲がお供えされていました。
奥に見えるのが三上山です。(びわ湖東岸からも見える三角の山です。)

収穫の秋には、稲刈りと試食会があり希望者は参加させて頂けるそうです。

試食された方が
「土器で炊いた赤米と黒米はよく噛みしめると甘みがあって美味しいでした。」

また、フランス料理のシェフは
「これは肉料理と合いそうだ」と感心されていたそうです。
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滋賀県野洲市・お田植祭で歌われる「悠紀斎田 御田植歌」

2017年09月17日 | 大阪・滋賀・奈良 他

この額は、御上神社のお部屋にありました。(再投稿です。)

見ると「悠記斎田(ゆきさいでん)御田植歌」 と書かれています。

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悠紀斎田 御田植歌 
 作詞者 巌谷小波(いわや さざなみ)氏

一つ 日の本瑞穂の国は 穂に穂栄えて千代八千代
二つ 再び得がたい誉 御世の始めの御田植
三つ 三上の御影の神は 代々に御国を守る神
四つ 夜を日にいそしむ人は 神も守らでおくものか
五つ 五日にやそよ風吹いて 十日十日にや雨が降れ
六つ 百足の巻いたは山よ 御田にや雀も虫もでぬ
七つ 名高い近江の国は 昔からなる悠紀の国
八つ 野洲川国やすかれと 清くそそぐよ悠紀の水
九つ 九重の雲井の空も はれて賑わふ田植歌
十で とうとう御田植終わりや はやも早苗に千代の色


悠紀斎田御田植歌 の作詞者 「巌谷小波(いわや さざなみ)」氏は
滋賀県水口町出身の方で「花咲爺」「桃太郎」「舌切雀」「かちかち山」
「猿蟹合戦」などを書かれた児童文学者です。
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滋賀県野洲市・高貴な方が乗られた「鳳輦神輿 (ほうれんみこし)」

2017年09月16日 | 大阪・滋賀・奈良 他
昨日の、御上神社「国宝指定書」で思い出したのは・・・


この、御上神社の国指定の重要文化財「拝殿」に置かれていた神輿です。

いつもは別の建物に保存され、ガラス越しに少しだけ見えていただけですが
この三台の古い神輿は、とても立派な鳳輦神輿 (ほうれんみこし)でした。


その別の場所に保存されている建物の前に
三台の古い神輿は鳳輦神輿(ほうれんみこし)と称して、高貴の方が乗られる構造になって中を広く作られております。 五百余年前 宝徳二年の銘があります。
と、書かれていました。

宝徳二年(1450年)、どんな高貴な方が乗られたのでしょうね 。。。
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滋賀県野洲市・御上神社の「国宝指定書」と「重要文化財指定書」

2017年09月15日 | 大阪・滋賀・奈良 他
以前に、御上神社で貴重な物を拝見した事を思いだし再投稿します。


ここは御上神社境内にある建物の中の一部屋です。

「忌火(いみび)祭」に行ったときに、このお部屋で関係者の方達とご一緒にお食事を頂く機会がありました。部屋には「日の丸」があり、その右に「今上天皇さまと皇后美智子さま」のお写真もありました。机の御神紋 「違い釘抜」 は、野洲の鍛冶に携わっていた豪族御上氏(三上氏)の家紋だそうです。


この額は、御上神社の「国宝指定書」と「重要文化財指定書」です。
手の届く所で見る事ができた驚きと感激で思わず撮らせて頂きました!


上画像は 「国宝指定書 御上神社本殿 一棟」です。
国宝は、文化財保護委員会から 「国宝指定書」 が渡されるのですね!


右の建物が国指定の重要文化財「拝殿」と、左奥の建物が国宝の「本殿」

他にも、楼門・若宮社・狛犬などが 国指定の「重要文化財」です。


ずいき祭も、国指定「重要無形民族文化財」 です。

ずいき祭は里芋の茎を用いて作った「ずいき御輿」を奉納することから「ずいき祭」と呼ばれていますが、古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれていました。
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久しぶりの名古屋

2016年11月03日 | 大阪・滋賀・奈良 他

最近は、プール通いの日々が続いていましたが・・・
今日はちょっと新幹線に乗ってお出かけしてきました。


久しぶりの名古屋駅前です。

京都から乗りましたが、海外からの旅行者が多くて
一瞬、私が海外の電車に乗っているような気分です。(^_^;)))
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滋賀県・山内一豊と、内助の功で知られる千夜の像

2016年10月17日 | 大阪・滋賀・奈良 他

山内一豊と、妻の千代

長浜城からJR長浜駅に向かう道に石碑が建っていました。
この場所は、いま大きなマンションが建っていますが
「山内一豊」が、豊臣秀吉に仕えていた時に住んでいた屋敷跡です。


説明によると・・・「伊右衛門」とは、山内一豊の通称だったことから
一豊屋敷跡とも、山内伊右衛門屋敷跡とも呼ばれているそうです。
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古都奈良のマンホール蓋

2016年07月19日 | 大阪・滋賀・奈良 他

「奈良公園の鹿」と、中央に「市章」を配置し
周囲は、平安朝の女流歌人伊勢大輔歌で知られる「八重桜」です。


以前に来たときは鹿の姿を見たけど・・・
今回は、バスの中から「ゆるキャラのせんとくん」だけでした。
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