大沢池は、大覚寺の東に周囲約1kmの
日本最古の人工の庭と池です。
五大堂
大覚寺の本堂は「五大堂」と呼ばれている建物で
嵯峨天皇の勅願で、天明年間(江戸時代1781~1789)に建立。
内陣には大覚寺の本尊の五大明王が安置されています。
不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王
人間国宝松久朋林とその息子宗林仏師の作。
五大堂の前から「大沢池」が見えました。
写真の左が大沢池です。
右側のお堂エリアから大沢池への出入口が見えます。
大沢池を散策するのには
五大堂の横(観月台)から下りて大沢池へ・・・
放生池
放生池と
放生池の奥に見えるのは
護摩堂(ごまどう)
放生池畔に建てられた2間四方、方形造瓦葺の建物。
不動明王を本尊として壇を設け不動法を修し
護摩の炎で皆さまの心願成就を祈願いたします。
石仏群(せきぶつぐん)
大沢池の北岸に、20基を超える如来や菩薩の石仏。
石仏群は古いもので平安時代後期の作と伝えられています。
心経宝塔(しんぎょうほうとう)
昭和42年(1967)嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立。
基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置する。
宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀る。
左:閼伽堂(あかどう)
約1200年前、大覚寺の前身「離宮嵯峨院」時代、嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸である。仏に供える神聖な浄水を汲む。
中央:「大日堂(だいにちどう)」
大覚寺門跡が、明治初頭まで兼帯していた安井門跡蓮華光院が管理していた、洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもの。正面を入母屋造とし、内陣は六角堂となっている。石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀る。
右:聖天堂(しょうてんどう)
当初は、望雲亭西側に建っていたが、昭和37年(1962)頃に現在地に移築。宝形造であり、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀る。
もみじロード
行ったのは10月だったので、紅葉には早いですね。
天神島・庭湖石(てんじんじま・ていこせき)は、横目にして通り過ぎましたが、菊ヶ島と天神島に庭湖石を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
そして天神島には、菅原道真公をお祀りしています。
菊ヶ島(きくがしま)
平安時代の初め、嵯峨天皇が菊ヶ島に咲く菊を手折り、花瓶に挿された。これがいけばな嵯峨御流の始まりであり、いけばな発祥の地とされている。
名古曽の滝跡(なこそのたきあと)
離宮嵯峨院時代の滝殿庭園内に設けられたもので
『今昔物語』では百済川成が作庭したものと伝わる。
滝の音は
絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れて
なほ聞こえけれ
藤原公任ふじわらのきんとう (小倉百人一首 55番)
藤原公任は、康保3年~長久2年(966~1041)平安時代の歌人で、詩歌や管弦の諸芸に通じ、また故実に詳しく書は古筆として珍重されている。和漢朗詠集や拾遺和歌集などの撰に携わる。三十六歌仙の1人。
平田春一・島田保子等詠碑
この先からは、池の傍から少し離れた道になります。
望雲亭(ぼううんてい)
嵯峨天皇から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩
「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」より望雲の2字をとって命名された。
現在の建物は、裏千家の設計により昭和50年(1975)
「寺号勅許1100年」の記念事業として再建された。
大沢池(おおさわのいけ)国指定名勝
他にも詠碑が幾つもありました。
大沢門から出て、広沢池へ向かいます。
日本最古の人工の庭と池です。
五大堂
大覚寺の本堂は「五大堂」と呼ばれている建物で
嵯峨天皇の勅願で、天明年間(江戸時代1781~1789)に建立。
内陣には大覚寺の本尊の五大明王が安置されています。
不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王
人間国宝松久朋林とその息子宗林仏師の作。
五大堂の前から「大沢池」が見えました。
写真の左が大沢池です。
右側のお堂エリアから大沢池への出入口が見えます。
大沢池を散策するのには
五大堂の横(観月台)から下りて大沢池へ・・・
放生池
放生池と
放生池の奥に見えるのは
護摩堂(ごまどう)
放生池畔に建てられた2間四方、方形造瓦葺の建物。
不動明王を本尊として壇を設け不動法を修し
護摩の炎で皆さまの心願成就を祈願いたします。
石仏群(せきぶつぐん)
大沢池の北岸に、20基を超える如来や菩薩の石仏。
石仏群は古いもので平安時代後期の作と伝えられています。
心経宝塔(しんぎょうほうとう)
昭和42年(1967)嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立。
基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置する。
宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀る。
左:閼伽堂(あかどう)
約1200年前、大覚寺の前身「離宮嵯峨院」時代、嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸である。仏に供える神聖な浄水を汲む。
中央:「大日堂(だいにちどう)」
大覚寺門跡が、明治初頭まで兼帯していた安井門跡蓮華光院が管理していた、洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもの。正面を入母屋造とし、内陣は六角堂となっている。石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀る。
右:聖天堂(しょうてんどう)
当初は、望雲亭西側に建っていたが、昭和37年(1962)頃に現在地に移築。宝形造であり、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀る。
もみじロード
行ったのは10月だったので、紅葉には早いですね。
天神島・庭湖石(てんじんじま・ていこせき)は、横目にして通り過ぎましたが、菊ヶ島と天神島に庭湖石を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
そして天神島には、菅原道真公をお祀りしています。
菊ヶ島(きくがしま)
平安時代の初め、嵯峨天皇が菊ヶ島に咲く菊を手折り、花瓶に挿された。これがいけばな嵯峨御流の始まりであり、いけばな発祥の地とされている。
名古曽の滝跡(なこそのたきあと)
離宮嵯峨院時代の滝殿庭園内に設けられたもので
『今昔物語』では百済川成が作庭したものと伝わる。
滝の音は
絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れて
なほ聞こえけれ
藤原公任ふじわらのきんとう (小倉百人一首 55番)
藤原公任は、康保3年~長久2年(966~1041)平安時代の歌人で、詩歌や管弦の諸芸に通じ、また故実に詳しく書は古筆として珍重されている。和漢朗詠集や拾遺和歌集などの撰に携わる。三十六歌仙の1人。
平田春一・島田保子等詠碑
この先からは、池の傍から少し離れた道になります。
望雲亭(ぼううんてい)
嵯峨天皇から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩
「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」より望雲の2字をとって命名された。
現在の建物は、裏千家の設計により昭和50年(1975)
「寺号勅許1100年」の記念事業として再建された。
大沢池(おおさわのいけ)国指定名勝
他にも詠碑が幾つもありました。
大沢門から出て、広沢池へ向かいます。
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