kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

10月度ハイキング 京都・広沢池の西にある「兒神社」と「遍照寺」

2024年12月27日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
大覚寺 大沢門

大沢門から出て、広沢池へ向かいます。



見渡す限りのどかな田園地帯を歩いていると



畔道に貝殻がいっぱいです・・・
なぜ、こんな場所に貝殻があるんでしょう~?


愛宕山

京都市右京区にある標高924mの愛宕山が見えています。

山頂には全国に約900ある愛宕神社の総本社があり
「愛宕詣り(あたごまいり)」をしたいと思いながら
まだ行ったことがありません。


兒神社から見える広沢池(ひろさわのいけ)

広沢池は、別名「遍照寺池」です。


広沢池の西にある兒神社(ちごじんじゃ)

兒神社の由来は
遍照寺を建立した名僧であり、宇多天皇の孫である寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)の死後に、その死を嘆いて広沢池に身を投げた侍児の霊を祀ったことからでした。



何が書かれているのか読めませんでした。


ハートストーン

きれいなハート型、修復工事中に出てきたそうです。


本殿

兒=幼い子/稚児/童/ちのみごなど


兒の石椅子

この石椅子は寛朝大僧正が座禅を組んでいる時に
その傍らで侍児が座っていた石のようです。


広沢池(ひろさわのいけ)

広沢池を見たのは兒神社の前からと
急いで撮った、この角度の写真だけでした。(^_^;)



予定には無かったのですが・・・「遍照寺」へ


京都嵯峨野「広沢山遍照寺(へんじょうじ)」

遍照寺は十世紀末(989年)平安時代中期、寛平法皇(宇多天皇)の孫、寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものです。



嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には金色の観世音菩薩を祀る観音島があり、池畔には多宝塔・釣殿等・数々の堂宇が並ぶ広大な寺院でありました。



しかし寛朝僧正没後次第に衰退し、鎌倉時代、後宇多天皇により復興されたが後、応仁の乱で廃墟と化しました。
奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移され、文政十三年舜乗律師により復興されました。

昭和に収蔵庫、護摩堂。
平成九年客殿、庫裡を建立し現容となりました。


源氏物語 ゆかりの地

紫式部が二十歳の頃、村上天皇の子、具平親王が雑仕係の大顔を伴い、中秋の名月の夜お忍びで遠縁に当たる寛朝僧正の住む遍照寺へ出かけられました。

月見の最中、大顔が突然物怪に取憑かれ急死。具平親王の又従兄妹である式部にとってこれは衝撃的な事件でありました。
そしてこれが源氏物語「夕顔」の基となったとも云われております。(ホームページから転記させて頂きました。)



さと 嵯峨店

歴史クラブでは、毎回お弁当は持参しないで
現地のお店で昼食タイムにしています。


バス停

ここで解散でした。

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