壬生寺は新選組ファンにとって、聖地のようなお寺です。
壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行こなわれたといわれていますが、慶応元年2月に西本願寺に屯所を移転します。壬生に屯所をかまえたのは2年あまりにすぎなかったのですが、その後も隊土は壬生寺で兵法訓練をしていたので、新選組隊士を「壬生浪士」とも呼ぶのは、この壬生屯所での新選組の活躍が広く知られていたからだと言われています。
壬生寺境内東方にある池の中の島は壬生塚と呼ばれ
幕末の新選組隊士のお墓があります。
新選組局長・近藤 勇の胸像と遺髪塔、新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と
平山五郎のお墓に、勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓があり
池田屋騒動で亡くなった隊士・奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも・・・
一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、近藤勇をはじめ隊士が壬生狂言を観賞したり、新選組が相撲興行を壬生寺で企画し、寺の放生池の魚や “すっぼん” を採って料理し、力士に振る舞ったという面白い逸話が残っています。
近藤勇の像
毎年7月16日には池田屋騒動の日とし、「新選組隊土等慰霊供養祭」が
ここで行われているそうです。